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第3話:冷たい食卓と父の憂鬱

その日の夕食は、いつにも増して冷え切っていた。

長いマホガニーのテーブルの両端に、父であるヴァルハイム公爵とリンネが座る。その間には、兄のリヒャルトと姉のエレオノーラが、まるで境界線のように席を占めていた。豪奢な銀の食器が立てる音だけが、大理石の床に虚しく響く。


沈黙を破ったのは、兄のリヒャルトだった。

「父上、例の商人の件、神罰ということで落ち着いたそうですね。これで領内も静かになりましょう」

「うむ。神の御業に我らが口を挟むことなどない」

公爵は重々しく頷く。その視線が、一瞬だけリンネに向けられた。


「それにしても、神罰とは恐ろしいことですわね。わたくし、虫唾が走りますわ」

姉のエレオノーラが、わざとらしく身を震わせ、扇で口元を隠しながらリンネに流し目を送った。

「ねえ、リンネ。あなたはずっと塔の上から見ていたのでしょう? 死体だの虫だのがお好きなあなたには、さぞ楽しい見世物だったのではなくて?」


あからさまな揶揄だった。貴族の女性は良家に嫁ぎ、血筋の良い子を産むことが美徳とされる 。魔力も持たず 、社交界にも出ず、ただ異様な趣味に没頭する末の妹は、兄姉にとって軽蔑と嘲笑の対象でしかなかった。



リンネは、ようやく皿の上のスープから顔を上げた。しかし、その紫水晶の瞳に感情の波は立っていない。

「見世物としては、三流でしたわ、お姉様。あまりに結末が非論理的で、伏線の回収も御座なりでしたから」

「…なんですって?」

「そもそも、神罰という結論自体が思考の放棄です。死因の特定を怠り、安易な物語に飛びつくのは、知性のない猿のすること。兄上も姉上も、もう少し観察と分析の重要性を学ばれては?」


テーブルの空気が、音を立てて凍りついた。リヒャルトの顔が怒りに歪み、エレオノーラは扇を握りつぶさんばかりに震えている。


「静かにしろ」


地を這うような低い声が、兄姉の反論を押しとどめた。ヴァルハイム公爵だった。だが、その怒りは兄姉ではなく、リンネに向けられていた。

「リンネ。お前のその口を閉じろ。これ以上、ヴァルハイム家の名を汚すような言動は許さん」

「事実を述べたまでです、父上」

「事実だと?」公爵はナイフをテーブルに突き立てた。「神の決定こそが、この国での絶対の事実なのだ! それを弁えぬ者は、ただ災いを招くだけだ。…お前は、塔でおとなしく虫でも愛でていればいい」


その言葉は、突き放すように冷たかった。だが、リンネが臆することなく父を真っ直ぐに見返した瞬間、公爵の瞳が微かに揺らいだのを、彼女は見逃さなかった。その奥に宿るのは、単なる怒りではない。もっと深く、暗い――恐怖の色だった。


食事はそれで終わった。


リンネは何事もなかったかのように自室へ戻り、家族のことなど忘れて、再び事件の考察に没頭し始めた。


一方、公爵は一人、書斎でグラスを傾けていた。

彼の視線の先には、壁に掛けられた一枚の肖像画がある。そこに描かれているのは、リンネの母親であり、公爵の亡き妻だ。優しげな微笑みの中に、抑えきれない知的な光を宿した、美しく、危うい女性だった。

彼女もまた、探求者だった。貴族の務めを疎んじ、温室で新種の薬草を育て、錬金術の禁書に没頭した。そして、その探求心とそれに見合わない繊細さがあったのだろう。彼女は自ら、命を落とした。妻は、「異端」であった。


「…また、同じ道を歩むというのか。あの子は」

リンネの、何ものにも臆さないあの瞳。真実だけを追い求める、孤高の魂。それは、あまりにも妻に似すぎていた。

「お前と同じ悲劇を、繰り返させてなるものか…」

公爵は、リンネを塔に閉じ込めている。それは、世間から娘を守るためであり、何より、彼女自身のその危険な才能から、彼女自身を守るための、不器用で歪んだ愛情表現に他ならなかった。

ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、他にも作品を連載しているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。HTMLリンクも掲載しています。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話等更新しています。

作者マイページ:https://mypage.syosetu.com/1166591/

Xアカウント:@tukimatirefrain

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