第80話 2人にはそれで十分だった
二回表。
青森山桜の攻撃。
青森山桜の四番は、先ほど好守を見せたサード長屋だ。182センチ。遠園シニアに180センチを超えている人はいない。体が大きいと迫力を感じる。だけど心で負けてはいけない。
ホームの坂崎がマウンドの三原に返球している間、友樹は草薙に話しかけた。
「俺が怖いって、どうしてですか?」
草薙が唇に微笑を浮かべたが、瞳はあまり笑っていない。
「私と二遊間になれて嬉しいとか言っておいて、すぐにショートを取ってしまいそうでね。私はようやくショートになれたってのに」
「俺がショートになったら草薙さんがセカンドになれば、二遊間でいられますよ」
友樹としては、少し挑んだつもりの言葉だ。「自信の無い子に、誰がショートを任せたい?」と言ったのは草薙なのだから。草薙は微笑を浮かべたまま、何も答えなかった。
ランナーを1人出したものの、ピッチャーフライを三原が余裕たっぷりで捕って、スリーアウトにした。
「三原さんが前より強くなっています!」
喜んでいる友樹に、横で草薙も頷いている。三原がにかっと笑った。
「実は、球の出所を見辛くしてみたんだ」
三原が友樹の頭を帽子越しにぽんぽんと撫でた。
「強くなったのは井原だけじゃないし、悔しかったのも井原だけじゃないんだ」
小学生の頃のチームは、いつも友樹だけが悔しがっていた。
遠園シニアは皆が同じ悔しさを感じる。
これがチームなんだ。
友樹の中に残っていた悔しさが、温かいものに変わっていく。友樹の悔しさを皆も分かってくれていた。
あれほど泣いたのは、ちっとも無意味ではなかった。
二回裏。
遠園の攻撃。
五番キャッチャー坂崎愁一。
熊野のほうが一枚上手で、ライトフライだ。
高見や沢、稲葉らピッチャーたちが坂崎を励ました。
六番ライト岡野葉月。
打球が三遊間を破る。ショート水上とサード長屋が驚く打球の速さだった。
「よぉし!」
岡野が叫ぶように喜びの声をあげた。後輩たちの台頭でポジションを取られつつある岡野の意地のヒットだ。新藤も喜んでいる。
七番センター山口律。
センター前に抜けるか、と皆が思ったが、水上の横っ飛びが必死にボールを掴み捕った。
そしてセカンドにトスする。だけど体勢を崩していたため、粗いトスだ。
あれならセカンドは捕れない……と思ったのだが、セカンドがうまい。水上の苦し紛れのトスを余裕で捕り、すぐに一塁へ投げた。
ダブルプレーにされてしまった。
「あの人は?」
友樹は浅見コーチにセカンドのことを聞く。
「三年生の鈴木誠治くんだよ」
身長は三原と同じくらいなので170センチ程だろう。セカンドらしからぬがっしりした体だ。
鈴木が水上の頭をぽんぽんと叩いて褒めている。鈴木の表情は優しく、水上は嬉しそう。二遊間の仲だ。
三回表。
青森山桜の攻撃。
三原が打たせて取り、あっさりと二死にした。
しかし、青森山桜の打線がここから二巡目に入る。三原のアンダースローに慣れてくる頃だ。
一番にライト前ヒットを浴びてしまった。
そして二番の水上が打席に入る。
水上はライトスタンドの北條を見てから、三原を見据えた。
三球目を打たれてしまう。友樹は風を切るような打球に飛びついたが、二遊間を破られた。草薙も飛びついていたため、2人は地に体をつけたまま顔を見合わせた。
『悔しい』と、草薙も同じことを思っているのが伝わってくる。
三番はセカンドの鈴木だ。
コンパクトなスイングがボールを飛ばし、スリーベースとなる。2点を入れられてしまった。
ホームインした水上が北條に手を振るが、それを悔しがる余裕は友樹になかった。
なんだ、あのスイングは……!
あんなの、今まで見たことがない。
決して大振りではなかった。ややアッパースイング気味だったが、ほぼレベルスイングに近い。
単打狙いのような打ちかたで長打を出す技に圧倒されて、友樹は三塁にいる鈴木を見た。
二遊間は守備の力が求められるポジションなので、打力は二の次にされることもあるが、二遊間が打てればとんでもない戦力になる。
俺ももっと打てるようにならなければと、決意を新たにした。
二死三塁。
次は四番のサード長屋。
坂崎が大きく手を振って外野に指示を出し、外野3人は後ろに下がる。
内野への指示を迷ったらしく、坂崎はベンチの監督を見た。
監督に頷き、坂崎は、ベースについていなければならない新藤以外の内野は前進させなかった。
三原が足を上げ、投じた……そのときだった。
182センチで長打力のある長屋が、突如バントの構えをした。
やばい!
遠園の皆が焦る。
見事に勢いを殺した、三塁線上を転がるバントをされた。
三塁ランナー鈴木のスタートも早く、青森山桜に3点目を取られてしまった。
長屋も一塁でセーフとなる。
その後、五番の三塁側のファールを新藤が捕り、3点ビハインドで三回表を終えた。
「やられたな」
監督が苦笑する。
三回裏。遠園の攻撃だ。
青森山桜の投手は引き続き熊野だ。
打順は八番の福山から始まるから、一番の草薙に必ず回って来る。
熊野へのリベンジに燃えているのは友樹だけでなく草薙もだ。草薙は真剣に熊野を観察している。
八番ファースト福山学。
4度のカットを挟み、四球をもぎ取る。
九番ピッチャー三原海斗。
丁寧な送りバントを決める。
「草薙さん!」
友樹には草薙へのたくさんの思いがある。
打ってほしい、勝ってほしい、俺はさっき1度勝てたから、草薙さんも勝てるはずだ、俺もまた勝つから。
負けたあのとき励ましてくれて嬉しかったから、今度は一緒に勝ちたいです。
草薙が友樹に頷いた。
草薙にもたくさんの思いがあるはずだ。
実際には、名を呼んで頷かれただけ。
2人にはそれで十分だった。
草薙が打席に立つ。友樹はネクストバッターサークルに入った。
ネクストバッターサークルから見えるのは草薙の半身の背中だけ。背番号14のゼッケンは誰よりも丁寧に縫い付けられている。
草薙は大きく開いた左足ですり足のステップをする。
全ての力を溜め込むように内側に体を捻る。
そして溜め込んだ力を1つ残らず解放するようにスイングする。銀のバットが綺麗な弧を描く。
熊野の初球が草薙のバットに弾き返された。銀のバットが地に放られるとき、草薙は既にトップスピードだ。
打球は三遊間へ。
サード長屋が飛びついても無理だった。
ショート水上がようやく追いつき、ファーストへ投げた。
草薙が一塁を駆け抜ける。
ぎりぎりまで前に身を乗り出したファーストが送球を受け取る。
審判が迷ったのは、束の間のことだった。