第5話:王家の介入
リンネが塔の研究室で禁断の知識に没頭している頃、ヴァルハイム公爵家の本館は、静かな緊張に包まれていた。
書斎で執務にあたっていた公爵の眉間には、深い皺が刻まれている。昨夜の娘とのやり取りが、重い澱のように胸に沈んでいた。神託によって事件は終息したはずだった。これ以上、波風が立つことはない。そう信じようとしていた矢先だった。
「だ、旦那様! 大変でございます!」
執事が、普段の冷静さをかなぐり捨て、血相を変えて書斎に飛び込んできた。
「門前に、王家の紋章を掲げた一団が…! 王都の騎士様でございます!」
「なに…?」
公爵の顔から、さっと血の気が引いた。なぜ、このタイミングで王家が。悪い予感が背筋を駆け上る。
彼が急ぎ玄関ホールへ向かうと、そこにはすでに、彼の予感を裏付ける光景が広がっていた。
銀と青を基調とした、見慣れぬ意匠の美しい制服。それを寸分の隙もなく着こなした数人の騎士たちが、音もなく佇んでいる。その中心に立つ一人の男の姿に、公爵は息を呑んだ。
夜空のように深い、艶のある黒髪。冷静な知性と、容易には揺らがぬ強い意志を宿した、鋭い鋼色の瞳。まるで磨き上げられた剣のような、冷徹な美しさを放つ青年。彼こそ、国王アルフレッド三世の勅命により新設されたエリート部隊、王立騎士団・特務捜査課を率いる若き隊長、アレクシス・フォン・クライストだった。
「これはクライスト伯爵家のご子息。一体、我が領地に何用かな」
公爵は努めて平静を装い、威厳のある声で問いかけた。
アレクシスは微かに礼を返すと、懐から一通の羊皮紙を取り出した。そこには、国王の印璽が赤蝋で厳重に封をされている。
「ヴァルハイム公爵。我々は国王陛下の勅命により、貴領内で発生した商人死亡事件の再調査に参りました」
その言葉に、公爵の表情が険しくなる。
「再調査だと? あの件は、ルミナ教会の神託により、神罰としてすでに解決済みのはずだが」
「国王陛下は、その『神託』にこそ疑念をお持ちです」
アレクシスの声は、礼儀正しいが一切の温度を感じさせなかった。
「近年、神託によって早々に処理される不審死が頻発しております。陛下は、その裏に人の悪意や、あるいは司法の及ばぬ闇が潜んでいる可能性を看過できない、とのお考えです」
「…つまり、王家は神殿と事を構えるおつもりか」公爵の声に、棘が混じる。「ここは王都ではない、クライスト殿。神の御業に人の浅知恵で踏み込むことが、いかなる結果を招くか。この地の秩序を、いたずらに乱すことだけはおやめいただきたい」
それは、領主としての精一杯の牽制だった。だが、アレクシスの鋼色の瞳は、微塵も揺るがない。
「これは政治的な問題ではございません。ただ、法の下の正義を貫徹するため。あくまで一人の民の死の真相を究明する、我々の責務です。ご協力いただけぬとあらば、その旨をありのまま陛下にご報告するまでのこと」
王命への不服従。その言葉が持つ重みに、公爵はぐっと言葉に詰まった。もはや、抵抗の術はない。
彼は、己の無力さを噛み殺すように、低く唸った。
「…良かろう。だが、私の目の届く範囲でやってもらう。領内の秩序を乱すことは、この私が断じて許さん」
一方、遠く離れた塔の上。
リンネは、階下から聞こえる普段とは違う人の気配に、ふと顔を上げた。窓辺に寄り、遠眼鏡を覗くと、本館から出てくる数人の騎士の姿が見える。
(…王都の騎士? 珍しい)
その中心にいる、ひときわ背の高い青年の姿に、彼女の目が留まる。銀と青の制服、隙のない立ち居振る舞い。そのすべてが、無駄なく洗練された印象を与えた。
分析的な視線で一瞬だけ観察すると、彼女はすぐに興味を失った。自分には関係のないことだ。
リンネは再び机に向き直り、目の前の書物と、そこに広がる混沌とした謎の世界へと意識を沈めていった。
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