第74話 代打友樹の駆け引き
三回戦の相手は秋田の大曲シニア。赤地に白の花火をモチーフにしたロゴのユニフォームだ。
ネイビーとライトイエローのユニフォームの遠園シニアと向かい合って整列する。
遠園シニアは後攻だ。
友樹はベンチスタートだった。
監督は友樹を試してくれるけど、常にではない。
今日は西川や檜が出ている。
だけど、応援もプレーの1つだ。仙台広瀬と戦って身に染みた。
友樹は腹の底から声を出す。
遠園シニアの1点リードで六回裏が始まる。打順は六番の山口からだ。
そこで監督が、
「代打だ」
と告げる。
今回の相手は左ピッチャーで、左バッターの山口に当たりが出ていなかった。
一体、誰だろうかと友樹は考える。
だけど、ここで人ごとのように思っているようじゃ強くなれない。もし自分が選ばれたらどう打とうか、と考えなければならない。きっと水上だってそうだ。
相手ピッチャーの木谷は左投手で、120キロ台。コントロールが良くインコースに積極的に投げてくる。ストレートと落差のあるチェンジアップ、鋭く落ちるフォーク、そしてクロスファイヤーを武器にしている。
あのクロスファイヤーをどうしようか。
チェンジアップに騙されないかな。
あのフォークはワンバウンドでも振ってしまいそうだ。
不安ならいくらでもあった。
ふと、監督と目が合う。
友樹はたくさんの不安を隠して、『打てます』という自信のある顔を作った。
『自信のない子に、誰がショートを任せたい?』という草薙の言葉をいつも胸にしまっている。
たくさん試されてみせる。
水上に勝ちに行きたいから。
監督と目が合ったのは、ほんの一瞬のことだった。
だけどそれが、友樹の未来を拓く。
「代打は井原だ」
選ばれた!
はやる気持ちでバッターの防具を身に付けると、友樹は元気いっぱいにベンチを飛び出した。
「頑張れ!」
山口は少し悔しそうだが、それ以上に友樹を応援してくれた。友樹はしっかりと頷く。試合に出られるのは、他の人が貰えなかった出番を貰えたからだ。皆に応援されて、友樹の心がますます高揚する。
打席に入る前にぶんぶん素振りをしていると、
「落ち着いて!」
ベンチから草薙の声が聞こえた。友樹はゆっくりと息を吐き、息を吸う。それを3度繰り返した。
内野手は中間守備より少し前。外野手は前進している。大曲の内外野の陣形を見る限り、彼らは小柄な友樹を『非力な俊足巧打』タイプだと考えたらしい。
木谷がマウンドから見下ろしてくる。友樹は木谷を睨むように上目で見た。木谷は小さな友樹に対して面白そうな顔をする。捻り潰そうとするかのようだ。
左ピッチャー木谷対右バッター友樹。対戦開始。
監督のサインは『打て』。だけど、最終的に打ちさえすれば途中でどんなことをしてもいいというのが、遠園シニアの監督だ。
友樹は考える。ワンバウンドでも振らされそうなフォークを投げられたら大変だ。なら、フォークを投げられない状況を作ってしまえばいい。
そのためには、ボールカウントを増やすことが大事だ。できれば後のないスリーボールにしてやりたい。カットしながらボール球を待とうか?
でもチェンジアップでタイミングを外されたり、フォークを投げられたりしたなら、カットすら難しい。
受け身にカットするのではなく、初めから木谷バッテリーのコースを制限したい。
それならバントの構えをしよう。
友樹が本気でセーフティバントを狙っていると思わせたなら、木谷バッテリーはバントを封じる投球をするだろう。そもそも木谷バッテリーは小柄な友樹が強気に打ちにいくと考えないかもしれないし。
バントの構えをすると、大曲のサードが前に出てきた。騙して揺さぶるためのバントの構えではなく、本気でバントを狙っていると、大曲シニアに思わせられたら最高だ。
友樹はバントの構え。
木谷が脚を上げる。
木谷が投げた。
投球は低く、緩やかに落ちていく。
友樹は素早くバットを引いた。
チェンジアップだった。
「ボール」
よし、ボール先行にさせたぞ、と友樹はにやけそうになるのを抑えた。
『チェンジアップを無理だと思ってバットを引いた』と思われたか?
木谷バッテリーを揺さぶるための構えだと疑われたか?
どちらかは分からないが、友樹はまたバントの構えをする。プロ野球選手の動画を見て覚えた構えは、昔の知識の指導者である東チームの監督兼コーチに「違う」と言われたこともあったが、友樹は自分が調べた構えを貫いた。
第二球、木谷が脚を上げて投げる。
友樹は瞬時にバットを引く。
投球がホームベースの位置でワンバウンドして、キャッチャーが捕り損ねたが後ろには逸さなかった。うまいキャッチャーだ。
フォークを投げたのではなく、低めに投げようとして失投したようだった。
うまく木谷を揺さぶることができているのかもしれない!
「ラッキーラッキー!」
ベンチから檜のでかい声が飛んでくる。檜は四球で出塁することが多い人だ。友樹が木谷を揺さぶっていることを十分に分かったうえで、木谷を煽ってくれている。
三球目、低めにストレートが飛んできて、友樹は慌ててバットを引く。
「ストライク!」
ストライクゾーンの外いっぱいに入った。あとボール1つ分外側ならゾーン外だった。木谷さんは凄いピッチャーだ、と友樹は思う。
友樹の顔に無意識の笑顔が浮かんだ。汗が伝い落ちる頬がきゅっと持ち上がる。口角が上がって白い歯が覗く。
ツーボールワンストライク。まだまだこれから。
バットを寝かせ、引く。寝かせ、引く。
ついにフルカウントだ。
追い込まれたのは、友樹なのか、木谷なのか。
友樹は笑顔のままだが、猫のような瞳に闘志がある。
もうバウンドするフォークは投げられまい。
木谷の最後の球は分かっている。
クロスファイヤーでくるだろう。
友樹がクロスファイヤーを読んでいると分かっていても、木谷バッテリーは自信のあるクロスファイヤーでくるはずだ。
今まで外角低めばかり見せていたのだから、なおさらだ。
友樹はもう、バントの構えをしない。
監督から与えられた出番をきっちりこなしてみせる。
期待に応えるのが水上の強さの秘密だというのなら、俺だって期待に応えよう。
木谷のクロスファイヤーは友樹を刺すような勢いだ。
だけど友樹は刺されない。
インコースは打つタイミングを速くするという意見もあり、インコースであってもタイミングは同じだとする意見もある。今まで、プロ野球選手の動画をたくさん比較してまとめてきた。
大切なのは、どれが正解なのかではなく、どれが友樹に合っているのかということ。
ばっちり、友樹にとっての正解のスイングをした。
バットが音を鳴らす。打球が前へ。綺麗なフォロースルーの後で友樹は走りだす。
打球は二遊間を越えてセンターの後ろに落ちた。
一塁コーチャーの藤井が『進め』と友樹に命じる。
一塁ベースを蹴り、友樹は二塁を目指す。
センターから二塁ベース上のセカンドにボールが返ってくる。
スライディングはギリギリまで我慢する。そうすることで最速で走る時間を一瞬でも長くできる。
友樹の左脚が土を跳ね上げる。体にグラブのタッチを受けた。
球場の誰もが塁審を見つめる。空気が緊迫する。
塁審が大きく腕を広げた。
「セーフ!」
「よっしゃあ!」
友樹はベンチに力一杯のガッツポーズをする。緊迫が解けたベンチに笑顔があふれた。
遠園シニアは0対2で大曲シニアに勝利した。部員を全員乗せられる大きなブルーシートに座って、皆で賑やかにお昼ご飯を食べている。
午後は喜多方シニアと準々決勝だ。
これを勝てば明日に青森山桜と対戦できる。
「準々決勝に勝てば、ベスト4入りできる。そうなれば『日本選手権』の出場権を得られるぞ」
遠園シニアの皆が盛り上がる。小学生の頃は全国どころか県大会にも行けなかった友樹は、いまいちぴんと来なかった。
負けたばかりの青森山桜との再戦のほうが大切なのだ。
「オーダーを発表する」
一番はセカンド草薙。
「二番ライト井原」
「はい!」
いきなり打順が上がったことに驚いて、友樹の声が高くなる。友樹の驚きを察したようで、監督がにやりとした。
「今大会で井原はよく打てている。もしかしたら、東北大会のラッキーボーイかもしれないぞ」
「はい!」
友樹の明るく、それでいてしっかりと強い返事がベンチに響いた。