第11話:狩猟小屋の罠
その夜、月は雲に隠れ、森はインクを注いだような闇に沈んでいた。アレクシスとベンは、馬を遠くに繋ぎ、息を潜めてローゼンベルク家の旧狩猟小屋へと近づいていた。公爵による監視の目が光る中での潜入は、一歩進むごとに、見えない網に絡め取られていくような、息の詰まる緊張感を伴った。
「…静かすぎる。気味が悪い」
ベンの囁きが、しんとした空気を震わせた。夜行性の獣の声すら、どこにも聞こえない。まるで、森全体が息を殺して、侵入者である彼らを凝視しているかのようだ。
「ああ。罠の匂いがする。だが、進むしかない」
アレクシスは短く応じ、小屋の扉へと進み出た。ベンが猟師から手に入れた古い鍵を鍵穴に差し込むと、錆び付いた金属が軋む、耳障りな音が響く。やがて、重い手応えと共に錠が外れた。
扉の向こうは、カビと埃の匂いが混じり合った、淀んだ闇が広がっていた。
二人は、ごく僅かな光しか漏らさぬ遮光式のランプを灯し、中へと足を踏み入れる。そこは、一見すると、噂通り何年も使われていない廃屋のようだった。
だが、ベンの鼻が、その静寂の裏に潜む異物を見つけ出した。
「…隊長。この埃っぽさの中に、何か新しい匂いが混じってる。薬品だ。多分、植物由来の、防虫剤か何か…普通の廃屋じゃ、こんな匂いはしねえ」
スラム育ちの鋭敏な嗅覚が、見えないはずの異常を捉える。その指摘に導かれ、アレクシスの視線は、部屋の隅にある床板の一枚に注がれた。そこだけ、周囲よりも僅かに色が濃く、新しく嵌め直されたような跡がある。
アレクシスはナイフの先をその隙間に差し込み、慎重にこじ開けた。床下には、人が一人横になれるほどの、隠された空間が広がっていた。そして、その底から、先ほどベンが指摘した薬品の匂いと共に、紛れもない、死の残り香が立ち上ってきた。
「…ここだ。遺体を隠していた場所だ」
ランプの光が、空間の隅で何か小さなものを照らし出した。サナギの抜け殻ではなかった。それは、被害者の衣服に使われていたものと同じ生地の、小さな、小さな布片。そして、その布片に絡みつくように、一本の奇妙な『毛』が付着していた。抜け殻よりも、さらに微細で、不確かな証拠。だが、間違いなく犯人が残した痕跡だった。
アレクシスが、その毛を慎重にピンセットでつまみ上げた、まさにその時だった。
――ヒュッ。
静寂を切り裂き、風を切る鋭い音が、アレクシスの頬をかすめた。壁に突き立ったのは、一本のクロスボウの矢。闇に紛れ、音もなく放たれた、明確な殺意だった。
二人が瞬時にランプを消し、身を伏せると、続けざまに数本の矢が、窓や壁の隙間から撃ち込まれてくる。松明の光はない。追手は、闇に潜んだまま、確実に彼らの命を奪いにきていた。
「くそっ、完全に嵌められた!」
ベンの苦々しい声が響く。公爵は、彼らがこの小屋にたどり着くことを予測し、ただ捕らえるのではなく、事故に見せかけて『処理』するつもりだったのだ。
それは、言葉による拒絶よりも、遥かに雄弁で、そして冷酷な「拒絶」の意思表示だった。
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