第78話 リベンジの始まり
朝、目が覚めると、思っていたより落ち着いていた。ついに青森山桜と戦う日。青空だ。
浅見コーチの車に乗って高速道路を走る。友樹が何も言わないので、浅見コーチも何も言わないでくれる。準決勝と決勝は山形市の球場で行われる。遠園市は晴れていたが山形県は曇りのようで、どんどん青空が白い雲に浸食されていった。それに合わせたかのように、友樹の胸の鼓動も少しずつ速くなる。
もう、泣きたくないんだ。
山形市の球場に到着した。曇り空の下で土がとても黒く見える。
皆でベンチに入り、荷物を置く。遠園シニアのベンチにリベンジを誓う闘志がみなぎる。
「オーダーを発表する。一番ショート草薙」
「はい」
監督の『罰』として、草薙が堂々とショートになる。
春季大会の青森山桜戦で途中からショートを務めた草薙が、今回は初めからショートというわけだ。
もう草薙に恐れは1つもない。表情を一切変えず、まっすぐに前だけを見ている。
「二番セカンド井原」
「はい!」
本当は水上のように一年生のショートになりたかったが、まだ草薙には敵わない。
それでも、草薙と二遊間になれて嬉しい。春季大会では新藤の負傷でセカンドになったが、今回は初めからセカンドというのは、大きな前進だ。
「三番サード新藤」
「はい」
ショートじゃなくなっても、新藤はちっとも動じずに落ち着いている。
四番レフト桜井。五番キャッチャー坂崎。六番ライト岡野。七番センター山口。八番ファースト福山。九番ピッチャー三原。
遠園シニアのノックが終わった。水分補給をしていると、友樹の隣に浅見コーチが座った。
「いつもより力が入っているね。でも、力を入れすぎちゃいけないよ」
「はい、分かっています」
「水上くんのことを気にしてるの?」
友樹は黙って頷く。
「友樹はできることをやればいいんだよ」
浅見コーチが少年のような笑みを浮かべた。友樹も笑い返すことができた。
青森山桜シニアのベンチから円陣の声出しが聞こえてくる。
「あと一戦絶対勝つ!」
「しゃあ!」
「目指すは優勝だけ!」
「うらあ!」
青森山桜シニアの雄たけびが響く。
「くそ! 舐められてるぞ!」
今回の試合の二番手を務める予定の沢が、顔をしかめた。沢は前回打ち込まれてしまったので、リベンジを果たしたいのだろう。友樹と同じくらい熱い思いを持っているようだ。
「大丈夫だ。あいつらはあれを知らない」
高見が沢をたしなめる。
どうやら、高見に策があるようだ。一体何だろう。
遠園シニアも円陣を組んだ。新藤が叫ぶ。
「あいつらが強いって、俺たちは知っている! だけどあいつらは俺たちが強くなったのを知らない!」
「うす!」
「絶対勝つぞ!」
「おう!」
青森山桜シニアが先攻。遠園シニアが後攻だ。
ホームを挟んで向かい合う。青森山桜の青いユニフォームが曇り空の下で美しく目立つ。
友樹の目の前に水上がいる。
「俺は期待に応えるからな」
水上が小さな声で言った。期待に応え続けた者の絶対的な自信。
「俺はできることをするだけだ」
ただひたすらにできることを見つけ、やり続けた。誰の期待がなくても、やり続けた。
二人は睨み合う。
主審が手をあげた。
「礼!」
「お願いします!」
一回表。
青森山桜の攻撃。
マウンドに立った三原が投球練習をする。
内野手はボール回し、外野手は遠投のキャッチボールをする。
友樹はいい手ごたえを感じていた。ボールが手にしっくりくる。
キャッチャーがピッチャーに返球する際に、ピッチャーがボールを逸らす僅かな可能性を想定し、二遊間はピッチャーの後ろにカバーに入る。その間に友樹は草薙に話しかけた。
「草薙さんと二遊間になれて嬉しいです」
笑顔になった友樹につられたみたいで、珍しく草薙もはっきりと笑顔を見せた。だがすぐに笑みを曇らせた。
「私は井原が怖い」
「え?」
そのとき、キャッチャー坂崎が手を振って、内外野共に中間守備を指示した。草薙との会話は終わりだ。
青森山桜の一番がアッパースイング気味の素振りをしてから、右打席に立った。
ネクストバッターサークルに水上がいる。二番打者か。友樹と同じだ。どうしても意識してしまう。
アンダースローからのカーブを一番が高く打ち上げた。マスクを脱いだ坂崎が捕り、アウト。
「ワンナウトー!」
新藤を皮切りに皆で人差し指を立てて叫び合う。
三原が今までと違う。全然違う。
二番ショート水上敦。左打者。
身長160センチ。ちょうど草薙と同じだ。やや細身の体だがしなやかだ。
バットを立てる。グリップは肩の高さ。膝を軽く曲げる。
アッパースイングではない。バランスのいいスイング――レベルスイング――だ。
三原は二球で水上を追い込んだ。
やっぱり三原さんが違う、と友樹は驚く。
しかし水上は、一年生でありながら強豪チームの中心に飛び込む選手である。簡単には終わらせてくれなかった。
三球目、四球目を体勢を崩しながらもカットしてきた。
六球目、七球目はボールだ。これでツーボールツーストライクの並行カウント。
水上が打席を外し、間を取る。
三白眼の瞳はまるで恐れを知らないようだ。にこりと口角が上がり、八重歯が覗く。
そして、八球目。
思い切り引っ張られた強烈な打球に飛びついたが、ボールは友樹の目の前を抜けていった。
一二塁間を抜けた打球をライトの岡野が処理したときにはもう、水上は一塁を駆け抜けていた。
「くそっ!」
飛びついたままの姿勢だった友樹は、悔しくて土を叩いた。
立ち上がりながら、一塁で喜んでいる水上を見つめる。青森山桜のベンチは一塁側にあるので、仲間たちと楽しそうに話している。そしてライトスタンドにとびきりの笑顔を向けた。北條がいる。パシャ、パシャ、と何人もの記者のカメラの音がした。
セカンドだが、がっしりしている三番が打席に入った。
三原のアンダースローから繰り出されるふわっとした球に空振りする。
ツーストライクに追い込んだ。
三番が、長く構えていたバットを、ほんの少し短く持った。
三球目を外してから、三原坂崎バッテリーは四球目にスライダーを投じた。
バットを短く持ったため、ますます速くなったスイングスピードが、がっつりと白球を叩く。
引っ張られた打球が三遊間でバウンドして、内野を抜けようとする。
しかし、既に草薙が深い位置で待ち構えていた。強烈な打球をうまく捕り、二塁に投げた。
友樹は二塁ベースを蹴るように踏み、草薙の送球を受けた。
二塁ランナー水上がフォースアウトになる。水上は悔しそうに顔を歪めた。
そして友樹はファーストの福山に送球した。どんなときも胸前に届く好送球を、福山が余裕たっぷりで受け取った。
塁審が拳をあげた。
水上が友樹を睨んできた。
友樹は水上を睨み返しながらも、唇に笑みを浮かべた。
水上がライトスタンドにいる北條を見上げる。北條は大きなカメラで球場を録っている。
あのカメラはどちらの勝ちを映すか。
勝負は始まったばかりだ。