第10話:最初の接触
「――煙、ですか」
拠点に戻ったアレクシスからの報告を聞いたリンネの唇から、静かな呟きが漏れた。
その一言が、これまで彼女の頭脳の中でバラバラに散らばっていた全ての事象を、一本の線で貫いた。
壁の染み。特有の甘い匂い。犠牲者たちの呼吸器系の異常。そして、特定の化学物質にのみ反応する、虫の大量死。
全てが、気体――すなわち、煙を介して引き起こされた現象だとすれば、完璧に説明がつく。
「その煙の正体を突き止めます。使われている薬草そのもの、そして、他に配合されている物質がないか、特定しなければなりません」
リンネの紫水晶の瞳に、再び探求者としての鋭い光が宿る。
「薬草庫は、どこですの?」
リンネは、すぐに行動を開始した。
雑役婦として院内の地理には精通している。薬草庫は、施療院の裏手、古い石造りの倉庫の一角にあった。彼女は、洗い終わったシーツを運ぶという名目で、ごく自然にその場所へと近づいていく。
だが、彼女が倉庫の扉に手をかけようとした、まさにその時だった。
「――そこで、何をしている」
氷のように冷たい声が、背後から彼女の動きを縫い止めた。
振り返ると、そこに立っていたのは院長だった。昼間の、疲労と慈愛に満ちた聖職者の顔ではない。静かな、しかし、底知れない怒りをたたえた、審問官の顔だった。
「神の御業を疑う、不信心者め」
院長は、ゆっくりとリンネに歩み寄る。その瞳は、彼女の心の奥底まで見透かさんとするかのように、鋭く注がれていた。
「お前は、一体何者だ。ただの雑役婦ではないな?」
「…何をおっしゃっているのか、分かりかねます。わたくしは、シーツを倉庫に運びに来ただけですが」
リンネは、動揺を一切見せず、冷静にはぐらかした。
だが、院長は、もはやその言葉に耳を貸してはいなかった。彼は、リンネの瞳の奥にあるものを、正確に見抜いていた。それは、恐怖でも、罪悪感でもない。ただひたすらに真実を求める、飽くなき探求心の光。この聖域の禁忌に、科学という名のメスを入れようとする、異端者の光だった。
院長は、それ以上何も言わず、ただ、リン-ネの目の前で、薬草庫の扉に、自らが持つ鍵で錠をかけた。
言葉以上の、明確な拒絶だった。
二人の間に、火花が散る。最初の接触は、リンネの完敗に終わった。そして、院長は、神の庭に侵入した毒蛇の存在を、はっきりと認識した。
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