第6章
ドラゴン討伐から数日が過ぎた。
俺たちの間には、奇妙な日常が生まれつつあった。
アリシアは、相変わらず俺と物理的な距離を取っている。
だが、以前のようなあからさまな嫌悪感は少しだけ和らいだ。
「助けられた」という事実が、彼女の中で俺という存在を「ただの変態」から「役には立つが、関わりたくはない変態」くらいには格上げしたらしい。
進歩だ。たぶん。
ルナはもっと分かりやすい。
ギルドで顔を合わせれば「変態死ね」が挨拶代わりだし、俺の視線が少しでも下に向けば殺気を飛ばしてくる。
だが、時々「こういう依頼がある。お前の変態能力が役立つかもしれん」と情報を流してきたりもする。
ツンデレか? いや、あれはツンが九割九分九厘で、デレは微粒子レベルだな。
俺自身はといえば、二人の美少女の絶対領域を確保(物理)し、その力で街の危機を二度も救ったという事実に、大きな満足感を覚えていた。
もちろん、戦闘のためだけではなく、純粋に、心ゆくまでその神聖なる領域を愛でたいという欲望は常に渦巻いている。
次の機会はいつだろうか。
そんなことを考えながら中央広場を歩いていると、事件は起こった。
平和な昼下がりだった。
噴水の周りでは子供たちがはしゃぎ、大道芸人が披露する曲芸に人々が拍手を送っている。
その長閑な光景を切り裂くように、突如として、空から薔薇の花びらが舞い散り始めたのだ。
「な、なんだ!?」
「空から薔薇が……!?」
人々が空を見上げる中、広場の中央の空間が歪み、まばゆい光と共に、一人の男が姿を現した。
すらりとした高身長に、モデルのような整った顔立ち。
純白の貴族服に身を包み、その立ち振る舞いは完璧に洗練されている。
まさに、絵本から抜け出してきた王子様だ。
そして、彼の周りには、三人の美女が控えていた。
皆、スタイルの良い冒険者風の女たちだが、その服装には共通点があった。
スカートのスリットから大胆に覗く太もも。
そして、そこに装着されているのは――ガーターベルト。
黒いレースの、あるいは純白のシルクのガーターベルトが、彼女たちの豊かな太ももに、官能的に食い込んでいた。
「まあ、なんて素敵な方……!」
「あの女の人たちの格好、すごくセクシー……!」
広場の女性たちはうっとりとその男に見惚れ、男たちは美女たちの脚に釘付けになっている。
完全に、場の空気を支配していた。
その男が、ゆっくりと俺の方へ視線を向けた。
その紳士的な微笑みの奥に、俺と同種の、ねっとりとした偏愛の光が宿っているのを、俺は見逃さなかった。
こいつ、同類だ。
「やあ。君が、ニーハイソックスで女性をパワーアップさせるという噂の男だね?」
男は、優雅な足取りで俺に近づいてくる。
「あんたは……誰だ?」
「俺は神崎瞬。君と同じ、この世界に転生してきた者さ」
瞬と名乗る男は、芝居がかった仕草で胸に手を当てた。
「そして、俺の専門は――」
「ガーターベルトですわ♪」
瞬の言葉を引き継ぐように、彼の隣にいたグラマラスな美女が、太ももを強調するようにセクシーなポーズを取った。
「この太ももに食い込む、適度な圧迫感がたまらないの♪」
もう一人の快活そうな美女が、ウインクしながら付け加える。
広場が、どよめきと興奮に包まれる。
なんだこの状況。
公開フェチバトルでも始まるのか?
神崎瞬は、そんな喧騒を楽しむように微笑むと、侮蔑の色を隠そうともせずに俺を見下した。
「ガーターベルトこそ、女性の脚線美を究極に引き立てる、至高の芸術だ。ニーハイソックスなど、所詮は子供の遊びだよ」
その一言で、俺の頭にカッと血が上った。
「何だと!? 貴様、絶対領域の、あの神聖なる輝きを冒涜するのか!」
「絶対領域? 笑わせるな」
瞬は、心底おかしいというように肩をすくめた。
「そんな不確かな空間より、ガーターベルトのストラップが、女性の柔らかな太ももに食い込む、その瞬間に生まれる『官能の食い込み美』の方が、遥かに格上だとは思わないかね? あれこそが、男を狂わせる真の美だ!」
「このド変態が! 絶対領域の哲学も理解できないとは、嘆かわしい!」
「哲学だと? 女性に嫌がられるフェチズムなど、ただの迷惑行為だ。自己満足の変態に過ぎん!」
「許さん……! 今すぐその歪んだ性癖、俺が叩き直してやる!」
「面白い。どちらの『愛』が優れているか、実力で証明してやろうじゃないか」
俺と瞬の間に、バチバチと火花が散る。
もはや、戦いは避けられない。
「アリシア、ルナ、行くぞ!」
「え、ええっ!?」
「なんで私が……」
俺の仲間たちが戸惑いを見せる一方、瞬のパーティーは完璧だった。
「瞬様のために!」
「私たちのガーターベルトの力、見せてあげる!」
美女たちが、喜々として戦闘態勢に入る。
彼女たちの体から、ピンク色の官能的なオーラが立ち上り、その力が飛躍的に向上しているのが分かった。
「行け、俺のエンジェルたち!」
瞬の合図と共に、三人の美女が一斉に襲いかかってきた。
「ダンシング・ウィップ!」
グラマラスな美女が、鞭をしなやかに振るう。
その動きに合わせて、ガーターベルトが太ももに食い込み、彼女の魔力を増幅させている。
「トライアングル・スラッシュ!」
二人の剣士が、完璧な連携で俺たちを分断しようと切り込んできた。
その剣技は、力を楽しんでいるかのように華麗で、よどみがない。
対する俺たちは、あまりにもお粗末だった。
「アリシア! ニーハイを履いてくれ! 話はそれからだ!」
「い、嫌です! こんな人前で、またあんな恥ずかしい格好……!」
アリシアが、顔を真っ赤にして首を横に振る。
彼女は俺の能力の前提となる「変態行為」に躊躇し、全く力を発揮できないでいた。
「ルナ! 頼む! 俺のニーハイを!」
「変態の話など聞けるか」
ルナは俺の言葉を完全に無視した。
バラバラだ。これでは勝てるはずがない。
その無様な姿を見て、神崎瞬は勝ち誇ったように言った。
「見ろ! これが、お前と俺の決定的な差だ!」
彼は、恍惚の表情を浮かべる自分の仲間たちと、嫌悪と羞恥に顔を歪める俺の仲間たちを指し示した。
「俺の仲間たちは、心からガーターベルトを愛し、喜んでその力を受け入れている! だが、お前のニーハイソックスは、彼女たちに嫌がられているじゃないか!」
「そ、それは……」
俺は言葉に詰まる。
まさに、その通りだったからだ。
図星を突かれた俺に、アリシアが小声で呟くのが聞こえた。
「……確かに、すごく恥ずかしいです……」
隣では、ルナが忌々しげに吐き捨てた。
「変態だからな」
その言葉は、どんな強力な魔法よりも、深く俺の心を抉った。
瞬は、勝利を確信したように、優雅な笑みを浮かべた。
「女性に愛されてこそ、真の力を引き出せる。女性の心を理解しない、ただの変態には到底たどり着けない境地だよ。今日のところは、これくらいにしておいてやろう」
彼は、とどめを刺すことなく、俺に背を向けた。
「次に会うときは、お前のその独りよがりな愛を、完全に叩き潰してやる。覚えておけ」
薔薇の花びらが再び舞い散る中、神崎瞬と彼のパーティーは、現れた時と同じように、派手に光の中へと消えていった。
後に残されたのは、完膚なきまでに叩きのめされた俺と、広場にいる人々の、冷ややかな視線だけだった。
勝者である瞬に向けられていた賞賛とは全く違う、敗者である俺たちへの、憐れみと侮蔑が入り混じった視線。
俺は、初めて、自分の信念が揺らぐのを感じていた。
「……俺の、この愛が……君たちを、困らせているのは、事実だ……」
か細い声で、俺は呟いた。
いつもは揺るがないはずの、絶対領域への愛。
それが今、仲間を苦しめる足枷になっている。
すると、アリシアがおずおずと口を開いた。
「……あの……確かに、あなたの行動は、その……すごく変態だと思います。でも……あなたが助けてくれたのも、事実ですから……」
彼女の碧眼に、以前のような完全な拒絶はなかった。
そこにあるのは、複雑な、困惑の色。
続いて、ルナが、そっぽを向きながら吐き捨てるように言った。
「……あいつも、胡散臭い。紳士ぶってるけど、目つきはこいつと同じくらい気持ち悪かった。どっちも変態なら、まだ分かりやすいこっちの方がマシかもな」
「君たち……」
二人の言葉は、傷ついた俺の心に、わずかな光を灯してくれた。
だが、その光を打ち消すように、アリシアが根本的な問題を口にした。
「でも、もう少し……その、普通に、できませんか?」
普通に。その言葉が、重く俺にのしかかる。
「普通、か……。でも、俺は……俺の、この絶対領域への愛だけは、曲げられない……」
俺の答えに、ルナが、心底面倒くさそうに、この日一番の深いため息をついた。
「……本当に、面倒な奴だ」
完敗だった。戦闘でも、そして、愛の形でも。
俺の異世界ライフは、神崎瞬という、あまりにも厄介なライバルの登場によって、初めて大きな壁にぶち当たったのだった。