第63話「野球の才能」練習試合滝岡シニア6
「さあ! 1点!」
「おう!」
新藤に続き、全員で腹の底から声を出す。
ここで1点を入れれば遠園の勝利で、入れられなければ延長だ。勝負は早く決めるに越したことはない。
七回裏は打順一番草薙から。相手ピッチャーは引き続きエース明石。
友樹はネクストバッターサークルに入る。日光が眩しくなってきた。友樹は草薙の背を見つめる。男子の先輩たちと比べると小さな背だが、力を感じる。
草薙はまず内側に身を捻り、溜め込んだ力を開放するように外側に身を捻って打つ。あまり左足は上げず、地を滑らせるようにステップする。しなやかなバッティングフォームだ。
まずは明石のシンカーをカットした。バックネットがぐらりと軋んだ。
もしかして、草薙さんはストレートを狙っているのか、と友樹は思った。
二球目のストライクゾーンの外に落ちていくシンカーはきっちりと見ぬいた。
三球目は内角高めにストレートだ。
草薙が腕を畳みながら、身を内に捻り、溜めた力を1つ残らず吐き出すように外に捻る。
惜しい。打球は三塁線を越えたファールだ。ここで1度、草薙は打席を外して屈伸した。そして打席に戻った。
四球目の外へのボールを見て、ツーボールツーストライクの平行カウントとなる。
明石が1度、間を取った。そしてまた挑んでくる。
草薙は迷いなく体を捻った。しなやかなステップと回転の力がバットに伝わり、明石の低めのストレートを捉える。
草薙は捻っていた身を伸ばし、一塁へと走りだした。
打球は綺麗に前へ。明石のグラブの上を通り過ぎる。哲浩と姫宮の二遊間が共に飛びつくが、打球は2人の間を軽やかに抜けた。
綺麗なセンター返しだ。
友樹は草薙への賞賛を胸に抱き、ネクストバッターサークルから立ち上がった。
二番友樹。両チームの誰よりも小さいが、誰よりも弱いということではない。素振りで空気を切り裂いてから右打席に入った。打席に入るとピッチャーに上から見下ろされるが、怖くなんかない。攻めるのはこっちだ。
その時、明石が吼えるように叫んだ。決して気おされてはいけない。心を奮い立てるために、息を吸い込み友樹も叫んだ。互いに声を叩きつけた2人は睨み合う。
明石からの第一球は、内角高めへのストレートだ。
友樹は軽く左足を上げながら身を捻り、コンパクトなスイングをした。一塁線向こうにぼてっと転がるファールになる。
力で負けただろうか。それならシンカーを狙ってみよう。友樹はバットのヘッドでホームベースをこん、こんと叩いて距離感を確認した。
外角低めにシンカーが来る。ゾーン内に入るか? 入らないか? 考える時間などない。思いきって振ってやる!
友樹は左足を上げ右股関節に体重をかけた。そして体重を全てスイングに乗せられるように腰を捻り、打った。
振った後まで完璧なフォームだったが、今度はレフトにファールフライだった。
明石さんは強い。友樹はふー、と汗を拭った。
明石はエースらしく表情をあまり変えないが、わずかに目を細めている。
そうか、明石さんも楽しいのか、と分かって友樹は嬉しくなった。相手を楽しませられるような選手になれれば、きっともっと強くなれる。
明石からの三球目はボールだった。
というより、キャッチャーがあらかじめボールを指示したみたいだ。友樹は当然振らない。
捕球するとキャッチャーはすぐに立ち上がり、二塁へ投げた。二塁ベースの前側にいた姫宮が捕球して草薙にタッチしようとする。草薙は身をよじってスライディングしている。
「セーフ!」
草薙の盗塁が成功した。明石とキャッチャーは草薙を刺したくて、わざとボール球を投げたのだ。
友樹は打席の横で喜び、ぴょんっと跳ねた。
これは俺と明石さんだけの戦いではない。ランナーも、キャッチャーも、野手たちも、皆、今戦っている。
「楽しいな……」
無意識に呟いた。これからどんどん強くなっていくつもりだ。水上にも姫宮にも新藤にも、そして、草薙にも負けないように。だけどそれでも楽しい。野球は楽しい。
友樹の中から、たくさんの気持ちがあふれてくる。
友樹は打席に入り、笑顔で叫んだ。
楽しくてしかたない。勝ちたくてしかたない。
満ち足り過ぎて苦しいから、叫んで外に吐き出した。
そして、澄んだ瞳で明石を見つめる。楽しい勝負を再開しましょう。
明石は2度草薙を牽制すると、堂々と友樹に向き直った。勝負が再開する。
友樹は心のこもった大振りで、外角低めのシンカーに立ち向かった。
バックネットを揺らす、高く上がったファールとなった。追い込まれていても、不安はない。胸の鼓動の速さは焦りのせいではなく、興奮しているからだ。
明石の五球目は、際どいシンカーだ。カットしようかとも思った。でも、これならきっとストライクゾーンを出ていく。
出ていかなかったとしたら? でも、出ていくという直感を信じよう。
ボールだった。捕球したキャッチャーが立ち上がり三塁を見たが、投げられない。
草薙が三盗したのだ。
草薙の誰よりも土を付けたユニフォームに、新たな土が付いた。
やっぱり、あなたは理想の選手です。友樹の口角がきゅっと上がった。
第六球、友樹はすぐに振ると決めた。ストライクゾーンの外から中に入って来るシンカーを鋭くバットで叩いた。
打球は速く、ファーストもセカンド哲浩も全く反応できず、ライトへ抜けていった。一塁に到達した友樹は、すぐにホームへと走った。
ホームインしてサヨナラ勝利をもぎ取った草薙の元へ、遠園シニアの皆が駆けて行く。
「試合終了!」
「俺たちの勝ちだー!」
いつも明朗な新藤の声は、興奮して枯れている。
友樹は遠園シニアの輪の中心にいる草薙を見た。泥だらけだ。
「やったなあ!」
友樹は沢にヘルメットを叩かれた。
「ともっち! すごおーい!」
西川も友樹のヘルメットを叩く。
「ああ。よくやった」
先ほどまでの興奮を抑えて、新藤がキャプテンらしく落ち着いて言った。
「ありがとうございます!」
友樹は幸せだと思った。野球の中にいる幸せ。
「よく粘ってくれたね」
草薙が友樹の背を叩いた。草薙に褒められて驚くと、彼女のユニフォームの土の匂いを感じた。
試合後、皆で後片付けをする。友樹がトンボでマウンド付近の土をならしていると、哲浩に背をぽんっと叩かれた。
「今度は公式戦かな。頑張ろうな!」
「うん!」
「次は勝つからな」
「次も勝つからな」
2人で、夕焼けの下で声を立てて笑った。
哲浩と連絡先を交換した。
ふと、哲浩が向こうを見たので友樹もそちらを見た。姫宮がこちらに来る。
「井原くん、だよね?」
「はい」
姫宮が賢そうな瞳に楽しそうな笑みを浮かべた。
「君ってもしかして、あるんじゃないか?」
「何がですか?」
姫宮が穏やかに微笑んだ。
「野球の才能」
友樹は驚いて、何も言えない。その様子を見て姫宮がくすくす笑う。
「才能のある子は無視できないな」
その言葉に心臓がばくばくする。
あんなに憧れていた人にそう言われてしまって、もうどうしたらいいか分からない。
才能があるのなら、俺は強くなれるはずだ。そう思える。勇気になる。
それと同時に、大きすぎる言葉が怖い。
才能って、何だろう。
なんだか、全てを見透かされているようで怖いな。
俺が姫宮さんの動画を100回以上見たこともばれていたりして。それは恥ずかしい。
「井原くんはどうしてそんなに急に強くなったんだ?」
今まで草薙ばかりを見ていた姫宮が、自分を見ている。友樹は欲しいものを1つ得た気持ちになった。
「青森山桜に負けたからだと思います」
「そうか」
姫宮が楽しそうに、にこりとした。友樹は真剣な顔だ。
「井原くんにはいいセカンドになってもらわないとな」
「セカンド?」
「優れたショートには優れたセカンドが必要だ。香梨ちゃんがショートになったら、きみがセカンドになる。香梨ちゃんを助けてよ」
姫宮はよそのチームの先輩だけど、ここははっきり言わないといけないと思った。
「俺がショートになります」
姫宮はぱっちりした目で何度か瞬きした後、にこりとした。顔は笑っているが、少し怖い。
「香梨ちゃんに勝てるとでも?」
「勝ちます!」
「じゃあ、考えな。新藤さんと香梨ちゃんが何故井原くんより優れているのか。まずはそこからだよ」
友樹が何も言えないでいるうちに、
「行こう、哲浩」
「はい!」
姫宮が哲浩に声をかけて去って行く。哲浩が「連絡くれよ」と友樹に笑顔で手を振った。友樹は哲浩に手を振り返しながら、姫宮の言ったことを考えていた。