表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/103

第84話 強さ

 七回表。

 青森山桜(さんおう)の攻撃。

 遠園のピッチャーはエース高見。


 4点のリードを守ればいいうえに、エースがマウンドにいる。遠園シニアに恐れは1つもない。


 青森山桜の左打席に、二番水上が入った。


 水上は歯を食いしばり、目に涙を浮かべている。ライトスタンドの北條に2度頷いた。


 くる。水上はきっと打ってくる。友樹にはそんな予感がする。涙を浮かべているけど、やわな感じではない。

 水上が涙の膜を通して見ているものはきっと、敗北の可能性ではない。

 ここでやらなきゃ誰がやる、そんな昂った気持ちで打席に入っているのが、水上を見ているだけで分かる。


 友樹は迷った。

 1歩後ろに下がるか?

 それとも下がらないか?


 下がらない。


 水上のスイングに迷いがない。

 高見のツーシームにタイミングを外されながらも、ファールにしてしのいでいる。

 前に飛ばしてくれれば友樹たちで容易にアウトにできるのに、水上の打球は必死にファールゾーンに逃れる。

 打球を逃しながらも、水上は逃げではなく攻めの心を持っている。逃げるのは、反撃のタイミングを窺っているからだ。


 それが八球も続いた。

 スリーボールツーストライク。

 マウンドの高見は表情を一切変えない。

 水上はライトスタンドやベンチを一切振り返らず、高見だけを睨む。


 水上にわくわくさせられるなんて嫌だなと思いながらも、友樹の口角は知らないうちに上がっていた。

 

 九球目。

 高見のツーシームが左打者の水上から逃げようとする。

 水上のスイングは、止めるという選択肢のない渾身のものだった。

 高見の技が込められたボールを、水上の全ての力を受け取ったバットが叩く。

 球場に打撃音が響いた。


 打球は右側へ、発射されたかのように飛ぶ。

 一二塁間の中間を破ろうとする。


 友樹が追う。

 正面じゃ間に合わない。左腕を右側に伸ばして、走りながら半身になって捕ろうと、グラブを出した。


 打球が来る位置に、グラブを出した。

 よし、これで捕れたぞ、と思ったときだった。


 打球の勢いが強すぎる。

 パン、とグラブを弾いて、ボールに逃げられた。

 まるで、お前に捕まえられたくない、とボールに意思があるかのように。


 負けるな。

 友樹はさらにボールを追う。

 ここで抑えれば勝ちに近づく。

 俺の体、もっと速く動けよ、と友樹の気持ちばかりが焦る。


 グラブに全神経を集中させて、打球を捕まえようとして――それなのに、打球に逃げられた。


 水上が一塁を駆け抜け、ライトスタンドにガッツポーズし、ベンチにもガッツポーズした。


 記録はヒット。

 強襲ヒットだ。


 友樹のグラブから逃げ延びたボールは、外野まで転がらずに、役目を終えて死んだかのように止まった。


 打球の勢いが強すぎて、捕れなかった。友樹は、水上との勝負に負けたような気がした。水上の意地を、押さえつけられなかったように感じたのだ。


「大丈夫?」


 草薙が三遊間から、二遊間にいる友樹に駆け寄ってくれた。


「弾いてしまいました」


「うん。あれは強かった」

 

 友樹は荒い息を整えようと、深呼吸をした。


 ベンチとスタンドの仲間たちと、北條、そして球場のスカウトや観戦者たちの拍手を、水上は堂々と浴びている。

 弱気になんて、なりたくない。だけど、それでも、水上と自分は違い過ぎると思ってしまった。


「水上は周りの期待に応え続けたから、こんなに強くなったんですね」


「そうだね」


「どうしたら勝てるんでしょうね」


 草薙が首を傾げた。


「あんたは水上に負けてるの?」


 何を言ってるんですか、と友樹は思った。


「俺は今まで周りの期待なんて気にしないで野球をやってたんですよ。負けてます」


 自分1人で野球をやり続けたことには、確かに誇りがある。だけど、野球は1人ではできないという、当たり前の事実が友樹にのしかかってくる。周りに見られ続けて磨かれた、輝く力にいつになったら追いつけるのか。


「周りがなくたって、自分で自分を作ったじゃない」


 今まで全く考えていなかったことを言われて、友樹は目を丸くした。

 草薙が続ける。


「井原は自分で自分を作ってきた。それが井原の強さだよ」


 草薙は普通のことのように言った。

 友樹がこの言葉にどれほど救われるか、どれほど希望を持てるかを、彼女は分かっていないのかもしれない。

 友樹の顔が明るくなる。猫目がぱっちり開かれる。丸い頬が持ち上がり、口角も上がる。

 

 もっともっと作ろう。

 水上に勝てる自分を。

 草薙の横にいられる自分を。

 誰よりも強い井原友樹を作ろう。


「あっちゃんに続けー!」


「続け続けー!」


 水上の出塁で、青森山桜シニアのベンチとスタンドは活気づいた。


 三番打者のセカンド鈴木が気合を入れて叫び、右打席に入った。


 高見が2度牽制したが水上は平気だ。

 友樹は水上の盗塁に備えて二塁ベースの近くにいる。いつ来てもタッチできるように。


 高見の三球目で、水上が走りだす。

 友樹は二塁ベースの前に走り、坂崎のストライク送球を受け取ると、叩きつけるかのように水上の脚にタッチした。


「セーフ!」


 坂崎と友樹にミスは1つもなかった。それどころか、2人とも好守だった。

 それでも水上がセーフになったのは、水上が全神経を集中させて最高のスタートを切ったからだ。

 

「どうだ」


 水上が笑う。八重歯が覗く。

 きっと、水上は友樹を挑発したかったのだろう。

 だけど、友樹の中には草薙の言葉がある。俺は俺を自分で作ってきた。

 そう思えるようになると、もう水上への怒りはなかった。

 

「お前は凄いやつだよ」


 友樹の中から、そんな言葉が出てきた。

 俺は俺を作って来たけど、それが俺の強さだけど、それでも期待に応え続けたお前は凄いんだよと友樹は心から思った。


 弱いチームで、練習の合間にゲームの話なんかしていた。監督もコーチもちっとも怖くなかった。部員は最大で11人だったからレギュラー争いもなかった。親に野球のプレッシャーをかけられたことは1度もない。2人とも友樹が健康なだけで褒めてくれた。


 小学生の頃から周りに見られて、周りに勝ち続けてきたお前は本当に凄いんだよと、水上に言葉としてわざわざ言う気はないが。


 挑発が効かなかったどころか、素直に褒められて水上はあたふたしている。


「なんだよ! べ、別にお前に褒められたってちっとも嬉しくなんかねえよ!」


「そうだね」


「なんなんだよっ!」


 穏やかな顔で守備位置に着いた友樹に、水上はむすっとしている。

 水上はむすっとしているが、嫌そうではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ