第19話:好奇心は罪の匂い
塔の研究室は、息詰まるような緊張に満ちていた。リンネは、母が遺した『自己検死記録』を胸に抱き、アレクシスは、公爵を軟禁したという重い事実を背負って、沈黙していた。そこへ、ベンが、新たな情報を掴んで駆け込んできた。
「隊長、リンネ様! ガイガーの奴、公爵様だけを嗅ぎ回ってたんじゃねえようです! ヤツは、エレオノーラ様の侍女とも、頻繁に密会を重ねてやがった!」
その報告は、凍りついた湖に投げ込まれた、小さな石だった。だが、その波紋は、リンネの思考の中で、巨大なうねりへと変わっていく。
姉と、ガイガーの密会。母の自己検死記録。そして、父の、あまりに出来すぎた告白。
リンネの脳裏に、あの秘密の庭園の光景が、鮮やかに蘇った。ぬかるんだ地面に残された、父の足跡。それは、あまりに深く、そして鮮明すぎた。まるで、そこに「公爵がいた」という事実を、これでもかと誇示するかのような、不自然なまでの『完璧さ』。
その違和感が、彼女の思考の全てを、一本の線で繋ぎ合わせた。
「…おかしい。すべてがおかしい」
リンネの呟きに、アレクシスとベンが視線を向ける。
「父は、犯人ではない」
「…何ですって?」
アレクシスの問いに、リンネは、まるで悍ましい方程式を解き明かすかのように、全ての事実を再構築していく。その声は、初めこそ冷静だったが、徐々に、これまで誰も聞いたことのない、微かな震えを帯び始めていた。
「ガイガーは、母の死の調査を進める過程で、偶然、姉による兄の暗殺未遂計画を知ってしまった。そして、その事実をネタに、まず姉を脅迫した…」
「…待ってください!」ベンの声が、裏返る。「ヤツが最近、羽振りが良くなったのは、そのせいか! 時期が、ぴったり符合しやす!」
リンネは、ベンの言葉を肯定するように、僅かに頷くと、続けた。
「だが、姉は屈しなかった。逆に、自らの秘密を知ったガイガーを、あの庭園で…」
リンネの声が、一瞬、掠れた。
「…母と、同じ、月光草の毒を使って、殺害したのですわ」
「…では、公爵閣下の足跡は?」
アレクシスの問いに、リンネは、まるでそこにいない誰かを憐れむかのように、冷たく、そして悲しい声で答えた。
「父は、後から現場に駆けつけたのです。そして、娘が犯した、二度目の、そして取り返しのつかない罪を知った。彼は、これ以上の醜聞がヴァルハイム家を破壊するのを恐れ、自らが罪を被ることを選んだ。あの足跡は、娘の痕跡を消し、自らが犯人であると偽装するための、あまりに愚かで、悲しい道化だったのです」
「…父親の、愚行か」
アレクシスの口から、苦々しい呟きが漏れた。
全ての点が、一つの悍ましい真実へと繋がる。
ガイガー殺害の真犯人はエレオノーラ。
父は、娘の罪を庇うために、殺人犯の汚名を自ら被った。
そして、その父は、おそらく、自らが庇う娘こそが、最愛の妻を殺した真犯人であるという事実を、知らずにいる。
事件は、予想を遥かに超えた、三重の絶望的な構造(三重のスパイラル)をしていたのだ。
研究室は、死んだような静寂に包まれた。
リンネは、全ての推理を語り終えると、ふらりとよろめき、近くの椅子に、まるで崩れ落ちるように座り込んだ。彼女は、自らの両手を見つめていた。その指先が、僅かに、しかし確かに、震えていた。
暴かれた真実は、あまりにもおぞましく、そして、あまりにも、悲しいものだった。
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