第6話:最初の物証
ヴァルハイム公爵との謁見を終えたアレクシスは、無言で踵を返し、本館の重い扉を押し開けた。彼の後ろを、部下である快活な少年、ベン・コルビーが小走りで追いかける。
「隊長、公爵様、相当おかんむりでしたね。衛兵の協力は期待薄、どころか妨害されかねませんぜ」
「問題ない。そもそも期待していない」
アレクシスの声には、何の揺らぎもなかった。地方貴族の非協力的な態度など、彼の覚悟の前では取るに足らない障害に過ぎない。
森の奥深く、事件現場とされた場所にたどり着いたアレクシスは、その惨状に静かな怒りを覚えた。神官が儀式を行い、衛兵たちが踏み荒らした地面は、もはや「現場」と呼べる代物ではなかった。
「ひどい有様だ…。これが神託の弊害か」
犯人が残したかもしれない痕跡は、神の名の下に行われた怠慢によって、永遠に土の中へと葬り去られたように見えた。
「これじゃあ、王都のスラム街のゴミ捨て場の方がまだマシですよ。あそこには、誰が何を食べたか、昨日どこを歩いたかなんて情報が、正直に転がってるってもんですからね」
ベンは、貴族の土地のきれいな空気と、その中で行われる杜撰な仕事のギャップに、皮肉とも本気ともつかない感想を漏らした。
その言葉に、アレクシスは微かに反応した。
「…面白いことを言うな、ベン。情報が『転がっている』か」
「ええ。人の営みってのは、どんなに取り繕っても、必ずどこかに綻びやゴミを落とすもんですから」
アレクシスは、その視点を借りて、改めて現場を見渡した。衛兵や神官たちは、遺体そのものや、目立つ血痕といった「分かりやすい」部分にしか注意を払わなかっただろう。だが、人の営みがゴミを落とすのなら――犯人の営みもまた、どこかに意図せぬ痕跡を残しているはずだ。遺体から離れた、誰も気に留めない場所にこそ。
彼は、遺体が置かれていた中心から少し離れた、藪との境目に歩み寄った。犯人が遺体を運び込み、偽装工作を終えて立ち去る際に、必ず通るであろう動線。彼は膝をつき、騎士としての訓練で培った鋭い観察眼で、草の葉一枚、土くれ一つをおろそかにせず検分していく。
しばらくの静寂の後、アレクシスの動きが止まった。
彼は、被害者が身につけていたとされる外套の、投げ捨てられた破片に視線を固定していた。その織り目の粗い羊毛の、さらにその縫い目に、何か、極めて小さなものが引っかかっている。
彼は慎重に手袋をはめ直すと、ピンセットを取り出し、それをそっとつまみ上げた。
それは、指の爪ほどの大きさの、赤みがかった茶色い物体だった。紡錘形で、表面には奇妙な節がある。
「…なんだ、こりゃ。木の実か?」
ベンが、興味深そうに覗き込む。
「いや、違う」アレクシスはそれを陽光にかざし、眉を寄せた。「これは…何かの、サナギの抜け殻のようだ」
彼が知るどんな蝶や蛾のサナギとも、その形状は異なっていた。まるで異国の装飾品のような、奇妙で、どこか不吉な気配を漂わせている。
こんなものが、なぜ被害者の衣服に?
彼は、その小さな抜け殻を、証拠品を入れるためのガラス瓶に慎重に収めた。
瓶の中で転がる、声なきそれを見つめながら、アレクシスの鋼色の瞳が、より深く、冷たい光を宿した。
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