第60話 強くなると決めている 練習試合滝岡シニア3
友樹の好守に盛り上がる。良い守りの後は良い攻撃の流れがくるものだ。しかも、一番岡野からの好打順だ。
ここで、滝岡シニアの監督が投手を交代した。小出から右投手の西に。
「はい、どうぞ!」
友樹はネクストバッターサークルに向かう草薙にバッティンググローブを渡した。
「ありがとう」
草薙に礼を言われて友樹はにっこりと微笑んだ。些細なことであっても、ライバルに認められるのは嬉しい。
岡野が屈伸して左打席に入る。西はロジンを念入りに手につけた。岡野はベンチに振り返り笑顔を見せた。ベンチの皆も気分が上がり、それぞれ声援を送る。
「頑張ってください!」
岡野はあまり話す機会のない先輩なので、今まであまり声援を送ることができていなかった。だがさっきのガッツポーズで友樹は吹っ切れた。先輩だろうと、どんどん応援していきたい。岡野が友樹にも頷いてくれて、友樹は笑顔で何度も頷き返した。もっと遠園シニアの真ん中に入っていきたい。
西は険しい顔でマウンドに立つ。
「抑えるぞ!」
三遊間から姫宮が叫んだ。
「しゃあ!」
滝岡シニアの全員が姫宮に応えて声を出した。滝岡シニアの雰囲気が締まった。姫宮はまさしくチームの中心にいるのだ、と友樹は姫宮に魅せられてしまった。あんな風に空気を変えられるなんて、どれほどの信頼を得ているのだろう。信頼を得るまでに、どれほど努力したのだろう。本当に凄いことだ。
ややオーバースローよりのスリークォーターで西が投じた初球は、ど真ん中カーブだった。これを打っても飛ばないと判断したようで、岡野は見逃した。西は手堅くストライク先行にしたということだ。
ドキドキした友樹は、自分の唾を飲み込む音をはっきりと聞いた。
二球目は外角低めにストレートだった。岡野は食らいついてバットに当てたが、体勢を崩され過ぎていた。フェアグラウンドに力無くバウンドして、打ち取られるぞと皆ひやりとしたが、打球は切れて三塁線の向こうに行き、ファールとなった。岡野が胸に手を当てている。ベンチの皆も、ほっとして力が抜けた。自分の打席ではないのに友樹の心臓がうるさく鳴る。
「もっと前に飛ばせよ!」
新藤の声はグラウンドに響き渡る大きさだ。岡野は頷きながら額の汗を拭っている。
「お前ならできっから!」
新藤の声に、遠園ベンチは少し落ち着いた。新藤は特別なことは言わない。作り込んだ言葉を使わない。少ない言葉で皆を元気づけられる。
頑張ってください岡野さん、と思いながら友樹は手をぎゅっと握った。
三球目、四球目は一塁側にファールにした。粘っている。
ここで、西が少し投球までの間を取った。ピッチャーは間を支配できるポジションだ。間はとても大事で、打者だけでなく野手たちにも影響を与える。粘っている今、間を取られたら打ちづらくなるかもしれない。友樹は緊張して、声援を送れなくなった。
そして五球目。西の投球はスライダーだ。左打者の岡野に食い込んでくる。内側に食い込むボールに腕を畳んで対応して岡野は打った。わっ、と遠園ベンチが盛り上がる。
打球は姫宮のいる位置の三歩ほど前にバウンドした。姫宮さんか……と、友樹は目を細める。姫宮は前にダッシュしながら捕球し、そのままの勢いで送球した。かなりの好守備だ。友樹は目を奪われた。
「アウト!」
ああー、と遠園ベンチは脱力した。
「はあ……」
岡野がため息混じりだ。
「このくらいどうってことねえだろ!」
新藤が岡野の尻をパーン! と叩いた。多分結構痛い。新藤は強く優しいキャプテンだが、素の彼はもう少し違うのかもしれない。岡野は新藤に励まされて笑顔になりつつも、やっぱり痛がって尻を摩っている。
次は二番草薙だ。銀色のバットで2度素振りをしてから、右打席に入る。
「打てよ打てよ打てよー!」
「なんでもいいからなんとかしろ!」
「草薙っちー!」
二年生の皆が積極的に応援する。
その間、友樹は新藤にバッティンググローブを渡しに行く。
「はい、どうぞ!」
「ありがとな」
新藤に頭をぽんっと叩かれて、友樹ははにかんだ笑みを浮かべた。
西の第一球は高めのスライダーで、際どくストライクゾーンを出ていった。草薙はボールだと見ぬいて振りそうになったバットを止めた。よし、と友樹は拳を握る。ボール先行だ。
次は外角低めにストレートだ。草薙の下から振りあげるスイングは見事なものだったが、三塁方向のファールフライとなる。サードとレフトが動いたが、追いはしなかった。
次は低めにカーブが来た。草薙は振らなかった。緩急差に対応できなかったのだろう。追い込まれてしまった。
「草薙さんっ!」
友樹はベンチから身を乗りだした。草薙がこちらに振り返る。僅かに頷いたように見えた。
西の四球目はストライクゾーンより内側にストレートだった。草薙は少し避けた。
「あいつ、度胸あるな」
ピッチャーの沢が顎に手を当てて感心している。内側のボールゾーンへの投球は、コントロールが悪ければデッドボールになる可能性がある。
第六球もボールだった。第五球よりは高めの、ゾーンより内側。コントロールが悪ければ顔に当たりかねない。
草薙の顔に当てたら容赦しねえぞ、と遠園ベンチが殺気立った。
これでフルカウントだ。
二球連続で内側なのだから、次は外側に投げるのではないだろうか。友樹は西とキャッチャーをじっと見た。
第七球。草薙は外角低めを想定した、大きなスイングをしたのだが、ボールはストライクゾーンぎりぎりの内角にきた。これはやられた、と友樹は思った。外角に意識を向けさせられて、内角で三振を取られたのだ。
草薙が、無表情でベンチに戻ってきた。これはきっと、怒っている。相手に怒っているのではない。彼女は彼女自身によく怒る。自分に厳しい人だ。
友樹はおそるおそる草薙から防具を受け取りに行くが、その前に檜と福山が草薙を囲んだ。
「なーにやってんだお前はあ!」
「だせえぞ、おい」
この2人は度胸があり過ぎる……、と友樹は思った。草薙は2人をぷいっと無視して新藤の応援に集中している。友樹は四番の桜井にバッティンググローブを渡すと、すぐに新藤を見た。
左打席の新藤の腰を落とす構えは格好いい。新藤は気持ちよく初球から打った。カーン、といい音が空に響いた。打球が前に飛ぶ。
しかし、ジャンプした姫宮のグラブが新藤の打球をなんとか、といった感じで飲み込んだ。
遠園シニアは三者凡退に抑えられてしまった。滝岡シニアの流れに流されない強さを見せつけられた。
「次は打ってみせる!」
キャプテンとして振る舞わなければならない新藤は、常に強くなければいけない。悔しいのを隠し、平静を保つ。だからこそ、誰もが新藤についていきたいと思う。
ショートになるには、新藤にも勝たなければならない。高い壁だ。友樹は密かに拳を握った。
三回の裏は無失点に抑えたが。
姫宮の打球がまた、草薙のいるセンターに飛んでいた。
「あいつ、草薙を狙ってんのか……?」
福山とベンチに戻った檜がひそひそと話した。
四回表。遠園シニアの攻撃だ。二死一二塁で友樹の二打席目だ。
またしても二死か。でももう恐れはない。西はストライクかボールか際どい位置に投げ続けてきて、フルカウントだ。心臓はバクバクしているが、頭はそれほど混乱していない。
強くなると決めている。ショートになり、水上に勝ちにいく。そのためには練習試合で力を見せなければならない。それに、ショートといえど多少は打てるべき、というのが友樹の持論だ。
中途半端が一番駄目だ。友樹は、ストライクゾーン内に入ってくるなら思いっきり打つと決めた。西が脚を上げたのに合わせて、友樹もバッティングの準備をする。ゾーン内かどうか際どいが、打とう。左脚を軽く上げる。右股関節に乗せた体重を力に変換して前に出す。バットがカンッと音を立てた。
姫宮がジャンプして上に掲げたグラブのさらに上を打球が抜けた。レフトの前でとんっとバウンドした。
「よしっ!」
友樹は両手でガッツポーズした。少し勇気を出してベンチに手を振ると、皆が振り返してくれた。
姫宮を見ると、彼は少し笑って友樹に軽く手を振った。姫宮さんはいつも余裕そうだ、と友樹は思う。いつかその余裕を崩せたら、姫宮はもっと熱く挑んでくれるだろうか。