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第57話 決意

 翌朝、目が覚めると右手が真っ黒い画面の充電切れのスマホを握っていた。


 昨夜はスマホの動画をつけたまま寝たようだ。自分と草薙の二遊間の動画を眠ってしまうまで見ていた。


 ベッドから重い体を起こす。単なる疲れだけの重さではない。顔を洗おうと洗面所に行くと、鏡に映った友樹の瞼は赤く腫れていた。



「おはよう」


 今日は茜一郎せんいちろうの母の車でグラウンドに向かう。茜一郎は友樹の赤い瞳と目が合った瞬間に、口を閉ざした。


「こんなの平気だよ」


 友樹はぎこちなく笑ってみせた。茜一郎はおそるおそる頷いた。


 同じ一年生でも、試合に出る人と出ない人では、埋められない感覚の差がある。


 車に乗ると、茜一郎の母が4つのおにぎりをくれた。いつもは朝から4つも食べるのはきついと思うのだが、今朝は違う。友樹は無言で大口を開けておにぎりを齧った。


 もっと俺の体が重ければ打球の威力が増して、あのショートを強襲するヒットになれたのでは。そう考えてしまった友樹は、泣きそうになりながらおにぎりを食べた。


 グラウンドに到着すると、友樹と茜一郎に大志たいしたちが駆け寄ってきた。

 茜一郎と同様に大志たちも友樹を心配したが、友樹は「大丈夫」だと返した。


「浅見コーチ」


 友樹は一直線に守備走塁コーチの元に来た。友樹がどれほど泣いたか分かる瞳を見た浅見コーチは、そっとしゃがんで友樹より低い目線になった。


「どうした?」


「昨日の、あのショートの動画をください」


 浅見コーチに続いて、グラウンドの端にある室内練習場の、パソコンがある部屋に来た。新しいパソコンが綺麗な画面で友樹の負けを映しだす。友樹はやりきれなくてボロい壁に寄りかかった。


「青森山桜(さんおう)水上みなかみ(あつし)くんだよ」


 よく日焼けしていて、歯が白い。目つきは鋭い。

 友樹は水上の存在を受け止めるように画面を見つめた。


「そんなに大きな人ではないですね?」


 誰もが大柄な青森山桜の中では、少し体の線が細い。


「一年生だからね」


「……え?」


 友樹は驚愕して、真っ赤な目を見開く。

 浅見コーチは何も言わず、友樹が事実を受け止めるのを待っているみたいだった。


 一年生?


 友樹の心臓がバクバクする。


 リトルシニアに入って2か月足らずで、もうチームの中心にいるのか。


 確かに友樹だって2か月足らずでベンチ入りしているが、チームの中心にはいない。チームに認められたばかりだ。


 弱いチームから強いチームに来て、きっと浮かれていたのだ。レギュラーになっただけで喜んでいた。試合に出られるだけで嬉しかった。

 憧れの人と並び立てるだけで、チームに来てよかったと感じていた。


 でも、この人は?


 水上は友樹と同じ一年生なのに、当たり前のようにチームの真ん中にいる。


 弱いチームで、まともな指導者に出会えなかったから、自分で調べて野球ノートを作って練習していた。もっと強いチームにいられたらもっと強くなれたのかと思ったときもある。


 でも、憧れた草薙と共にプレーして、これでよかったのだと、自分なりに分かった。


 それなのに、こんなに差をつけられて負けているなんて嫌だ。


 負けることができただけでよかったと思えるのは昨日までだ。


「浅見コーチ、このチームに連れてきてくれてありがとうございます」


 浅見コーチと出会えなければ、こんなに泣くことすらできなかった。きっと、弱いチームでただ笑っていた。


「俺は勝ちたいです! この人に勝ちたい! 同じ一年生なんですよ!」


「友樹、落ち着いて……」


「せっかく強いチームにこれたんです! 草薙さんとも一緒に戦いました! それなのに!」


「友樹、近道はないから。一歩一歩、行くしかないから」


 友樹は浅見コーチに頷いた。


 練習の前に、監督が遠園シニア全員の前に立った。


「お前たち、昨日はよくやった。あの青森山桜さんに対して乱打戦だ。面白いじゃないか」


 あの試合を「面白かった」と振り返られる日は来るだろうか。


「『春季大会』でベスト8になったから、次の『選手権東北大会』はシードだ。つまり、次があるってことだ!」


 はい! と皆の覇気のある声が響いた。

 友樹は元気が出ないが、無理やり大きな声を出した。あの試合を面白かったと言えるようになるには、強くならないといけないだろう。


「それと、来週の土曜にまた『滝岡シニア』と練習試合をする。向こうはリベンジに燃えているだろうな。この練習試合によって、選手権東北大会のレギュラーメンバーは大きく変わるぞ」


 皆がざわっとしたのはほんの一瞬で、すぐに、はい! と大きな返事が響いた。


 友樹は、次の練習試合で活躍すると決めた。レギュラーの座を死守したい。水上に勝つにはまず、チーム内の競争に勝たねばならない。


 キャッチボールの時間になると、友樹は真っ先に草薙の元に来た。草薙は友樹の目元に気がついたが、何も言わないでくれた。


 草薙からボールを受け取り、投げ返す。同じリズムで繰り返すと、友樹の心は徐々に落ち着いていった。

 一球、一球とやりとりするのと一歩、一歩進むのは似ている気がした。


 午前の練習が終わり、1時間の昼休憩だ。保護者たちが皆にお弁当を配る。


「おっ、今日もいいねいいね」


 大志がたらこに喜んでいる中、友樹はご飯を噛みながらも水上の動画を見続けていた。


「おい友樹、食べるときくらい動画見るのやめろよ」


 茜一郎が顔をしかめたが、友樹は動画を見るのをやめるどころか、茜一郎にも見せた。


「この人が凄くうまいんだよ」


「うまいな」


 茜一郎だけでなく皆も一緒になって、お弁当を食べながら動画を見始めた。

 

「今度はこの人に憧れたのか?」


 首を傾げた大志に、違うよと友樹は首を横に振った。


「この人に勝つ!」


 友樹は、はっきりと言い切った。茜一郎たちが応援してくれた。

 試合に出る人と出ない人では埋められない感覚の差があるけど、それでも仲間だから。


 午後のシートバッティングで、二死の場面で友樹の番が回ってきた。


 昨日の試合を思いだしてぞっとした。ここで打たないと、自分の番で試合が終わってしまう。もうそんなのは嫌だ。


 思い切り引っ張った打球が三遊間を抜けて、一塁で友樹はほっとした。

 いつまでも同じなわけではない。


 シートノックで、友樹は新藤から力強い送球を受け取り、草薙へとボールを回した。そして草薙が福山に送球する。


 やっぱりうまい人だ。ショートになるには草薙を超えなければならない。


 友樹がショートの位置に着いた。

 浅見コーチがショートにノックを打った途端に、


「ごめん!」


 と叫んだ。


 力加減を間違えて、打球が高く跳ねあがってしまった。友樹は助走を付けてジャンプして、どうにかグラブにボールを入れた。

 だがうまく着地できず、ぐしゃっと転んだ。


「ごめんごめん!」


 浅見コーチが謝る。


「怪我には気を付けてくれ!」


 友樹は立ち上がる。大丈夫だ。


 ノックの後の自由時間に、草薙が友樹に歩み寄って来た。草薙のほうから来てくれるのは珍しい。


「怪我してない?」


「してないです」


「よかった」


「心配してくれたんですね」


 友樹はにこっとした。草薙は唇だけ微笑んだ。


「あんたの怪我のせいで私がショートになれても嬉しくないからね」


 草薙は真剣な表情になった。


「ショートを渡すつもりはないからね」


 友樹は驚いて、猫目を大きくした。その顔に、草薙は不機嫌を露わにした。


「何? 私には無理だと言いたいの?」


「いえ」


 俺に、渡すつもりがない?


「……そっか」


 友樹は草薙に返事をしたのではなく、自分自身にそっとつぶやいた。


 確かに梨太りたが『一年で警戒している子』と言っていた。だけど人から言われてもいまいち実感を持てずにいた。


「草薙さんは俺のことをライバルだと思ってくれているんですね」


 草薙は機嫌悪そうに目を細めた。


「今まで気づかなかったの?」


「はい」


「まあ、いいけど」


 友樹の心に力が戻る。

 草薙は呆れたようだった。


「ポジションの奪い合いに先輩後輩なんて関係ないよ」


「はい」


「昨日は新藤さんの怪我のせいで偶然ショートになれただけ。でも必ず私がショートになる」


 草薙が笑顔になった。あまり表情を変えない草薙の笑顔は珍しい。


「今はこんなだけど、いつか皆を守るショートになるよ」


 草薙はそう言うと、側に落ちていたボールを拾う。ボールを友樹に投げた。友樹も投げ返す。


「あんただって、私のことも新藤さんのことも押しのけるつもりでしょう?」


 一年生なのにショートの水上を見て生じた言葉にならない思いが今、言葉になる。


「はい! 俺がショートになります」


 草薙が目を細めて笑った。綺麗な笑みだ。


 夕焼けの中、2人のキャッチボールの距離がどんどん長くなる。投げるほどに力強くなっていく。

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