表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/103

第79話 前と違う

 水上をアウトにして気分がのってきたが、浮かれてばかりはいられない。友樹は笑顔を真剣な顔に引き締めた。


 一回裏。

 遠園の攻撃。

 

 青森山桜(さんおう)のボール回しは、言うまでもなく素晴らしい。

 普段の友樹ならボール回しを観察するが、今回はマウンドばかりを見ていた。


 マウンドに立っているのは熊野。身長は高くないが、筋肉質だ。

 前回の試合では七回から登板した三番手だった。

 最終回で草薙を打ち取り、そして友樹を最後の打者にした張本人である。


「あのときの……!」


 独り言のつもりだったが、隣の草薙に聞こえていた。


「まあ、立ち上がりが不安定だといいんだけどね」


 草薙は淡々と言った。いろいろな感情が読み取れない程に淡々としている草薙だが、本当は何かを思っていて、表に出ないようにしているだけだと今の友樹には分かる。


 草薙は檜から受け取ったバッター防具を身に着ける。友樹は福山からバッター防具を受け取り、ネクストバッターサークルに向かう。


「打てよ! 見ろよ!」


 檜が声を張る。前はスタメンになれていた檜は、友樹が台頭してからベンチスタートが増えている。友樹は檜としっかりと視線を合わせた。本当は檜だって悔しいと、想いが伝わってくる。だけど、それでも檜は応援してくれる。なら、檜の悔しさにはあまり触れずに、まっすぐに応援を受け取ろう。

 

 一番ショート草薙香梨。


 女子が一番であることを見慣れない観客もいる。球場に少し驚きの声があがった。だけど、草薙はいろいろなものを耐え続けた人だ。この程度はどうってことないだろう。

 本当に打てるのかと、球場に緊張が走っているみたいだ。

 遠園シニアも緊張していた。どうかリベンジを果たしてほしい、と。


「草薙さん!」


 黙っていられずに、友樹は叫んだ。


 熊野が安定感のあるフォームで、投げた。いい球だ、女の子には打てないだろう、という空気が球場に漂った。

 そんな空気を、打撃音が切り裂く。

 まさか初球からいくとは誰もが思っていなかった。投げた熊野はもちろん、青森山桜の全員が驚く。球場がざわめく。


 低い放物線を描いた速い打球は三遊間の頭を越えたが、レフトのファールゾーンへ切れていった。青森山桜のレフトが反応したが捕れなかった。


「惜しかったなあ!」


 ベンチから檜が叫ぶ。さっきまでは悔しそうだった檜だが、今は純粋に勝負を楽しんでいるみたいだ。

 あれがもうちょっと内側に入れば、絶対にヒットだった。友樹は歯を食いしばった。

 草薙は打席の土を足で整えている。そして左足の位置を念入りに確認している。


 二球目はバットにかすったが、打球が真後ろに行き、キャッチャーがミットで捕ってしまった。キャッチャーミットのいい音に、友樹は顔をしかめた。

 

 これで、ツーストライク。


「草薙さん!」


 友樹は腹から声を出す。


「前とは違うからあ!」


 草薙は振り返らないが、右手をあげてくれた。


 三球目、草薙の銀のバットが打球を捉えた。

 内外野の間に落ちそうな弾道に、遠園シニアが盛り上がる。

 

 しかし、ショート水上は諦めていなかった。

 姿勢を低くした水上が、腕を伸ばしてグラブを下に構えながら走る。

 落ちる直前のボールを水上のグラブが掴み取る。捕った後、水上はバランスを崩すが、なんとか立て直し、球場を見上げて笑顔になった。


「アウト!」


 一塁に辿り着いていた草薙が、無表情でベンチに戻って来た。

 草薙が打席に向かう友樹に視線を向ける。友樹がしっかりと頷くと、草薙の唇の強張りが解けた。


 二番セカンド井原友樹。


 草薙は左足を大きく開く人だから、その跡が土に残っていた。それをならして消す。ならしおえると、友樹は構えた。

 

 熊野は余裕の顔で友樹の準備が終わるのを待っていた。

 熊野と目を合わせる。熊野は落ち着いている。熊野は友樹をちっとも脅威に思っていないと伝わって来る。

 それならそれでいい。前回の勝者は熊野なのだから。

 今回は、変えてみせる。


 友樹は熊野の投球モーションを見る。モーションが始まる前から、リリースポイントの位置に視線を向ける。

 セットポジション、左足を上げる、腕の振り。

 リリースポイントの辺りに視線をロックして、熊野の全身をぼんやりと見る。

 回転する白球が放たれる。それと同時に友樹は左足を軽く上げた。

 上げた左足を下ろし、股関節に預けていた全体重の力を使って、スイングする。

 友樹の黒いバットが、ぶれる白球を横から強く叩いた。


 打球は一塁側のファール。

 熊野の顔を見ると、少し驚いていた。

 これは前に打ち取られた『手元で少し変化する』ボールだ。前は全く対応できなかった。

 

 対応できるようになったのは、中途半端に迷わなくなったから……だと、滝岡との練習試合後に思った。

 だけど友樹は精神論で終わらせず、何故できるようになったか分析し続けた。


 そして何故対応できるようになったか分かった。

 初めからリリースポイントのあたりを集中して見るようになったからだ。前はピッチャーの手の動きをセットポジションの時点から目で追っていた。

 いつからそう変化したのか、はっきりとは分からない。いつの間にか、そうなっていた。


 友樹は構えなおす。

 二球目のストレートの外側のボールを見送る。


 三球目はカーブ。二球目との緩急差でバットを早く出してしまったが、諦めずにバットを操作して一塁側のファールにした。


 熊野が友樹を見てきた。前と違うと気づいたのだろう。

 いつの間にかできるようになっていたのは、思いきりやるのを繰り返したからだ。潮コーチが「思いきりやるってのを繰り返していくんだよ」と言っていた。高いレベルに必死について行ったら、いつの間にかここまで来ていた。


 四球目。手元で変化するボールが来る、ストライクゾーン内に来る、なら迷っていられるものか。

 友樹の持てる全ての力を使って、思いきりバットを振った。

 弾丸のような弾道に、熊野は反応できず、尻もちをついた。


 水上が飛びついてワンバウンドでボールを掴んだが、投げられない。


 友樹は一塁ベースを駆け抜ける。


 熊野が友樹を見つめる目に、もう余裕はない。


 友樹は一塁でベースコーチャーの藤井にバッティンググローブを渡す。藤井が頭を撫でてくれた。


「今のよかったぞ!」


 檜たちに褒められて、友樹は笑顔になった。

 前と違って、もう泣かなくていい。

 思いきり、やり続けてきたからだ。


 三番サード新藤晴馬。


 熊野はギアを上げたようだった。

 新藤は追い込まれ、センターフライに。

 その間、友樹は盗塁を狙っていたのだが熊野の隙が見当たらなかった。

 やっぱり熊野さんはいいピッチャーなんだと、友樹は素直に思った。


 四番レフト桜井星也。


 桜井の痛烈な打球は三塁線の向こう側に切れてしまい、ファールに。それを、青森山桜のサードが粘って追いかけ、飛びついてアウトにした。とてもうまいサードだ。


「あの人は?」


 ベンチに戻った友樹は浅見コーチに聞いた。


「三年生の長屋緑くんだよ」


 長屋緑。身長182センチ。

 

 すると、新藤と桜井が友樹と浅見コーチの元に来た。


「あれをよく打てたね」


 四番である桜井がにこりとして友樹を褒めてくれた。


「ありがとうございます!」


 友樹は笑顔で頭を下げた。


「あれは一体何でしょうか?」


 手元で変化する熊野の球の球種を、新藤が浅見コーチに問う。


「カットボールの類ではないと思うんだ」


 浅見コーチは監督の方に体を向けて、


「監督、どう思いますか?」


 と聞いた。

 監督は現役時代にキャッチャーだったので、現役時代に内野手だった浅見コーチよりはよく分かるはずだ。

 監督がこちらに振り向いた。


「小さい変化のスライダーだろうな。直球とスライダーの中間の軌道で、空振りを狙うというよりも打たせて取る球だ。気をつけろよ。あの小さな変化に皆が慣れた頃、空振り狙いの大きな変化のスライダーも使ってくるかもしれない」


「はい!」


 次も必ず熊野に勝ってみせる。

 監督は全員に熊野のスライダーのことを話した。


「草薙さん、次は打ってください」


 友樹に言えることはこれだけだが、草薙は「それで十分だよ」といった柔らかな表情で頷いてくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ