第69話 続いてくれ
皆におどけた様子を見せて元気づけ、一年生の友樹の活躍を心から喜んでくれる藤井。その藤井が打席に立つ。
藤井が打席で吼えるように叫ぶ。東野もお返しだといわんばかりに叫んだ。遠園シニアのベンチの応援の声は一際大きい。普段試合に出ている人も、控えの人も、藤井を全力で応援する。
友樹はベンチから身を乗り出して両手を握り合わせた。
一球目は空振りだった。タイミングが少し合っていない。
二球目も空振り。
このままじゃ打ち取られてしまう……! と友樹は心配した。
だけど、藤井は粘った。三球目、四球目のボールを見送り、五球目、六球目をカットした。
三塁側ベンチから右打席の藤井の背を見る。背番号20。どうか、打ってほしい。
「藤井さあああん!」
友樹は叫んだ。
そして、七球目。
投球がストライクゾーン半ばから、すっと落ちる。ボールになるだろう。
だが藤井のバットが止まらない!
打ち取られてしまうのか、と友樹は焦ったが、藤井の打球は三塁線上を越えて、ファールとなる。危なかった。首の皮一枚繋がった。
藤井が打席を外して、間を取った。友樹はその間に大きく深呼吸する。
第八球目。
インハイのストレートが、藤井の空振りを誘った。
「やあっ!」
東野の明るい勝利の雄たけびがグラウンドにこだます。
藤井が肩を震わせている。友樹からは背中しか見えないが、きっと必死にこらえているものがあるはずだ。
友樹はやりきれない気持ちをユニフォームの胸元をぎゅっと掴んで耐えた。
藤井がこっちを向いたとき、彼はにこりと笑っていた。
「まいったなー。やっちまったぜ!」
辛いのを隠すのは、三年生のプライドなのだろう。
「惜しかったなー!」
「よくやったぞ!」
他の三年生が藤井の体をバンバン叩く。藤井があふれそうになるものを必死にこらえているのに、気づかない振りをする三年生たちの優しさだ。友樹はすぐに藤井のもとに駆け寄れなかった。
でも、それでいい。三年生たちの絆を邪魔したくない。
三回終わって、7対3。遠園は4点ビハインドだ。
四回が始まる。
監督が投手の交代を告げる。
「七番に沢だ。相手は左打席が多い。沢、左ピッチャーのお前に任せたぞ」
「分かりました!」
沢がびしっと立ち上がった。
「沢、頼んだ」
高見は本当に悔しそうな顔だ。沢はあえてその悔しさを無視したのだろう、にこりと笑った。
「高見さんの次のマウンドを楽しみにしてますよ!」
次。
そうはっきり言いきった沢に、ベンチは勇気を得た。高見の表情がほぐれる。沢は自分のことだけに夢中にならず、周りを気遣える人だ。
沢の周りに内野手が集まる。沢が内野手の皆にいろいろ言っている。
沢が外野を向いた。
「どんどん打たせていくから、捕ってくださいよー? 覚悟しといてー!」
山口が沢に両手をぶんぶん振った。
「任せとけー!」
友樹と桜井も沢に手を振った。
沢がマウンドに立つと、ダイヤモンドの空気が和む気がする。外野にもその雰囲気が伝わってくる。
二番は左打者だ。友樹の真上にゆっくりとボールが落下してくる。ライトに打たせたのだ。すぽっと友樹のグラブに納まる。左投手の沢は、さっそく勝利した。
「ワンナウトー!」
三番の左打者の打球は三塁ベース付近で跳ねた。岡野が捕り、2歩ステップして一塁へ投げると、福山が腕を伸ばしてしっかりとキャッチした。
沢は無理に三振を取ろうとせず、打たせて取ろうとする。
「ツーアウトー!」
四番の右打者が、沢のスライダーを打って、センターに二塁打となってしまう。
五番打者も右だ。友樹が追いかけたが、ライト前ヒットとなる。
広瀬シニアは8点目を入れた。
痛い追加点だが、沢はへこたれない。
六番の左打者の打球は沢のすぐ傍を抜けたが、ボールの行先には新藤がいた。ノーバウンドでキャッチして、スリーアウト。
「いい立ち上がりだぞ」
監督が沢を励ますというだけでなく、本気で褒めている。
「高見さんとのギャップのおかげです!」
沢がにこにこしてそう言うと、高見も笑顔になった。
四回裏に入る。
打順は八番福山からだ。友樹は福山と一緒にバッターの防具を付ける。
「攻撃はあと三回。逆転は難しいが、まだ不可能ってわけじゃないな」
「はい」
福山がにこりとした。普段怖そうな顔をしている福山は笑うと可愛げがあった。
「俺がなんとか出るから。続いてくれ」
「はい!」
福山が右打席に入る。
東野を応援する広瀬シニアの声と、福山を応援する遠園シニアの声が混ざり合う。遠くから聞けば1つの響きに聞こえるだろう。
福山の意地が飛ばした打球は、三遊間を破ってレフト前ヒットになった。
「よし!」
草薙のいつもより覇気のある声が響いた。
次は友樹の番だ。ネクストバッターサークルから立ち上がり、打席へ。
東野は新たな勝負を歓迎するかのように叫び声をあげた。
勝負を受けて立ってやる。友樹も叫んだ。
福山が進塁できるようにしたい。
しっかりと打球をヒットにできるように狙い球を決めよう。
カーブはヒットにするのが難しそうだ。
なら、新藤みたいにストレートに絞ろう。
第一球は、頭より上の高さからすとんと落ちてくるカーブだが、ストライクゾーンには入ってこなかった。
「ボール」
よし、しっかり見送ったぞ。
第二球、膝もとに来るストレート。
これを待っていた。
友樹は打ちにいく。
バットにボールがしっかりと当たった。
レフトへのファールだ。少し力が入り過ぎた。
チャンスだったのに……と、友樹の眉間に皺が寄る。
友樹は打席を外して、深呼吸した。
仙台広瀬シニアのスタンドの大声援に、かき消されそうな遠園シニアのベンチの応援の声に耳をすませる。
皆の声が聞こえる。
友樹は打席に戻った。
三球目はストレート。
狙い球だとバットを出してから、まずかったと気づく。
完全なる高いボール球だったのに、打ってしまう。
真後ろに飛んだのは、はっきり言って幸運だった。
今ので打ち取られてもおかしくなかったと、友樹の額に汗が滲む。
それにしても東野は今までカーブとストレートしか使っていない。本当にその2種類しか投げない人なのだろうか。それとも、後半になったら他の何かを投げるつもりなのか。
ワンボール、ツーストライク。友樹はもともと短く持っていたバットを、もっと短く持ち直した。
追い込まれれば、狙い球などと言っていられない。
今まで、高いカーブのボール球に、膝元のストレートに、高いストレートのボール球。
次は何が来るか。
四球目が外角低めに来る。思考ではなく反射で、体がスイングを止めた。
「ボール」
外角低めから、斜め下へとボールが逃げていった。
スライダーだ。
東野バッテリーは、ようやく2種類目の変化球を解禁したのだ。
今のを打っていたら、本当に危なかった……。
ツーボール、ツーストライクの平行カウントとなる。
周りの音よりも、自分の心臓の音のほうが大きく聞こえる。
「井原ー!」
一塁の福山が叫ぶ。
「無理そうなら右に打てー!」
例え打ち取られても、右に転がせば福山は二塁まで行ける可能性が高い。
「井原!」
後ろのネクストバッターサークルから草薙が声をかけてきた。
「福山は見かけよりは遅くない!」
「『見かけより』は余計だー!」
草薙と福山のやりとりに友樹は笑うことができた。
五球目は膝元から逃げるがゾーン内に留まるスライダー。
これはカットできそうだと、友樹は軌道をよく見ながら丁寧に右へ運んだ。
打球が一塁線上の向こうにファールとなる。
よし、狙った通りのことができたぞと、友樹は手応えを感じた。
六球目はストライクゾーンから大きく外れた低めのカーブで、見せ球だ。
これの残像を残してしまえば、次で打ち取られてしまう。
友樹は束の間、目を閉じて頭の中でストライクゾーンの枠を再確認した。
だけど、それは難しいことだ。
七球目がストレートだと、投げられた瞬間に分かった。
内側、高めに来る。ストライクゾーンに入るか入らないか、さっきの見せ球のせいで判断できない。
それなら思いきり振ってしまえばいい。
頼む、右側に行ってくれと念じながら、引っ張らないようにスイングした。
打球はファーストの頭を越え、落ちて跳ねた。
跳ねた打球は転がり、ライト前ヒットになった。
「やったああ!」
友樹は一塁でガッツポーズした。
遠園ベンチとスタンドの歓声が大きくなり、友樹の元に届いた。
無死一二塁のチャンスで、草薙の登場だ。