第9話:一つの「鍵」
宿屋の一室。アレクシスの指が、衛兵の記録簿の一点をなぞっていた。若い衛兵が、命がけで示したであろう走り書き。「被害者より、ローゼンベルク家旧狩猟地への不審者の出入りについて相談あり」。ローゼンベルク――宮廷首席魔術師カールを輩出した、侯爵家の名だ。
「政治的に、あまりに厄介な名だな」
「ですが、唯一の手がかりです」
アレクシスの独り言に、ベンが応じた。彼の瞳には、ただの部下ではない、相棒としての強い光が宿っていた。
「隊長。ここは俺に任せてください。正面から行っても、どうせ同じことの繰り返しだ。俺のやり方で、この『ローゼンベルクの狩猟地』の腹を探ってきます」
アレクシスは、ベンの目を見て短く頷いた。彼が持つ、裏社会で培われた情報収集能力に賭けるしかなかった。
ベンは、王都の騎士という身分を隠すため、着古した平民の服に着替えると、日が暮れるのを待って町へ溶け込んでいった。彼が向かったのは、きらびやかな宿屋ではなく、地元の猟師や木こりたちが集う、薄汚れた酒場だった。
そこで彼は、王都訛りを巧妙に隠し、一杯の安いエールで何時間も粘った。自らの身の上話を大げさに嘆いてみせ、周囲の同情を買い、警戒心を解きほぐしていく。やがて、すっかり酔いの回った年老いた猟師が、ベンの話に乗ってきた。
「ローゼンベルクの古い小屋かい? あそこはもう何年も使われてねえよ。気味が悪いってんで、誰も寄りつかねえ」
「気味が悪い?」
「ああ。夜な夜な、明かりが灯るんだとよ。それに、例の死んだ商人…あいつは、あの土地を侯爵様から買い上げようとして、揉めてたらしいぜ」
猟師は、声を潜めて付け加えた。
「あの商人が殺される数日前、この酒場で誰かと口論になってた。相手の顔は覚えてねえが、こんなもんを落としていったぜ」
そう言って猟師がカウンターの下から取り出したのは、一本の古びた、錆びついた鍵だった。
宿屋に戻ったベンの報告は、アレクシスが予想していた以上のものだった。
「第一の犯行現場、動機、そしてこれがその現場の『鍵』…。見事だ、ベン」
「へへっ、これくらい訳ありませんて」
ベンは照れ臭そうに頭を掻いた。初めて、この土地で自らの能力が通用したことへの、純粋な喜びが顔に浮かんでいた。
翌日、アレクシスは再び公爵の城館を訪れた。今回は、もはや単なる探りではない。確証を持って、相手の嘘を暴くための訪問だった。
応対に出た執事に、アレクシスは静かに告げた。
「ローゼンベルク家の古い狩猟小屋で、夜な夜な不審な動きがある、と。また、亡くなった商人が、その土地の件で揉めていたという話も。何かご存知では?」
執事の顔が、能面のように固まった。
「…存じ上げんな。どこでそのような根も葉もない噂を」
「では、この鍵は?」アレクシスが、ベンが手に入れた鍵をテーブルに置く。「これも、ただの鉄屑に見えますかな?」
執事は、もはや作り笑いすら浮かべられずに沈黙した。その反応こそが、彼らが何かを隠している何よりの証拠だった。
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