第14話:静寂の思考
光も、音も、時間の感覚さえも届かない、完全な無。
施療院の地下深くにある懲罰房は、人の五感から世界を奪い去るための場所だった。
だが、外部から完全に遮断されたこの静寂は、皮肉にも、リンネの思考を極限まで研ぎ澄ませていった。
恐怖も、焦りもない。彼女の頭脳は、自らの記憶という名の書庫から、これまでに得た情報だけを頼りに、純粋な論理を組み立てていく。
第一の問い。なぜ、死者は第三病棟に集中するのか?
第二の問い。院長が毎夜焚くあの煙が強力な毒ならば、なぜ、最も煙を吸い込んでいるはずの院長やシスターたちは死なないのか?
この二つの問いは、これまで彼女の思考を袋小路へと追い込んできた、最大の矛盾だった。
だが、この静寂の中で、彼女は一つの可能性に思い至る。
もし、前提そのものが間違っていたとしたら?
(――毒は、あの煙『そのもの』ではない…)
その思考が、閃光のように脳裏を貫いた瞬間、全ての矛盾が、音を立てて氷解していく。
煙は、あくまで原因の一つに過ぎない。
もう一つの原因が、あの第三病棟にのみ、存在するのだ。
思考の糸が、記憶の中の情景と結びつく。
第三病棟の壁にだけ浮かび上がっていた、奇妙に黒ずんだ染み。
窓辺にだけおびただしく落ちていた、特定の甲虫の死骸。
犠牲者たちの爪に共通して現れた、微かな紫色の変色。
そして、腐敗臭とは異なる、あの微かに甘い特有の匂い。
全てが、繋がった。
「…そう、いうこと」
リンネの唇から、暗闇の中で、乾いた声が漏れた。
「煙は、あくまで触媒の一つ。そして、第三病棟の『何か』――おそらくは、あの壁の染み――が、もう一つの触媒。二つが合わさることで初めて、致死性の毒が発生するのだわ」
院長やシスターたちが無事なのは、儀式が終わればすぐにその場を離れるから。
だが、患者たちは違う。一晩中、その部屋で過ごす。
密室と化した病棟で、壁と反応し続ける煙が生み出す、致死性の気体。それを、ゆっくりと、しかし、確実に吸い込み続けていたのだ。
悍ましい事件の全容が、ついにその輪郭を現す。
光の届かぬ地下牢で、リンネは、ただ一人、真実に到達していた。
だが、彼女には、それを証明する術も、ここから脱出する術もなかった。
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