第73話 宣言
二回戦の翌日。月曜日の放課後。
友樹は一年生の皆が練習する河原に来た。よく晴れた空の下、川がきらきらしている。
「ああ? 何しに来たんだよ?」
大志が睨みをきかせてくるが、ちっとも怖くない。
「練習しに来た」
友樹はティーバッティングのトスを上げる人が座る、牛乳瓶の籠にどっかりと腰掛ける。
そこは友樹が来るまでは、大志と茜一郎がティーバッティングをしていた場所だ。茜一郎は気を利かせて他の人の所へ行った。
「何でお前とやらなきゃいけないんだ」
ぶつぶつ言いながらも、大志は練習用のバットを手にする。友樹は容赦のない速度でトスを上げ始めた。2人のリズムが噛み合う。バットの金属音が綺麗に響く。
一年生の皆が友樹と大志を見ているのに気がついて、どうしたのだろうかと友樹は手を止めた。急にトスが無くなって大志のバットがぐるりと大振りの空振りをし、がくっとつまずきかけた。
「おい、突然止めるなよ」
大志がむくれる。
そんな大志に構わずに、茜一郎たちがにこにこして友樹と大志を見てくる。
「どうしたんだよ」
大志が口を尖らせながら聞くと、茜一郎はますますにこにこした。
「大志が応援したおかげだよなって、皆で話してた」
「ああ?」
大志の不機嫌はわざとらしい。
茜一郎はさらに続ける。
「なあ友樹。あのときに大志の応援がなければ負けていたんじゃないか?」
確かにそうだ。絶対にそうだった。
「関係ないよ」
自信のない子にショートは任せられないのだから、もっともっと、いつでも動じない自分になりたい。大志の声がなくたって勝てる自分になろう。
たとえいつでも動じない自分に成長できても、あのときの大志の声と言葉はずっと忘れないだろうけど。
「本当に関係ないよ。大志の声なんかなくたって打ててたよ」
茜一郎は声を押し殺して笑っている。
「俺はただ、思ったことを言っただけなんだぜ! 友樹を応援するつもりなんかなかったんだ!」
友樹も大志も似たような、わざとらしい不機嫌な表情を崩さない。
だけど茜一郎や他の一年生の皆は、2人の本心が違うことを分かっているようだった。
〇
火曜日の放課後は浅見コーチの車に乗せてもらって、グラウンドに来た。
練習の前に部室のパソコンの部屋に行き、仙台広瀬シニアとの試合の動画を見る。浅見コーチと一緒に改善点をあれこれ言い合う。
一通り見ると、浅見コーチが違う動画を流し始めた。
「青森山桜の二回戦の試合だよ」
友樹は身を乗り出して画面をじっと見る。
水上がショートを守っている。
好守をした水上が、レフトスタンドの誰かに手を振っている。
その仕草は自信満々といった様子だ。
自信が一番大切なのだと、改めて思わされる。
「誰に手を振っているのでしょうか」
「そうだなー。あれ?」
2人は小さく映っている観客をじっと見た。リトルシニアの決勝戦でもない試合はスタンドが空いているので、水上が誰に手を振ったか分かった。
「この人だね。なんだろう。でかいカメラ持ってる」
「写真を撮ってもらっていたんですね!」
「いや……、これは動画を撮るやつだね。めちゃくちゃいいカメラだ」
「失礼します」
そのとき、部室に草薙が入って来た。
草薙も画面を見た。
「この人、私が小学生のときに会ったことがあります」
「「え?」」
友樹と浅見コーチの声が揃った。
「ちょっと待っててください」
草薙はコーチ室に行き、スマホを手に戻ってきた。
女子の草薙は男子たちと同じロッカーを使わないので、コーチ2人の好意でコーチ室をロッカーにしている。コーチ2人はコーチ室をほとんど使わない。
草薙がスマホの画面を2人に見せた。
『しゃす! 『ベースボーイチャンネル』のお時間です!』
ユーチューブの動画が映されている。
動画の中に、水上を撮っていた男性がいる。
テロップで『東北教育大学卒 北條敬』と書いてある。
上下黒のジャージで、20代後半の引き締まった体の男性だ。
『今日は青森山桜シニアの水上くんに会いに来ましたー!』
なんと水上が動画に登場した。青森県で桜が咲いているので、4月の終わりから5月の連休中のいずれかの時期だ。
『よろしくお願いします!』
水上がぺこりとお辞儀した。
水上は三白眼の鋭い瞳をしているが、笑顔になると年相応の可愛らしい印象になった。にこりとした口元から八重歯が覗く。
『北條さんが来てくれて嬉しいです』
動画のためのリップサービスではなく、水上の本心だと分かりやすかった。
北條と水上はいろいろ話した後、キャッチボールを始めた。とてもうまい。
次にフリー打撃とノックをした。これもまたうまい。
『春季大会の目標は?』
『優勝です! で、俺はショートになります! 北條さん見ててくださいね』
そしてまた、北條と水上はいろいろと話す。
『たくさんの方が支えてくれました。たくさんの方に声をかけていただきました。これからも皆さんの期待に応えたいです』
友樹は、驚いて画面を食い入るように見つめる。
『期待に応える』。
水上は周りの期待を考えてプレーしていたのだ。友樹なんて、遠園シニアに入れるだけでただただ浮かれていたというのに。
これが水上の強さの秘密なのだろうか。
動画が終わった。コメント欄には水上への応援がたくさん書き込まれていた。
凄いやつだ。
周りからこんなに見られているのだ。
友樹は歯を食いしばる。自分と全然違う。
「この人は東北のリトルやシニアの選手を取材して回ってますよ」
草薙が淡々と言った。草薙さんはいつも冷静だよなと友樹はしみじみ思う。友樹はまだ心臓が高鳴っている。
「もしかして香梨も取材されたの?」
「リトルで、四年生のときでした」
「見たいです!」
友樹がぴょんっと食いついたが、草薙は首を横に振る。
「お父さんが猛反対して、お蔵になった」
会ったこともない草薙の父に腹を立てて、友樹は頬を膨らませた。
「なあ友樹、『水上敦』で検索してみたら? もっといっぱい出てくるかもよ!」
浅見コーチがにこにことそう言ったが、友樹を首を傾げた。
「でも相手が俺を知らないのに、俺が一方的に水上の動画を見まくってたら、きもくないですか?」
「井原が言うな!」
草薙が怒る。友樹は草薙に対して思い当たる節が多すぎて、黙り込む。
「あはははは!」
浅見コーチが笑ったが、草薙の鋭い眼光は彼にも向いた。
「井原に私の動画を勝手に見せたのは浅見コーチじゃないですか! 元凶です!」
浅見コーチも黙り込んだのだった。
〇
家に帰って『水上敦』と検索すると、彼は小学三年生の頃から取材されていたと分かった。
小学生の頃から周りに注目されることに慣れてきたのだろう。水上はやっぱり凄いやつだ。
友樹は『ベースボーイチャンネル』のチャンネル登録をすると、水上の登場回を全て見た。
こんなに注目され、期待されても平気な揺るぎない水上の自信はどこから来るのだろう。
いや、弱気は駄目だと友樹は自分の頬を叩く。
ノートに4色ボールペンの黒で『俺ももっと自信を持つ!』と強い筆圧で書いた。
〇
三回戦と準々決勝が行われる土曜日。大志の父の車で遠園シニアのグラウンドに到着した。いつもより大分早く着いた。初夏の早朝の空気が清々しい。
大志と別れて一軍の集まりに合流するが、まだ半分も集まっていない。
「おはようございます」
草薙はグラウンドの近所に住んでいるので、車で送られて来るのではなく自力で自転車で来る。
「おはようございます!」
友樹は草薙に頭を下げた。
2人の元に監督が歩いてきた。「おはようございます」と頭を下げた2人に、監督も「おはよう」と返し、笑みを見せた。
「2人とも『仙台広瀬』さんとの試合で活躍してくれたなあ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
「井原のライト、良かったぞ!」
監督の本心だと分かった言葉に、友樹は固まってしまった。
選手とは選ばれる者。与えられた場所を守りぬいて見せる。
だけど本当はショートになりたい。
監督が去って行こうと背を向けた際に、草薙が友樹の背を軽く叩き、
「自信のない子に任せたい?」
と小声で聞いた。友樹は勇気を出して、監督の背に駆け寄った。
「あの、監督!」
「おう、どうした」
「俺はショートになりたいです!」
言ってしまった!
監督に言いたいことを言えたという心の昂ぶりと、言っても良かったのかなという恥ずかしさで、一気に頬が熱くなってきた。
怒られないかな。
でも、本音だからな。
友樹の心臓の鼓動が速くなる。
例え怒られたとしたら、謝るけれど、言ったことは本当の気持ちだ。
だから後悔なんてしない。
友樹の胸の中で弱気を強気が覆いつくしていく。
「そうだったのか」
友樹の緊張を全く知らないようで、監督の口調は間延びして聞こえる。友樹はがくっときた。
「肩が強いから外野として育てるのも視野に入れていたんだよ」
「そうだったんですか!」
驚いて友樹は目を大きく開いた。
監督が笑う。
「気持ちは分かったよ。でも、俺は皆を試したいからな。焦るなよ?」
「はい!」
俺は試されていると思うと、少しだけ怖いが、それ以上に「やってやる」と思った。
緊張したが、言ってよかった。
監督が他の人たちの元に行くと、草薙が友樹の背を優しく叩いてくれた。
「草薙さんのおかげです」
「まあ、井原がショートになるのは私が卒団した後だよ」
それは悔しいな、と友樹は思った。