第2話:王の密命
「神罰」の一言は、王都の空気を重く支配した。
教会直営の施療院で起きた連続死は、公式に「神の御業」と断定され、一切の捜査は禁じられた。人々は、神の怒りを恐れ、ただ祈りを捧げることしかできない。
王宮の奥深く、国王アルフレッド三世は、アレクシスを前に、苦々しく顔を歪めていた。
「またしても神託か、アレクシス。教会の影響力は、もはや王都の中心ですら、法の光を遮ろうとしている。病に苦しむ民を救うでもなく、ただ『神罰』と断じて恐怖を煽るなど、断じて許せることではない」
国王は、強い意志をその瞳に宿し、密命を下した。
「行け、アレクシス。教会の威光という名の分厚い壁の向こう側にある、真実を暴き出すのだ。そなたは、私の唯一の切り札だ」
王宮の一角、リンネの新たな研究室に戻ったアレクシスの顔には、王の言葉を受けた、新たな覚悟が刻まれていた。
「国王陛下からは、真相究明の勅命が下された。だが、教会が『神罰』の盾を構えた以上、正面からの捜査は不可能だ」
「厄介なことになりやしたね」ベンが腕を組む。「施療院は、貧民街の連中ですら近寄らねえ、ちょっとした聖域だ。下手に嗅ぎ回れば、教会の連中が黙っちゃいねえ」
捜査は、始まる前に、壁に突き当たっていた。
沈黙を破ったのは、薬品の整理をしていたリンネだった。
「…データがなければ、仮説は立てられません。ならば、我々が、データそのものになるしかありませんわね」
「データに?」
「潜入するのです、騎士殿。内部からでしか、観測できない事象というものは、常に存在する」
彼女の提案は、貴族令嬢の提案としてはひどく常識外れだった。
だが、他に道がないことも、また事実だった。計画は、そこから始まった。
問題は、どうやって潜入するか、だ。施療院は、外部の人間を容易に受け入れる場所ではない。特に、神罰が下された今、その門は固く閉ざされている。
ここで、ベンの情報網が活路を開いた。
「まあ、施療院ってのは、常に人手不足だ。特に、神罰で死んだなんて噂の死体の処理や、病人の汚物で汚れたシーツの洗濯みてえな、誰もやりたがらねえ汚れ仕事はな。俺の知り合いに、口の利き方をちょいと教えてやれば、田舎から出てきた身寄りのない娘っこと、腕っぷしの立つ用心棒を一人、ねじ込むことくらいは…」
数日後、施療院の薄暗い廊下を、リンネは、洗い桶を手に歩いていた。
華美なドレスは、粗末な木綿のワンピースに変わり、濡れ羽色の髪は、汚れた頭巾の中に隠されている。彼女が就いた役職は、ベンの言葉通り、亡くなった患者の亡骸を清め、汚れた寝具を洗い、床を磨く、誰もが進んでやりたがらない雑役婦だった。
彼女は、祈祷と僅かな薬草だけで全てを済ませようとする非科学的な医療の現実と、劣悪な衛生環境を、ただ淡々と、観察者としてその目に焼き付けていく。
臨時警備員として詰め所に立つアレクシスは、その姿を、気づかれぬよう、目で追っていた。
公爵令嬢が、薄汚れた雑役婦として、文句一つ言わず、黙々と働いている。
その日の昼下がり、リンネが中庭の井戸に水を汲みに離れると、洗濯場の陰から、他の雑役婦たちのひそひそ話が聞こえてきた。
「ねえ、あの新しい子…。昨日、亡くなった方の体を拭いてたんだけどさ、その顔、笑ってるように見えなかった?」
「わかる! 人の死体を見て、うっとりしてるなんて、人間じゃないよ。きっと、墓荒らしかなんかの親から産まれたに違いないね」
「やだ、気味が悪い…。あんなのがうろついてるから、神罰が酷くなるんじゃないのかい。いっそのこと、あの子自身が病になって、さっさと死んでくれればいいのにね」
その悪意に満ちた囁き声に、遠くの詰め所で壁に寄りかかっていたアレクシスの拳が、無意識に固く握りしめられるのを、彼自身は自覚していなかった。
そして、その身体の動静が、騎士としての使命感、だけによらないことにも、当然、無自覚であった。
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