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第23話:愛を乞う骸(むくろ)

深紅に染まったカップを前に、エレオノーラの完璧な仮面が、初めて、音を立てて砕け散った。

アレクシスが、兄殺し未遂の罪で彼女を捕縛しようと、一歩前に出る。

「エレオノーラ・フォン・ヴァルハイム。王家の名において、身柄を拘束する」


その瞬間、リンネは、衝動に駆られて叫んでいた。自らの仮説を証明するためではない。ただ、目の前の姉に、問いただすために。

「…お兄様だけではない。母様を殺したのも、あなたなのでしょう!」


その言葉が、引き金だった。

エレオノーラは、壊れた人形のように、甲高い声で笑い始めた。

「ええ、そうよ! 私が殺したわ! 母様も、失敗した兄殺しも。あの嗅ぎ回る虫ケラも! 全部、私がやったのよ!」

彼女の表情は、もはや貴婦人のものではなかった。嫉妬と憎悪、そして狂信に満ちた、一人の女の顔だった。

「母様は、『いい子』な私に関心がなくて、いつも自分の研究に没頭してた…でも、それだけならまだよかった」

「でも、母様は、あなたが産まれてからは、いつもお前のことばかり見ていた! 私がどれだけ完璧な令嬢を演じても、あの人は、自分と同じ『異端』に没頭する気味の悪いお前しか可愛いがらなかった!」

「父様もそうだ。父様は私が物心ついた後も、いつも母様のことばかり気にかけていた…そして、母様が死んでからはお前のことをな!」

「ルミナ教に背信する異端者、ヴァルハイムをたぶらかす魔女め、私の行いは、ヴァルハイム家を正しき道に戻して、信仰に誰よりも篤い私の血統を繋ぐ、正義の行いなのよ…!」


エレオノーラの悍ましい独白が、部屋の空気を震わせる。その狂気に満ちた言葉を、アレクシスは、ただ黙って聞いていた。彼の顔に浮かんでいたのは、犯人への軽蔑だけではない。家族の愛に飢え、歪んでしまった哀れな魂への、深い、そして救いのない憐憫だった。彼の、腰の剣の柄を握る指が、白くなるほどに固く握りしめられていることに、姉妹は気づかない。


その憎悪の奔流を、リンネは、ただ静かに受け止めていた。そして、全てを吐き出させると、氷のように冷たい声で、一言だけ、告げた。

「…あなたは、合理的ではないわね」

「なんですって?」

「母様ほどの聡明な方が、自らを毒殺しうる者に、見当がついてなかったとでも? あの自己検死記録は…症状についてしか記載がなかった…不自然なほどに。彼女があなたを告発しなかったのは、なぜだと思うのかしら」

「……」

「そして、父上。彼が、あなたの罪を庇うために、自ら殺人犯の汚名を被った。それは、ただ、ヴァルハイム家のため? いいえ、違う。ただ、あなたを失いたくなかったから。…その理由がなければ、家の名誉を守るという目的を達成するためには、より少ない犠牲で済んだはずですわ」


リンネの言葉は、まるで鋭いメスのように、エレオノーラの歪んだ自己憐憫を、一枚、また一枚と、剥ぎ取っていく。

「母の慈悲も、父の愛も、あなたの目の前には、ずっとあった。ただ、あなた自身が、それを見ようとしなかっただけ。あなたは、確かにあったそれをちゃんと見もせずに、凶行に走った、怠惰な愚か者よ」

「……」

「………お前が言うか…他でもないお前が…」

言葉は続かず、エレオノーラは言葉を失う。

そして、憎悪の炎が消えたその顔に浮かんだのは、底なしの虚無だった。

彼女は、誰に聞かせるともなく、ただ、ぽつりと、呟いた。

「…あるのなら、もっと…もっと前に、欲しかったわね」

その言葉だけが、死んだように静まり返った部屋に、虚しく響いた。

ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、他にも作品を連載しているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。HTMLリンクも掲載しています。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話等更新しています。

作者マイページ:https://mypage.syosetu.com/1166591/

Xアカウント:@tukimatirefrain

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