第16話:秘密の庭園と父の足跡
「…報告は、以上です」
塔の研究室で、アレクシスは地図に書き込まれた三つの×印を前に、重い口調で締めくくった。数日にわたる徹底的な捜索は、何一つ成果を生まなかった。
「リンネ姫。あなたの仮説は、本当に…」
「仮説に誤りはありませんわ」
リンネは、彼の言葉を遮った。その態度は、あくまで冷静だった。
「既知の変数から正しい答えが導き出せないのなら、それは、未知の変数が存在するという証拠。公式記録が、世界のすべてではない、ということです」
その言葉を口にした瞬間、リンネの紫水晶の瞳が、ふと、遠い過去を見つめるように揺らいだ。
彼女は、アレクシスをその場に残し、書庫の奥深く、埃をかぶった一角へと向かった。そこは、母クリスティーナの遺した、植物学に関する書物だけを集めた場所だった。リンネは、その中から一冊、手触りの良い革で装丁された、美しい手書きの植物図鑑を抜き出した。
母の形見、『幻覚性植物図鑑』。
パラパラとページをめくる、乾いた紙の音だけが響く。リンネの指が、『月光草』の項目で止まった。そこには、母の優美な筆跡で、植物の生態が精密に綴られている。そして、そのページの余白に、彼女は小さな覚書を発見した。
『――旧水路、嘆き柳の陰に、未発見の群生地あり。我が見つけた、秘密の庭。誰にも告げるべからず』
そこには、公式記録には存在しない、母だけが知っていた秘密の場所の地図が、小さなインクの染みと共に記されていた。
「まさか…。………参りますわよ」
二人が、その地図を頼りにたどり着いたのは、人々から忘れ去られた、古い水路の跡地だった。巨大な柳の木が、まるで何かを隠すかのように枝を垂らし、その根元には、陽の光を避けて、青白い月光草が妖しく咲き乱れていた。
余人の知らぬ、リンネの母が愛した、『秘密の庭園』。
だが、その庭は、今は聖域ではなかった。
草むらの一角が荒らされ、そこには、月光草をすり潰したような、生々しい調合の痕跡が残されていた。被害者ガイガーを殺害するために、毒が精製された場所だ。
そして、その痕跡を囲むぬかるみには、二種類の足跡が、まるで動かぬ証拠のように、くっきりと残されていた。
一つは、被害者のものと思われる、すり減った商人の靴跡。
そして、もう一つは――。
アレクシスは、息を呑んだ。その深く、そして鮮明な足跡は、彼がよく知る、特注の高級乗馬ブーツのものだった。
ヴァルハイム公爵。リンネの父、その人のものであった。
動かぬ証拠は、リンネの父が殺人犯であることを、冷徹に、そして無慈悲に指し示していた。
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