第61話 俺も嬉しいよ 練習試合滝岡シニア4
四回表は、友樹の後の九番沢が哲浩にアウトにされたために結局無得点だった。
「せっかく井原が頑張ってくれたのになあ」
沢が友樹の腕をぽんぽん叩く。
友樹は、今なら勇気を出して言える、と思った。
「沢さんは投げてくれました。大丈夫です!」
先輩を励ますのは勇気が必要だった。大丈夫だろうかと友樹は不安だったが、沢がにこっと笑った。
「言うようになったなー!」
沢に軽く抱きしめられて、言えてよかった、と友樹は頬が熱くなった。
四回裏。滝沢シニアの攻撃だ。
遠園シニアの投手は沢からアンダースローの三原に交代だ。三原はマウンドに立つと存在感がある。
三原がうまく相手にゴロを打たせて、岡野が2つアウトを取った。ピッチャーの投げるリズムがいいと、野手はとても守りやすい。友樹の気分ものってくる。
六番打者の打球がセンター深い位置に飛ぶ。少し高い弾道だが風に乗ってぐんぐん伸びていく。だが、センターを守るのは草薙だ。草薙は誰よりも一歩目が速い。一歩目が速い上に、俊足だ。草薙が追いつく。カバーに入っていた友樹は草薙の攻守を目の前で見ることができた。やはり美しい。この人に憧れて遠園シニアに来た甲斐があるというものだ。
「草薙さん! 凄いです! また今度一緒に練習しましょう!」
「はいはい。今度ね」
いくら褒めても称えても、草薙は全く表情を変えない。俺の気持ちが少しも伝わっていないのだろうか……と、心配になるといえばなるが、草薙はこういう人だと分かってきたところだ。
五回表。遠園シニアの攻撃。
岡野が打ち取られて、一死で草薙の番だ。草薙は打席に立つと切れ長の目を見開く。打席に入った草薙は少し怖いくらいだ。
外角からストライクゾーンに出ていく。草薙は惑わされない。バットをびたっと止めた。
フルカウントまで粘りに粘った草薙は、まさかのセーフティバントで意表を付く。走りながらの押し出すような見事なバントだ。ピッチャー西の虚をつくほどの鮮やかさだった。監督を見ると、少し笑っている。どうやら監督からのサインではなかったらしい。
「やったやったあー!」
友樹は草薙本人よりはしゃぐ。草薙が一塁からこちらを見てきた。友樹と草薙の目が合う。友樹はにっこりと笑ったが、草薙は唇に微笑を浮かべるだけ。草薙はこういう人だ。
次は打つと言った三番新藤が、カットをして粘る。キャプテンとして負けられないのだ。
新藤が際どいボール球を微動だにしないで見ぬいた。その際に草薙が静かなスタートで盗塁して、余裕で二塁に到達する。チャンスだ。友樹はドキドキして祈るように両手を握り合わせた。
やはりキャプテンだ。新藤がセンターにツーベースを打ち、草薙が悠々とホームに還ってきた。
1人1人とハイタッチする。友樹が力一杯タッチすると、
「力強すぎ」
と言って草薙は楽しそうに笑った。
五回裏。滝岡シニアの攻撃。
一死満塁の状況で、ツーストライクに追い込まれていた姫宮が、レフトにツーベースを打つ。滝岡シニアはわーっと盛り上がった。
「あいつ、ようやくセンター以外に打ったな……」
と、福山がベンチで腕を組みながらしみじみと言った。
センターで草薙が険しい顔をしている。
「いっそ、私のほうに打ってくれたら捕れたんだけどな!」
草薙は何度もセンターに打たれてもちっとも怯んでいなかった。
これで滝岡シニアに2点入れられてしまった。
次は三番哲浩。センターに高く打ち上げる。空から落ちてきたような打球を、草薙があっさりとキャッチしたが、三塁ランナーがタッチアップした。さらに1点取られてしまった。
四番のフライがセンターに飛んでくると、草薙は嬉しそうに捕球した。やっぱり守備機会が多いほうが楽しいよな、と友樹は思った。
次の六回表では必ず友樹の打順が回ってくる。次は絶対に打ってやる。負けの記憶は勝ちでしか払拭できないはずだ。挑む。立ち向かう。攻めていく。
「井原、交代だ」
しかし、先輩と交代させられてしまった。
いいところだったのに……!
物足りない。もっと試合に触れていたい。野球の中にいたい。
友樹の表情を見て、監督は明るく笑った。
「二試合目も必ず出すからな」
友樹はなんとか納得して頷いた。
最終回の裏。滝岡シニアの攻撃。
ここで抑えないと延長になる。
セカンドにライナー性の打球が飛ぶ。岡野さんなら捕れると友樹は思ったが、岡野のグラブが弾いた。
皆が岡野に声をかけるが、なんと言っていいのか友樹は分からなかった。こういうところが俺はまだまだだ、と思う。後輩としての遠慮はある。でも、今は無理でも、これからはもっと力強く仲間を励ませるようになっていきたい。
延長にもつれ込み、負けてしまったが、
「二試合目は勝つぞ!」
「おう!」
遠園シニアは落ち込まない。大丈夫だ。負けてばかりではないという確信がある。
Bチーム同士の試合を遠園シニア、滝岡シニアのAチームで一緒になって応援する。
福山と檜が姫宮に絡みにいった。
「センターにばっかり打って。香梨を狙ってんのか?」
「わざとじゃない!」
姫宮は福山と檜を呆れた目で見た。
「ふーん?」
「本当だ!」
肝心の草薙は、3人から外れて西川の側に身を寄せている。
「草薙っちはモテるねえ!」
と、西川が言うと、
「うざいだけだよ」
草薙は姫宮がショックを受けそうなことをさらりと言い放った。
滝岡シニアの輪からぽんっと抜けだした哲浩が、友樹の元に小走りで来る。にっこりと友樹に微笑む姿は、本当に優しそうだ。
「凄いよトモキ! あのライトゴロは凄い!」
哲浩は興奮冷めやらぬ、と言った感じだ。友樹は照れて、何も言えない。
「投げるのうまいし、肩も強いし、どんな練習してんだ?」
野球ノートのことを哲浩に話してもいいかな、とちらりと思った。今日会った人にそう思う自分自身に驚く。哲浩なら、友樹が自由に書いてたくさんのコメント(人に見せるのは恥ずかしい)を笑わないと思ったのだ。大志あたりはゲラゲラ笑いそうだ。
「自分でいろいろ調べてノートを書いてたよ」
「おお! 野球ノートだな?」
「うん。人にはあまり見せないけどね。小さい頃から書いてる」
凄い凄い、と哲浩にもてはやされて友樹はいい気分になってきた。
「アキヒロも見る?」
言ってから、やばい、と思った。やっぱり人に見せるのは恥ずかしい。選手への謎の上から目線コメントとかがある。若気の至りだ。
「いや、いいよ。友樹が一生懸命書いたものだからね。見ちゃ悪い」
ほっとしたと同時に、かつて草薙にノートを見せ合いたいですと言った自分の小ささを実感して、友樹は恥ずかしくなった。頬が熱くなる。そんな友樹の複雑な思いを知らない哲浩は、にっこりと青空が似合う笑顔を浮かべた。
「俺、今回がAチームになるのが初めてで、心細かった。まさか遠園の人とこんなに喋れると思ってなかった」
こんなに喋ることができたのは、哲浩自身の性格のおかげだ、と友樹は思う。
「俺も嬉しいよ。これからも喋ろう」
2人は一緒に並んでBチームを応援した。どちらかがガッツポーズをすればもう片方はうなだれるという敵同士だが、それでも2人一緒は楽しかった。
そして、第二試合が始まる。