第92話 取材
「お邪魔します! 北條敬です!」
土曜日に、北條とアシスタントの男性2人が遠園シニアのグラウンドにやって来た。
友樹たち選手が練習している間に、監督とコーチ2人がインタビューを受ける。
カメラを持ったアシスタントは、キャプテンである新藤を映すと、次は草薙の元に来た。
「草薙さんをメインにさせていただいてもよろしいですか?」
北條の言葉を、監督は予想していたようだ。
「草薙次第です」
草薙も、なんとなく覚悟をしていたようで、落ち着いている。
「父の許可は取れました。大丈夫です」
そのとき、北條が驚いた顔になった。
「もしかして、リトルのときに取材した……?」
北條は思いだしたようだ。
「はい、そうです」
北條が目に涙を浮かべる。
「野球を続けてくれていたんだね! 女子が野球をするのは困難なのに!」
感涙してしまった北條に、草薙は困っている。
「泣かないでください」
「だって、元気に野球を頑張ってくれていたなんて、嬉しいじゃないか!」
「ありがとうございます」
「ぜっったいに草薙さんメインでお願いします!」
北條の勢いに押されて、皆でこくこく頷いた。
草薙のいつもの練習量を伝えるために、浅見コーチの鬼ノックをカメラの前で披露することになった。
皆は脇に避け、草薙と浅見コーチがグラウンドの中央に立つ。
「はーい!」
草薙の『準備はできている』という掛け声が空に響いた。カメラが回っていても草薙は落ち着いていて、大丈夫そうだ。
浅見コーチがノックを打とうとして――すかっ、とバットが空を切る。ボールがぽとりと落ちた。
「カットォ!」
「すみません!」
浅見コーチが顔を真っ赤にして頭を下げる。
「浅見くん、まさか君が緊張しているのか」
呆れ顔の監督に、浅見コーチはぺこぺこ頭を下げる。
「いいですよ! 時間はたっぷりありますからね。落ち着いてください」
北條のフォローに、浅見コーチは恥ずかしそうに頷いた。
その後、何度も打ち損じる浅見コーチに、遠園シニアの選手たちは笑いを必死でこらえた。
浅見コーチに悪いなと思いつつ、友樹も面白いと思ってしまっていた。
「いつもはもっと鬼のようなノックなんですよ」
草薙が眉間に皺を寄せながら、北條に訴える。
「うん。そうなんだね」
北條まで笑っている。
浅見コーチは緊張のあまり、天使のようなノックしか打てなかったのだ。あれじゃあ草薙が普段どれほど努力しているか視聴者に伝わらない。
「あの、あと1回やらせてください……」
浅見コーチのバットを持つ手が震えている。
友樹は笑いそうになったが、隣の新藤に頬を突かれた。
「おい、笑ってやるなよ」
と言いつつも、新藤も口元がにやけている。
結局、浅見コーチはまあまあなノックしかできなかった。これじゃあ草薙の強さが伝わらない、と友樹は不満に思う。
昼休憩になっても、浅見コーチは調子を取り戻せずにいた。
「大丈夫ですか」
新藤に気遣われて、浅見コーチが苦笑いを浮かべる。
「香梨の足を引っ張りたくないんだけどねー。表舞台に立つのは緊張するよ」
そこに北條が来て、浅見コーチと新藤と同じブルーシートに座った。
「でも、浅見さんは高校時代に甲子園に出ているじゃないですか」
初耳で、友樹はびっくりして浅見コーチを凝視する。友樹だけでなく、皆が浅見コーチを見た。浅見コーチは肩をすくめる。
「もう10年も前のことですよ」
「江永高校の一年生の正遊撃手の浅見渚! 怪我さえなければプロになれた逸材だと言われています!」
北條が熱く言うと、浅見コーチは恥ずかしそうにした。
「あはは。怪我をしてからはマネージャーですよ」
「大学では学生コーチをなさっていたんでしょう」
「よくご存じですね」
「このくらいは調べさせてもらいますよ」
北條は遠園シニアの歴代監督や、出身OBのことも頭に入れているようだった。
「ユーチューバーって凄いんだな」
新藤が呟くように言ったので、友樹も頷いた。自分がプレーするわけではなくても、野球を専門に扱うというのは大変なことなのだろう。
浅見コーチだって自分がプレーヤーになれなくなっても、学生コーチになって野球を続けた。
俺も、どんな形でもいいから一生野球に関わっていたいと友樹は思った。
友樹が未来を考えたのは、初めてのことだった。
午後の練習はいつも通りで、合間に北條が一軍の皆を1人ずつ取材して回るという形だ。
友樹の元にゴロが来る。友樹はもともと下に持っていたグラブを両脚の真ん中に出し、右脚に体重をかけてゴロを待つ。そして捕球すると右脚にかけていた体重を左脚に移すというワンステップの動作で一塁に送球する。
そこに、北條が来た。
「井原くん」
「はい」
北條そのものは親しみやすいが、隣のカメラマンを意識してしまって友樹の声が硬くなった。
「君、他の子と動きが違うね」
友樹は驚いた。たった1球で気づくとは。やはり北條はただものではない。
「ここの皆は半数が遠園リトル。残りが遠園中央少年野球チーム。何人か遠園西少年野球チームもいるね。君が唯一のそれ以外の子だね。……遠園東少年野球チームの井原友樹くん」
友樹はグラブを脇に挟んで持ち、北條の鋭い視線を受け入れて大人しくした。
「遠園シニアの他の皆は、ゴロ捕球の場合はボールに左側から入って行くのに、君はそうじゃない。送球に移る際のステップも違う。誰の影響を受けた?」
友樹は、動画サイトを見て参考にしたプロ野球選手の名前を口にした。
「なるほどね。確かに。君はうまい」
「ありがとうございます!」
「君は何を目指しているの?」
「え?」
「甲子園? それとも、プロ?」
友樹は、どうしよう、なんて答えようか、と焦った。
中学でも野球をして、高校でも野球をして、大学に行けたなら大学でも野球をしたいと思っていたが、甲子園だとかプロだとかは考えたことがなかった。弱すぎるチームにいたので、今日の練習のことを考えるので精いっぱいだった。
答えられない友樹に、北條は優しく微笑みかけた。
「難しく考える必要はないよ」
「はい……」
「まあでも、君が考えなくても、周りが君を放っておかないかもね」
それは嬉しいことなのかどうか、友樹には分からなかった。
〇
ついに、遠園シニアの動画がサイトに掲載された。
友樹は休憩時間に室内練習場内の部屋でパソコンを見ている。
草薙や新藤、高見を褒めるコメントが多数を占める中、友樹は自分へのコメントを見つけた。
『一軍の一年の子、めっちゃうまい!』
『体はこれから大きくなるから、伸びしろがある』
『あの動き、周りと違う』
友樹の心臓の鼓動が大きくなっていく。
『将来が楽しみだ』
周りが君を放っておかないと北條が言っていたが、本当にそうなってしまうのだろうか。
ドアが開いて、浅見コーチが入って来た。
「周りの声は気にしなくていい」
浅見コーチの手が友樹の手からマウスを取って、画面を閉じた。
「北條さんがいろいろ言っていたけど、気にしちゃ駄目だよ」
「気になります! だって、周りの声に応えればもっと強くなれるはずです。水上だってそうでした」
浅見コーチは、普段は少年のような笑顔を見せるが、今浮かべているのは年相応の苦笑だ。
「俺は水上くんのことも心配だけどね」
「心配ですか?」
「彼が周りの期待に潰れる可能性もあるだろう?」
友樹は勘づいた。
「浅見コーチは周りの声が嫌だったんですか?」
浅見コーチの苦笑した姿はやはり、いつもと違う。
「浅見コーチのことも気になります。甲子園に出たって……」
「あはは。俺はもう、コーチだ。選手じゃない」
友樹は確信した。浅見コーチはきっと、周りのために野球をしていた過去があるのだと。
浅見コーチが「もう終わりだ」と言わんばかりにノートパソコンを閉じた。
「さあ友樹。練習だ!」
浅見コーチは流れを断ち切るようにそう言った。
「はい!」
友樹は気を取り直して大きな声を出した。これ以上は聞いても答えてくれないだろうと分かったのだ。
それに、『周り』があってもなくても、練習することは同じだ。