第88話 1番セカンド友樹
選手権東北大会決勝。
東北教育仙台シニア対遠園シニア。
遠園シニアのベンチは三塁側だ。三塁側内野席に遠園シニアのスタンドのメンバーと保護者たちが座った。
外野席には北條と、水上や鳥海などの青森山桜の選手の数名がいる。滝岡シニアもレフト側の外野席に座った。
東教仙台シニアのベンチは一塁側で、内野席に座るスタンドのメンバーは遠園シニアのスタンドメンバーの2倍の人数だ。
外野席にはたくさんのスカウトがいて、入江を見ている。
山形県は岩手県よりだいぶ暑い。太陽の熱光線が降り注ぐ山形市の真昼のグラウンドはかいた汗を蒸発させる。
「オーダーを発表する」
監督もいつもより気合が入っている。
哲浩のために勝ちたい。絶対にスタメンがいい、と友樹は思った。
「一番、セカンド井原」
「はい!」
これで、哲浩に勝った入江と戦える!
それだけではない。
友樹は草薙をこっそり見上げた。打順一番を草薙から奪ってしまった!
草薙もこっそりと友樹を見ていたので、2人の目が合う。2人ともすぐに目を逸らした。
前を向いた友樹は、口元がにやけそうになるのを、なんとか抑えた。
まだショートは奪えないけど、少しずつ草薙に近づけている気がする!
「二番、ショート草薙」
「はい」
草薙が気を取り直したように返事をした。
三番サード新藤。
四番レフト桜井。
五番ライト西川。
六番ピッチャー高見。
七番センター檜。
八番キャッチャー坂崎。
九番ファースト福山。
監督の狙いに、友樹含め皆がすぐに気づいた。監督も、皆に「そうだ」と頷いた。
「入江さん対策で、左打者を新藤だけにした」
普段スタメンの岡野と山口は左打者だ。一般的に、左打者は左投手に分が悪い。
岡野と山口は、西川と檜の背や肩をバンバン叩いて応援した。
草薙と福山と仲のいい檜は、2人と一緒に公式戦に出られるのをとても喜び、タックルする勢いで福山に抱きつく。草薙が右手で檜の背を叩く。草薙は普段、男子たちにグラブで触れる。素手で触れるのは珍しい。
自分だけでなく、皆もそれぞれの想いを持っているのだと、友樹は実感した。
「やったあああ! やりましたああ!」
西川が馬鹿でかい声でスタメンを喜ぶが、新藤が苦笑いした。
「勝ったみたいなテンションだな」
新藤の言葉に、岡野と山口も笑った。
気合が入っていた監督も、選手たちの無邪気な姿に顔をほころばせた。
「さあ! 優勝だ!」
「うす!」
遠園シニアはグラウンドへ向かう。
ホームを挟んで東教仙台と向かい合う。
入江は草薙より背が高い。高見と同じくらいなので、172センチだろう。中三の女子としては長身だ。
入江はショートカットだが、一目で女子だと分かる可愛らしい顔立ちをしている。
草薙は可愛いというより綺麗だ。姫宮はショートカットの草薙を、名前を知るまでは男子だと思っていた。だからこそ、女子だと分かると野球を辞めろとか言ってきたのだ。
友樹はレフト側の外野席を見上げた。
姫宮が草薙を見つめている。心から応援しているのが伝わってくる。
友樹は今、姫宮に対して、普段と違って穏やかな気持ちだ。普段のライバル心はなりをひそめている。姫宮の涙を見たからだろうか。
姫宮の隣に哲浩がいる。
目が真っ赤の哲浩の悔しさは、例え俺が打ったとしても晴れないだろう、と友樹も分かっている。自分も、熊野の球を打ち損じて水上に打ち取られたあのとき、誰かが代わりに打ってくれたとしても、泣き止まなかったと思う。
だけど、それでも入江の球を打ちたい。哲浩のためだけではなく、純粋にそう思う。
「プレイボール!」
「お願いします!」
一回表は、高見が悠々と三者凡退に抑えた。西川がはしゃいで監督に「声がでかい」と言われていた。
一回裏。
入江が投球練習をする。
三日月スライダーは、鋭利に尖った三日月を横にしたみたいによく曲がる。ストライクゾーンの外角より外側の位置から、ストライクゾーンの内角より内側の位置まで、ボールが空間を横に移動するみたいだ。
綺麗な球だな、と素直に思いたくない。
一番セカンド井原友樹。
まだ6月だというのに熱光線が降り注ぐような暑さの中、友樹は右打席の土をならす。東教仙台の三番打者が、くっきりと土に跡を残していったのだ。
満足するまでならして、友樹は1度大きく素振りした。もう、汗が顎を伝う。
マウンド上の入江も、汗はかいているだろう。だけど入江は涼しそうに澄ました顔をしている。
マウンドに立つ入江は、草薙よりも1年分、大人の女性に近い。
表情は穏やかで、仲間たちの声に返す声は深く澄んでいる。
まつ毛の長い入江の丸い目に見られて、友樹は負けたくないと思った。
草薙さんに打たれればいいと、そして、その前に俺が打ってやるのだと。
入江はピッチャープレートの一塁側ぎりぎりに立つ。友樹に真正面から向かい合わず、横を向いて立っている。
右足をすっと上げるセットポジション。
背中側から出てきた左腕がしなる。横に大きく弧を描くサイドスローだ。
投球は、左打者の背中側くらいの位置に投げられた。
遅い。
三日月スライダーだ。一球目から投げてきたのだ。
右打席で、友樹は迷った。
ここまで曲がってくるのか?
本当に?
ぐぐっ、と球の角度が変わる。
そうか、哲浩も姫宮さんもこれに騙されたんだ、と友樹は理解した。
友樹は慌てて、腰を回転させてバットを出す。
ストライクゾーンの中に、三日月スライダーが入り込んでくる。外側から、ストライクゾーンの真ん中付近に滑り込もうとしてくる。
友樹は曲がり方を読んで、ストライクゾーン真ん中付近を狙って、バットを当てにいった。
全力のスイングが、空を切った。
「ストライク!」
友樹は打席を外して、息を整える。
心臓がばくばくする。
全く見えなかった……。
食い込んでくるから、当てにいこうと思っていたのに、曲がり方が大きすぎた。
二球目。
ストライクゾーン外から、ストライクゾーンを抉るように滑り込んでくる三日月スライダーを振ったが、今度はバットのグリップに当ててしまった。
曲がりかたが大きすぎる。
友樹は打席を外すと、哲浩を見上げた。
負けられない理由がある。
そして、打席に戻る。
三球目も、三日月スライダーだ。
ボールゾーンからストライクゾーンに入ってくる、ここだ、と友樹は振った。
「ストライク! バッターアウト!」
友樹は目を見開いて、ホームベースを見下ろしながら、さっきの三日月スライダーの軌道を思いだす。
ストライクゾーンの外側から、ゾーン内を通り過ぎて、内側のボールゾーンまで来たのだ。全く、目で追えなかった。
哲浩に会わせる顔がないと思って、外野席を見上げることができなかった。
友樹はため息をつくのをこらえて、草薙を見た。草薙がネクストバッターサークルから立ち上がる。
草薙さん、打ってください……と、普段なら言った。
だけど、今回は言えなかった。
あれを打つイメージが頭に浮かばない。
まるで月の光のように、追いきれない。捉えられない。
無言で草薙を見つめた友樹の背を、草薙が叩いた。
「まあ、いいよ」
「え?」
友樹は驚いて草薙を見た。草薙がそんな妥協したようなことを言うとは、思っていなかった。もっと素振り増やしなさいよ、とか言われると思っていた。
まあ、いいよと言われると、何故だか友樹はいらっときた。まるで期待されていなかったように感じてしまった。
「よくありません! 次は打ちます!」
草薙が楽しそうに笑った。
「次の打席で打てればいいって、言おうと思ってたんだけど」
「そうですか」
期待されていないと感じたのは、気のせいだったみたいだ。友樹は少し恥ずかしくて頬をかいた。
「たとえ全ての回を三者凡退にされたとしても、打順一番二番三番はチャンスが1回多いでしょ? 焦らずに、最後に打てばいいんだ」
「はい」
草薙が微笑んだ。
「まあでも、私のほうが先に打てるかもね」
ついつい唇を尖らせた友樹に、草薙は笑う。
草薙が打席に立つ。