第91話 スイッチトスの練習
東北大会で優勝したからこそ、遠園シニアは気を引き締めて練習していた。
シニアの練習がない平日の放課後。
河原の誰でも使えるグラウンドで、友樹は二年生たちと一緒にいた。
「草薙さん!」
一二塁間の二塁よりで、友樹は叫ぶように彼女の名を呼ぶ。
草薙が走りながら、グラブを差し出すように構える。
友樹は右手にボールを持ちかえず、グラブから直接草薙にトス――グラブトス――した。綺麗な弧を描いたボールだが、僅かに距離が短く、草薙に届かない。ボールが地にぽとりと落ちた。
はあ、と草薙が腕を組んでため息をつく。
「やっぱり、『スイッチトス』は必要ないんじゃないの?」
友樹は返す言葉が浮かばずに、唇を結んだ。
「おお? 諦めるのかー?」
マウンドの沢が2人に声をかける。
友樹と草薙は、一軍の二年生たちの協力のもと、『スイッチトス』の練習をしていた。
今まで2人はダブルプレーを取る際に近い位置からグラブトスをしていたが、今回は違う。
今練習しているスイッチトスは、一二塁間で捕球したセカンドが一塁に投げにくい場合を想定して、セカンドがショートにトスしてショートが一塁に投げ、バッターランナーをアウトにするというものだ。
ダブルプレーを取るのではなく、2人で協力してバッターランナーをアウトにするというわけだ。
「本当に必要なの?」
草薙に疑われてしまっている。
友樹としては、戦略の幅が広がると思っている。
投げにくい体勢のセカンドが体勢を立て直してから投げるよりも、セカンドからスイッチトスを受け取ったショートがいい体勢から送球するほうが速いのではないかと思っている。
だけど、そもそもグラブトスは難易度が高い。今まで2人は土壇場で2度成功させているが、それは距離が近かったためだ。
スイッチトスの難易度はさらに高い。
沢にピッチャー、松本にキャッチャー、ファーストに福山、サードに檜、バッターランナーを西川にやってもらい、それを稲葉に動画に録ってもらっている。
「井原は投げるのがうまいから、スイッチトスは必要ないだろう」
稲葉が苦笑いする。
ちなみに、この練習は監督とコーチ2人には内緒だ。絶対に、「必要ない」と言われると分かり切っているからだ。
新藤には許可を取っているが、彼は参加しなかった。「俺は打撃の練習をするから」とのこと。
「ともっちは普通にやればいいんだよー」
西川も稲葉に同意のようだ。
「まあ、相手の度肝を抜けるとは思うけどな!」
沢が笑っている。
草薙がじっと友樹を見た。
「挑戦するのはいいけど、それで失敗したらチームに迷惑がかかるから」
草薙の言う通りだ。
「私はもう、チームに迷惑をかけたくない」
「かけたことがあるんですか?」
草薙が、ふふ、と笑ったが、自虐的な笑みに見える。
「なんで私が前に二軍にいたか。あんたは知らないか」
イーグルスカップ――当時一年生だった草薙が代走として出た、秋の大会――で、彼女は攻めすぎた走塁ミスを2度もしたと、新藤から聞いたことがあった。草薙から直接聞いたわけではないので、この場では黙っておくが。
草薙が首を傾げたので、友樹も首を傾げた。
「いや、あんたのことだから、『何があったんですか』とか聞いてきそうなのになって」
「何があったんですか?」
さっそく聞いた友樹に、草薙だけでなく二年生の皆が笑ったが、友樹は真剣だ。草薙のことならなんでも知りたい。
「盗塁を失敗したし、無茶な進塁をしようとしてアウトにされた。そのせいで、負けた」
「でも、チームのためにしたんでしょ? 気にする必要はないと思います」
「本当にチームのためだったか、怪しいと自分でも思う。……あのときは、野球を応援してくれない両親に実力を見せたいと思っていたし」
「そうだったんですね……」
「女子でもできるってことを証明したかった」
友樹は草薙の思いに口を出せない。
「あと、新藤さんに言われたってのもあっただろ」
檜が口を挟んだ。
「草薙は足が武器だから積極的に行けって」
新藤は、その件に関して「俺の言葉が悪いほうに働いた」と後悔していた。
「そうだね……。新藤さんが気にしてなきゃいいんだけど」
「新藤さんは優しいからなあ。気にしてなきゃいいんだけどな、本当に」
福山がそう言った。
実際に新藤は気にしていたと友樹は知っている。
新藤さんは、今はどう思っているのだろうか、と友樹は思った。春季大会と東北大会を経て、新藤の胸のつかえが取れているといいな、とも思う。
新藤のことを思って、皆が少ししんみりしたところに、松本が、
「新藤さんを心配する暇があったら、自分のことを心配しな」
と、フォローした。皆も頷く。
「井原もだぞ」
「え?」
松本が友樹を真剣な眼差しで見た。
「一年生で唯一の一軍。頑張りたいのは分かるけど、周りとの歩調も合わせろ。スイッチトスをしたいのが真面目な気持ちだってのは分かるが、草薙に迷惑をかけんなや」
友樹はいろいろ言いたいこともあるが、言わないことを選んだ。
「はい。すみませんでした」
「分かればいいんだ」
「まあ、井原は突っ走り気味だもんな」
稲葉が笑って、
「新藤さんに突撃したあのときの先輩がたの目。怖かったなあ」
と言うので、友樹は黙るしかない。
「やる気がないよりはいいじゃねえか」
沢がフォローしてくれた。
「俺は一軍にともっちがいて、楽しいよ!」
西川も優しい。
「じゃ、スイッチトスの練習は終わりだな」
と檜が言い、この場は解散となってしまった。
友樹はどうしてもスイッチトスの練習を続けたかったが、草薙の思いを無視できない。
チームを思う草薙さんはやっぱりいい選手だと友樹は思った。
スイッチトスの練習が後に繋がることを、このときの友樹は知らなかった。