第64話「自信のない子に、誰がショートを任せたい?」
「じゃあ、考えな。新藤さんと香梨ちゃんが何故井原くんより優れているのか。まずはそこからだよ」
帰宅した友樹は姫宮の言葉を何度も繰り返し思いだしていた。
友樹は今日の試合の3人について『野球ノート52』に纏めていく。
草薙はいつも通りの好守と、好走塁を見せてくれた。
新藤はしっかりと守れるだけでなく打力がいい。
2人とも友樹より攻撃に優れているということだ。
『俺ももっと打てて走れるようになる!』とボールペンの赤でノートに書いた。
次に友樹は今日の練習試合のできたことを書き始めた。
今日はよく打てた。どうして打てたか?
最近の練習の成果がでてきたからだ。それに、中途半端に迷わなかったからというのもある。でもそんな精神論だけで終わらせる気はない。もっともっと分析しないと。
野球ノートを書き終えると、友樹は母の手伝いをして料理を作った。今日は酢豚だ。
「頑張りすぎて無理しちゃいけないよ」
体の弱い母はいつも友樹の体調を気遣ってくれる。
「俺は大丈夫」
友樹は前よりたくさん食べられるようになった。3杯目の大盛りご飯を茶碗によそう友樹を見た母は、友樹とよく似た猫目を細めてにこにこした。
○
翌日。スクールバスが学校に到着した。
授業が始まる前にスマホをしまおうとして、哲浩からの着信に気づいた。
『今度の大会で勝ち進んで滝岡と遠園で試合したいな』
友樹は笑顔になって、後で返信しようと思いスマホをしまった。そのときだった。
「にこにこしちゃって、どうしたんだよ?」
大志が話しかけてきた。
「こないだの哲浩から連絡が来たんだよ」
大志が丸いたれ目をさらに丸くして驚いているが、何も言わない。どうしたのだろうか。友樹は大志の顔をじっと見た。大志がどこか強張った顔をしている。
「大志?」
「ふーん、そう」
大志はすっと目を細めた。
「Aチーム同士仲がいいじゃん」
何か、棘を感じた。
「俺ら、同じ遠園でもAとBだもんな」
「何言ってんだよ?」
「俺たちはいつもお前を応援しているのに。まあ、そうだよな。一緒に試合してる同士の方が楽しいよな」
「何言ってんだよ……。どうしちゃったんだよ?」
「お前、俺たちとの練習やめろよ」
「え?」
遠園シニアの練習は基本は土日だ。平日は学年別に皆で集まって自主練をしている。一年生は河原に集まるのが定番だった。
「だってさ、1人だけ一軍。レベルが違うんだから。……1人だけ!」
冷たく刺さる物を胸に投げ込まれたみたいだった。刺さった場所から凍てついていく。そんな言いかたって、ないんじゃないのと言いたかったが始業のベルが鳴ってしまった。
授業中、友樹の頭の中は「1人だけ」という言葉に支配されていた。
昼休み、普段は大志と青葉と蛍と弁当を食べるが、大志は1人で食べている。
「喧嘩しちゃったの? 馬鹿だね……」
いつも通り口は悪いが、青葉は心配しているようにも見える。
「俺……何かしたのかな」
「なんもしてない」
「うん」
よかった。
「まあ、何もしてないけど……」
言いにくそうに、青葉が口を挟んだ。
「なあに? 言ってよ」
青葉と蛍が顔を見合わせた。
「友樹は滝岡のAチームのやつと仲良くしてただろう。それが大志は嫌だったんだよ。本当は大志だってAチームに行きたいんだから」
友樹は胸の中に棘のあるもやもやを投げ込まれた気分になった。
「あいつはリトルで1番上手だったから。友樹にあっさり追い抜かれたのを、本当はへこんでいたんだ」
「あっさり?」
「だって、友樹はあんなチームにいたのに大志以上の実力がある。あいつ、言ってたんだ。『才能が違う』って」
才能。その言葉が急に嫌なものになった。
「あんなチームだけど、俺だってたくさん練習してた!」
友樹の声が大きくなった。青葉と蛍は「落ち着けよ」と言いたそうな目で見てきた。見れば、友樹の声にクラスの何人かが驚いている。友樹はできるだけ、声を潜めた。
「俺がどんな練習をしてたか、話せば大志は分かってくれるかな」
青葉と蛍が揃って首を傾げた。
「……まあ、話してみたら」
〇
放課後、友樹は教室を出ていこうとする大志の前に強引に飛びだした。
「なんだ? あっち行けよ」
「野球ノートだよ!」
「は?」
「東チームで練習しただけじゃなくて、野球ノートを書いて自分で練習してたからうまくなったんだよ。だから、才能なんかじゃない!」
友樹は言いたいことを言いきったが、 大志は薄笑いを浮かべた。
「そうかそうか。1人で練習してたから、うまくなったのか。……なら、これからも1人でいいだろ?」
まさかそんな風に受け取られると思っていなかった友樹は、ショックで固まった。
大志と嚙み合わない。大志はさっさと出て行ってしまった。いつの間にか、青葉と蛍もいなくなっていた。
友樹は行くあてがなくさまよっていた。
一年生たちと一緒に練習できない。前に新藤に誘われて三年生の練習に混ざったことはあったが、友樹からは頼みにくい。
友樹は一筋の望みを抱いて、文芸部室に来た。草薙がいればいいのに。
文芸部室にいたのは、檜と福山と西川だった。3人とも、なんでお前がここに、という顔をしている。
大志に1人でやれと言われた、と言うわけにもいかず、
「あの……、二年生と一緒に練習できないでしょうか……」
何の説明もなく切りだしてしまった。
「他の一年と喧嘩でもしたか?」
福山に図星を突かれてぎくっとした。友樹の様子を見ただけで、3人は察したようだ。
「二年生は『底有り沼』のほとりで練習してる。来い」
浅く危険の少ない沼なので、底有り沼と地元の人たちから呼ばれている。地元の皆に愛されている花が咲き乱れる沼だ。彼岸花も咲くので秋は少し怖いが。
檜と福山は自転車だが、スクールバスの西川は友樹と同様で歩きだ。檜と福山は先に行ってしまった。西川と友樹はランニングしながら行く。
「ともっちだけ一軍なんだから、大変なこともあるよね」
走りながら西川がそう言った。友樹はびっくりした。大きな声を出している印象しかなかった西川は優しい人だったのだ。
「ともっちは何も悪くないよ」
西川は友樹が誰と喧嘩したかも知らないのに、温かい言葉をくれた。そうか、俺は悪くないんだと友樹は思い直すことができた。
「一軍にいるやつは皆、堂々としてなきゃいけないよ」
「はい」
友樹は西川の言葉を、心の中にも頭の中にもしっかりと入れるように頷いた。
沼に到着した。
5月の陽気の中、シロツメクサが咲き乱れ、モンシロチョウがふわふわと漂っている。名前を知らないピンクや黄色、青っぽい花もある。沼は青空を反射して青々としている。美しい場所だと思った。
西川に続いて、挨拶をしてからほとりに行くと、二年生たちの視線を感じた。
「井原が一年たちにいじめられたから、こっちに連れてきたぞ!」
福山が沼のほとり中に響き渡る声で、微妙に違うことを言った。
違いますと訂正したかったが、二年生の皆はすぐに、へえ、と頷いた。違いますと言うタイミングを逃してしまった。
奥から草薙が現れた。他の男子たちと違い、極力花を踏まないように歩いている。
「喧嘩をしたのは、大志と?」
「どうして分かったんですか?」
草薙が小さく笑った。
「あの子にはそういうところがあるから」
やっぱり、草薙と大志は幼馴染なんだなと実感する。
「まあ、理由はともかくここに来たんなら練習しないと」
「はい」
友樹は鞄からグラブを出した。今日は西川とキャッチボールをする。人によって投げたボールの軌道は違う。西川のボールは捕る人への思いやりを感じさせた。
沼にボールが落ちないように大きなネットを張っている。土地の管理人のおじさんの許可を貰って、沼の近くの小屋にネットをしまっているそうだ。
それぞれ数人ずつに分かれてティーバッティングを始める。
一年生たちとの練習よりレベルが高い。トスもスイングも段違いに速かった。
二軍の二年生もだ。一軍も二軍も関係なく、誰もが手を取り合い、共に前に進もうとしている。だからこそ、一軍の草薙、檜、福山、西川は力一杯頑張る。
俺は大志とこんな関係になれるだろうか、と考えても仕方ない。友樹は友樹で前に進むしかない。
「井原、やっぱり落ち込んでるの?」
草薙はいつも通り淡々としているが、友樹を心配してくれているように感じる。
力無く頷いた友樹に、草薙は少し微笑んだ。
「嫉妬されるのは実力の証だよ。俺が一年生で1番うまいんだって、思っていればいいよ」
それでも元気が無い友樹の肩を草薙が優しく掴んだ。
「自信のない子に、誰がショートを任せたい?」
友樹は、はっとして顔を上げた。
草薙が友樹を優しい目で見ている。
「私と新藤さんに勝ちたいなら、落ち込んでいる暇はないよ」
友樹は大きく頷いた。
悲しいけど、それでも頑張ろう。
風に乗って蝶が空高く飛んでいく。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回から選手権東北大会が始まります。
遠園シニアはシードなので二回戦から始まりますが、とても強いチームと戦います。
そして、友樹と大志の仲も……?
これからも読んでいただけるととても嬉しいです!