第8話:院長の祈り
リンネが雑役婦として死の痕跡を拾い集めている頃、アレクシスは臨時警備員という立場を最大限に活用し、院内の警備体制と職員たちの動向を探っていた。彼の存在は、物々しい王都の騎士ではなく、ただ腕の立つ傭兵として、施療院の日常に溶け込もうとしていた。
職員たちの会話は、神罰への恐怖と、終わりのない労働への諦観に満ちている。そこから有益な情報を引き出すのは困難を極めた。だが、アレクシスの騎士としての訓練で培われた観察眼は、人々の口にする言葉ではなく、その行動の僅かな綻びや、繰り返される習慣の中にこそ真実が隠されていることを見抜いていた。
彼は、特に院長の行動に注意を払った。不眠不休で患者を看て回るその姿は、確かに聖職者の鑑のように見える。しかし、その献身的な行動の中に、一つだけ、不可解なほど厳格な規律が存在した。
毎夜、深夜の鐘が鳴るのと同時に、院長の祈りの時間が始まる。彼は、揺れる炎を灯したランプを手に、静かに第三病棟を巡る。その手には銀の香炉も携えられており、そこから立ち上る甘く清涼な香りを放つ白煙が、淀んだ空気をわずかに浄化していく。患者たちもその香りを待ち望んでいるかのように、安らかな表情を浮かべる者さえいた。
翌朝、詰め所で他の警備員と交代の挨拶を交わしていると、彼らがその儀式について噂しているのが耳に入った。
「昨夜も、院長様が祈りを捧げてくださったそうだ。あの方の祈りは、どんな苦しみも和らぐというからな」
「ああ、まさに神の御業だ。だが、それでも神罰からは逃れられん。今朝も一人、安らかに亡くなられたそうだ…」
アレクシスは、さらに数日かけて、院長に近しいベテランのシスターに、それとなく探りを入れた。
「院長様は、毎日あれほど熱心に祈りを捧げておられる。だが、神罰と決まった以上、人の身でできることには限りがあるのではないか」
その問いに、シスターは、すがるような強い光を目に宿して答えた。
「いいえ、だからこそ、なのです。偉大なるマクシミリアン大司教様も、『神の裁きが下された魂だからこそ、我ら人の子が祈りを捧げ、その魂を安らかに導かねばならない』と、院長様にお導きを…」
その名が出た瞬間、アレクシスの思考に、鋭い違和感が突き刺さった。
マクシミリアン大司教。
国王が最も警戒し、法の光を遮る教会の威光、その中心に座す男。
(…おかしい)
神罰とは、神が下す絶対の最終宣告のはずだ。ならば、人が為すべきことは、その裁きを静かに受け入れることではないのか。
なぜ、毎夜毎夜、まるで何かの発生を抑え込むかのように、祈りを繰り返す必要がある?
その行動は、神の裁きを受け入れた者のそれではない。むしろ、終わりなく続く脅威に対し、必死の抵抗を試みているかのようだ。
教会の公式見解と、現場の行動が、全く噛み合っていない。
その矛盾した指示の中心に、マクシミリアン大司教がいる。
点と点が繋がり、一つの巨大な組織に対する、底知れない疑念が、彼の脳裏に明確に浮かび上がった。
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