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第3話 紅蓮の竜殺し、嫉妬する

 ユーイの店を後にしたあの瞬間から、私の頭の中は一週間という時間が支配していた。


 たった一週間。


 だが、私の心はまるで一ヶ月、いや一年もの時間を引き伸ばされたように感じた。こんなことは初めてだ。


 Sランク冒険者「紅蓮の竜殺し」として、私は常に迅速な判断と行動を求められてきた。待つことなど、私にはできない。

 特に、一週間の間、あのちっぽけな鍛冶屋にいるユーイを見ることができないなど、想像もできなかった。

 

 どうしようもなく、ユーイに会いたかった。

 その衝動に突き動かされるままに、会いにいくべきだと考えた。


 次の日から、私の生活は一変した。

 今までならすぐに次の依頼を探し、魔物の巣を潰しに行くか、危険な遺跡の調査に出かけるところだ。

 だが、私は冒険者ギルドの依頼板の前でうろうろし、結局、薬師の薬草採取に同行する護衛依頼を一つ受けただけだった。

 それも、キサラエレブの街周辺の森で行われる、低ランク向けの仕事だ。普段なら見向きもしないような任務だ。

 しかし、この仕事なら午前中に終わるからすぐに街に戻ってこられる。

 そして、ユーイの鍛冶屋の近くにいられる。


「ロレッタさん……!? あの、Sランクのあなたが、この薬草採取の護衛を……ですか?」


 冒険者ギルドの受付嬢が、信じられないものを見るように目を丸くした。無理もない。これまで私が受けてきた依頼は、常に最も危険で、最も報酬の高いものばかりだったからだ。


「何か問題でもあるのか? 依頼は依頼だろう」


 私がにらみつけると、受付嬢は慌てて首を振った。


「い、いえ! とんでもございません! むしろ、ロレッタさんが同行してくださるなら、薬師さんも喜ぶかと……」


 半ば呆れたような、畏怖の混じった視線を背中に感じながら、私は冒険者ギルドを後にした。こんな下らない仕事など、一瞬で終わらせてやる。そして、残りの時間は全て、あの鍛冶屋に費やすのだ。

 薬草採取の警護の仕事はあっけなく終わった。

 道中、薬草を見つけては根を掘り起こす薬師の横で、私は何度も「まだか」「遅い」と無言の圧力をかけ続けた。

 早く鍛冶屋に戻りたいという焦りが、普段は冷静な私を突き動かしていたのだ。

 薬師が怯えたように顔色を変え、作業の速度を上げるのを横目に、私は内心で舌打ちをした。


 依頼完了の報告を冒険者ギルドでした後、私はすぐにユーイの店に向かうことはせず、わざと時間を潰してから店の前を通った。

 まだ午後の早い時間だ。こんな時間に店に行っても、修理は終わっていないだろう。ただ、店が開いているのを確認できればそれでいい。


 そう思って店の前を通りかかった、その時だった。


「ユーイくん、これ、お昼ご飯にって。いつも頑張ってるからね」


 その声に、私の足はぴたりと止まった。


 鍛冶屋の開いた扉の奥から聞こえてきたのは、軽やかで、明るく、そしてとても柔らかな声だった。

 私が耳にしたことのない、ユーイに向けられた優しい響き。


 恐る恐る店の奥を覗き込むと、そこにいたのはユーイと、そして一人の若い女だった。

 ユーイよりも少し年下に見える。

 いや、私よりははるかに幼い顔立ちだ。ふわりとした茶色の髪は肩まで伸び、柔らかな光を帯びている。

 作業着姿のユーイとは対照的に、彼女は清潔感のある明るい色のワンピースを着ていた。

 顔には、まるで太陽のような屈託のない笑顔が浮かんでいる。


 彼女の手には、湯気の立つ包みがあった。それをユーイに差し出している。

 ユーイは、いつものように少しだけ困ったような、だがどこか嬉しそうな顔でそれを受け取っていた。


「ありがとう、リリア。わざわざごめんね……」

「いいのいいの! ユーイくん、いつも根詰めてるんだから。ちゃんと食べなきゃダメだよ。あと、うちの道具屋で扱ってる商品、何か買いたいものあったら、私に言ってね。すぐに運んでくるから」


 リリア。その名前が、私の耳に奇妙な響きを持って飛び込んできた。ユーイの言葉に、彼女は笑顔で、慣れた様子で応えている。その距離感は、まるで長年連れ添った夫婦のようだ。

 いや、夫婦は言いすぎか。

 でも、私とユーイの間にある、あの張り詰めた空気とは全く違う。

 そこには、何の障壁もない、自然な交流が流れていた。


 私の心臓が、またドクンと鳴った。


 だが、今度はいつもの高揚感とは違う、ドロリとした重たい感情が胸の奥に広がる。

 

 これは、なんだ? 胸が締め付けられるような、嫌な感覚だ。


 私は身を隠し、二人の様子を窺い続けた。

 

 リリアという女は、ユーイに食事を渡しただけでは終わらない。店の棚をさりげなく拭いたり、散らかった道具を片付けようとしたりする。

 ユーイが慌てて「大丈夫!」と制止するが、彼女は「少しでも役に立てればと思って」と、優しい笑顔で言う。


「ユーイくん、この前の新しい砥石、もう補充した? あれ、すぐになくなるって言ってたでしょう?」

「うん。ちょうど今朝、発注したところだよ」

「そう! なら良かった。うちのお店にも新しく上質な鋼材が入ったから、ユーイくんのところに持っていこうかと思ってたんだけど、間に合わなかったかな」


 リリアは、店の商品のことまで把握しているようだった。ユーイも彼女の言葉に、いちいち丁寧に答えている。


「あの、ロレッタさんの依頼の武器、すごい量ですね。ユーイくん、大変そうだけど、頑張ってるよね」


 リリアの言葉に、ユーイが小さく頷く。


「うん。でも、Sランクのロレッタさんに、僕の腕を見てもらえるのは、光栄なことだよ」

「そっかぁ。でも、無理はしないでね。ユーイくんは、アッシュさんの跡を継いだばかりだし、これからが大事なんだから」


 彼女は、ユーイの身を心から案じているようだった。

 その言葉一つ一つが、ユーイの心にまっすぐに届いているのが、私には分かった。

 そして、それが、どうしようもなく私を苛立たせた。



 私がしたいことだ。ユーイの疲労を気遣い、食事を差し入れ、店の心配をしてやる。私だって、そうしたい。


 だが、私が「休め」と言えば、彼は「ご期待に沿えるよう、精一杯やらせていただきます」と返す。

 私が「腕は確かだろう」と言っても、彼は「ロレッタさんにそう言っていただけると嬉しいです」と恐縮するばかりだ。


 なぜだ!

 なぜ、私では、こんなにも自然に彼と話すことができない?

 なぜ、私の言葉に対して、いつも彼は怯えるのか? なぜ誤解されてしまうのか?


 リリアとユーイの間に流れる、何の隔たりもない穏やかな空気。

 それは、私がどんなに願っても、ユーイとの間には決して生まれないもののように思えた。

 私の心臓を締め付けるこの感情が、一体何なのか、私は初めて薄々理解し始めた。


 これは、嫉妬だ。


 私がユーイの隣に立つ彼女に抱いているのは、嫉妬だ。

 そして、嫉妬するということは……。


 私は自分の考えに、ガツン、と頭を殴られたような衝撃を受けた。

 馬鹿な。この私が?「紅蓮の竜殺し」である私が、こんな……。

 そんな感情は、私には無縁だと思っていた。いや、無縁であるべきだと、そう思い込んでいた。


 これまで、多くの男たちが私に言い寄ってきた。

 しかし、私はいつも鼻で笑い、興味を示さなかった。男などと語らうのは時間の無駄だと思っていた。剣を極め、魔物を討伐し、名を上げる。それが私の全てだった。


 それが、このちっぽけな鍛冶屋の、臆病で、いつも怯えているような男に、こんなにも心を乱されるなんて。

 しかも、こんな、醜い嫉妬の感情まで覚えるなんて。


 私の身体が、熱を帯びる。

 怒りとは違う、焦燥と、今まで感じたことのない情けなさがない交ぜになったような熱だ。リリアとユーイの会話は、まだ続いている。彼女はユーイの髪に、埃がついているのを自然に払ってやった。ユーイは少しだけ照れたように笑った。


 その光景に、私は奥歯を強く噛み締めた。今まで感じたことのない、強い衝動が私の胸に湧き上がる。

 この、わけのわからない感情を、私はどうすればいいのか。そして、この「リリア」という女。


 私は、店からそっと身を引き、人目を避けながらその場を離れた。

 街の喧騒が、私の耳には届かない。心臓のドクドクという音だけが、耳元で大きく響いている。


 このもどかしさはなんだ。ユーイの隣に立つあの女が、私の心をこれほどかき乱すのは、なぜなのだろうか。

 私の頭の中は、先ほどのユーイとリリアの光景でいっぱいだった。あの自然な笑顔、優しい声。私の胸に渦巻く得体のしれない熱は、あの女のせいだ。


 この不器用な「紅蓮の竜殺し」である私は、未だ確信を持てずにいた。


 しかし、この苛立ちと、抗いがたい衝動が、私を突き動かし始めるのは確かだった。


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