第25話:旅立ちの日に
リンネが、王都へ旅立つ日。空は、まるで彼女の心の内を映すかのように、白く、そしてどこまでも無感情に晴れ渡っていた。
王家の紋章を掲げた馬車が、静かに玄関ホールで待っている。彼女の荷物は、数個の鞄だけ。そのほとんどが、父の思い出でも、姉の形見でもなく、母が遺した研究記録と、彼女自身の標本で満たされていた。
リンネは、最後に一度だけ、壮麗な、しかし、もはや抜け殻となった城を見上げた。父である公爵は、最後まで、彼女の前に姿を現さなかった。それが、父なりの贖罪なのか、それとも、ただの弱さなのか。リンネには、もう、それを分析する気力もなかった。
彼女は、誰に別れを告げるでもなく、差し伸べられたアレクシスの手を借りて、静かに馬車へと乗り込んだ。
車輪が、ゆっくりと回り始める。
ヴァルハイムの城が、故郷の風景が、窓の外で、静かに、そして、急速に遠ざかっていく。彼女が、その半生を過ごした、鳥籠であった塔。そして、今はもう、家族の誰もいない、巨大な墓標となった城。
リンネは、その光景から目を逸らさなかった。ただ、静かに、見つめ続けていた。
(さようなら、お父様)
その心の内を、隣に座るアレクシスが知る由もなかった。
やがて、城が完全に見えなくなった、まさにその時だった。
一台の馬が、猛然と、彼らの馬車を追いかけてきた。王宮からの、緊急伝令だった。
アレクシスは、その場で厳重な封を切ると、無言で、書状に目を通し始めた。
馬車の中に、羊皮紙が擦れる、乾いた音だけが響く。リンネは、彼の横顔を静かに見つめていた。読み進めるにつれて、彼の眉間に、深い皺が刻まれていく。そして、最後まで読み終えた時、彼の口から、これまでリンネが聞いたことのないような、深く、そして、疲弊したため息が漏れた。
彼は、書状を丁寧に巻き直すと、リンネに向き直った。
「…早速、我々の出番かもしれんな」
彼は、その内容を、静かに要約して告げた。
「教会が運営する施療院にて、原因不明の連続死が発生したそうだ。神殿が派遣した神官が託宣中。陛下は我々、特務捜査課に、至急、王都へ戻り、待機せよ、と」
アレクシスの鋼色の瞳に、次なる戦いを予感する、厳しい光が宿る。
リンネは、遠ざかった故郷から、ゆっくりと視線を前に戻した。
彼女の瞳から、感傷の色は、すでに消え失せていた。そこに宿っていたのは、新たな「謎」を目の前にした、彼女本来の、探求者としての、冷たく、そして、美しい光だった。
二人の旅は、まだ、始まったばかり。
第1章完です!
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