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第81話 恐ろしいやつ

 審判が横に大きく両腕を広げる。


「セーフ!」


 草薙が一塁から三塁側ベンチに大きく手を振る。

 普段は蕾のような笑顔しか見せない草薙が、大輪の花のような笑顔になった。

 そして草薙は打席に立つ友樹にも、花咲く笑みを向けた。


 友樹は草薙の笑みに見惚れて、一瞬、球場のざわめきが聞こえなくなった。

 草薙はこんなに綺麗に笑う人だと、初めて知った。

 草薙選手の中にいる草薙香梨さんを見た。

 友樹も笑顔になる。頬が熱い。


 三塁に福山、一塁に草薙。

 友樹はバットを構えた。


 熊野は少し肩で息をしているが、顔は強気だ。

 友樹は強気を作る。

 気の強いほうが勝つ。

 気持ちが技術を開花させる。

 草薙だってそうだろう。


 小さな変化のスライダーを打つと、フェアにギリギリのファールになった。

 タイミングを掴んだ。これならいける。


 熊野の元にキャッチャーが駆け寄った。ピッチャーが間を取っても、友樹に負ける気はない。

 キャッチャーが熊野を笑顔で励まして、ホームに戻った。

 熊野がいい腕の振りで、投げてきた。

 友樹の目に、投球の軌道がくっきりと見えた。大きく弧を描くように落ちていく。

 大きな変化のスライダーだった。ついに、投げてきたのだ。

 友樹は軽く上げていた右足を地にしっかりと踏み込むと、落ち着いてスイングした。

 打球は気持ちよく前へ飛んでいく。そして、落ちて弾む。綺麗にセンター前に打ち返した。


 三塁ランナーの福山が生還し、遠園シニアは1点を返した。


「やったぞ!」


 ベンチから飛び出す勢いで皆が手を叩き、友樹にガッツポーズした。友樹も笑顔でガッツポーズを返す。友樹の心に灯りがともる。

 パチパチと、福山が全員と手を叩き合わせる。

 こういう、皆で一緒に喜ぶのも野球のプレーの一部だと感じる。

 これから、もっともっと喜びを作っていこう。


 三番新藤が左打席に入る。

 なんだか打ってくれそうな予感がすると、本当に打つものだ。


 新藤のレフト前ヒットで、草薙が三塁を回る。

 青森山桜のレフトの送球は素晴らしかったが、草薙のスライディングはそれ以上のものだった。

 これで遠園シニア2点目。


 友樹は三塁へ。新藤は一塁。


 四番桜井が四球を選んで一死満塁。


 五番坂崎を抑えたのはショート水上だ。

 三塁にいた友樹は水上を間近で見た。

 水上は心が強く技術もある。2つが合わさって大きな力を発揮する。


 六番岡野がライト前ヒットを打ち、友樹はホームに生還した。仲間たちと手を合わせて、喜びを心の中に留めずに目に見えるように表現する。

 遠園シニア計3点だ。


 草薙と笑顔でハイタッチできて、友樹の心の灯りがますます燃える。


 七番山口の打球を、水上は転びながら捕り、すぐに地に膝を着きながら二塁へ送球してアウトにした。


 今のは体のバランスを崩して、投げられなくてもおかしくないプレーだった。気持ちで体を制御したとしか思えない。やっぱり、水上は強い心を持っている。


 水上がライトスタンドの北條にガッツポーズした。

 水上は人からの期待を心に受けて、火にして力を得ている。

 水上に勝つには、水上だけを見ずに、もっとたくさんのものを見る必要がある。


 3対3の同点で、三回が終わった。


「草薙さん!」


「うん。打てたよ」


 草薙が友樹に振り返って微笑んだ。友樹が彼女の名前を呼んだだけで、言いたいことが伝わった。

 かつて2人とも敗れた相手に、2人とも勝てた。その喜びは大きくて、「嬉しいです」とか「やりましたね」とか、言葉にすればたくさんある。


 自分が打てるだけでも嬉しいが、草薙が打ってくれると喜びが倍になる。

 この気持ちが、名前を呼ぶだけで伝わった。

 草薙に檜が話しかけると、草薙は二年生の輪の中に行ってしまったが、友樹はたったこれだけの会話で満足して笑顔になった。


「よかったな」


 友樹の隣に新藤が座った。新藤が友樹の背に温かい手を置いた。


「はい!」


「こんな風に、前に負けた相手に勝てることもある。これからもこの調子で行こうな」


 友樹は新藤に満面の笑みで頷いた。


 そのとき、監督が考えた末に決断した。


「沢、行けるか」


「はい!」


 以前青森山桜に打ち込まれた沢を使うという、賭け。

 だけど沢にとっては賭けではない。大切なリベンジの機会だ。


 監督と沢の会話は新藤と友樹にも聞こえていた。


「井原、草薙と一緒に沢を守ってくれ。もちろん俺たちも守るから」


「はい」


 新藤が控えめに微笑む。


「俺よりも草薙とお前のほうがうまいから!」


 言い切ると、新藤の笑みは力強いものに変わった。

 仲間たちとのやりとりで友樹の中に生まれた灯りが、新藤の言葉でさらに強く燃え上がる。


 人の期待に応えたいって、こういう思いだったんだと分かった。

 水上の気持ちを理解した。

 この気持ちを大切にしたい。

 大切に燃やし続けていたい。


 四回表が始まる。


 友樹と草薙は投球練習をする沢の後ろに来た。


「沢さん、力が入っているように見えます」


 坂崎が何度も『落ち着け』と合図している。


「たくさん声をかけてやらないとね」


「はい!」


 草薙が沢の背に大きな声で呼びかける。


「大丈夫! 後ろには私たちがいるから!」


 振り返った沢が、草薙と友樹ににこりとした。

 内外野の皆でマウンドの沢にたくさんの声を送る。坂崎の『落ち着け』の合図が減っていく。


 友樹はセカンドの位置から草薙の横顔をちらりと見た。

 以前、彼女は「ショートの位置を守ることはできるけど、皆を守るショートにはなれない」と言っていた。

 だけど今、草薙が『皆を守れるショート』になろうとしている。

 友樹は草薙の力になりたい。


 だけど、二遊間にはできないこともある。


 四回表は六番から始まり、今は九番である代打と対峙しているが、無死満塁である。

 ライト前ヒットやレフトへのツーベースを打たれたのは、勝負の結果だからいいのだが、沢は四球を出してしまったのだ。

 四球を出されると、守るリズムが悪くなってしまう。

 草薙と友樹は沢の背を祈るように見守っていた。


 そのとき、藤井が伝令としてマウンドにやって来た。内野の皆で集まる。

 藤井が沢の坊主頭を撫でたり、背を叩いたりする。藤井の言葉で内野の皆で笑った。


「打たせていけよ!」


「はい! 俺、頑張ります!」


 沢の瞳の輝きがどんどん戻ってくる。


「だから皆も頑張って!」


 逆に沢に励まされて内野の皆も笑顔になった。

 ダイヤモンドの皆の笑顔を見て、外野の3人も安堵しているみたいだ。


 代打である九番のスイングが、沢の投球を捉えた。

 弾道は鋭く、前へ飛ぶ。

 友樹は地を蹴り、体を伸ばして跳んだ。


 ユニフォームに土をべったりと付け、友樹はうまくキャッチした。

 ヒット性の当たりを潰すことができた。

 草薙がカバーに入っている二塁に投げたが、二塁ランナーの帰塁が素早くアウトにできなかった。

 3人のランナーは全員帰塁が素早く、誰も飛び出さなかった。やはり強豪チームだ。


 友樹の好守に球場から拍手が降り注ぐ。

 遠園シニアのスタンドとベンチも大盛り上がりだ。

 その中でも、頑張って投げている沢が笑顔になっているのが嬉しい。

 いいプレーをしたのも嬉しいが、仲間を守れたことがとても嬉しい。誇らしい。


 一番にライトへのツーベースを打たれ、2点を入れられてしまったが、沢の集中はもう途切れなかった。


 一死二三塁。

 二番の水上相手に、厳しいコースで立ち向かっていく。


 水上はランナーを進塁させようと、一二塁間のだいぶ前に、地に叩きつけるように打ってきた。

 打球は大きくバウンドする。

 だけど友樹は平気だ。

 バウンドを読んでグラブにボールを入れる動きは滑らかだった。友樹は軽く跳びながら身を後ろに翻して、二塁に入った草薙にスナップスローで投げる。

 だいぶ早くスタートしていた二塁走者をフォースアウトにすると、草薙がファースト福山に転送して水上のこともアウトにした。


 とても優れたプレーだった。球場の歓声が大きくなり、カメラの音が何度も聞こえてくる。

 これじゃまるで水上みたいだ。

 友樹は自分にむかついた。水上みたいになれたのを、『嬉しい』と思ってしまったからだ。


 ベンチに戻ると、草薙が険しい顔をしている。


「どうしましたか」


「やっぱり、あんたは恐ろしいやつだ」


 草薙のその言葉は、球場の歓声やカメラの音よりも嬉しかった。

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