第32話「香梨に同情してくれているの?」
梨太の目を丸くして驚く顔は、草薙にそっくりだった。
「聞きたいことがあります」
息を整える暇さえ惜しく、切りだす。もう、自分がおかしいかもしれないなどと、いってはいられなかった。もう既におかしいのだ。中途半端に留まるからどこにも行けないのだ。
「草薙さんが野球をするのをご両親が反対してるって、本当ですか!」
いきなりの質問に梨太は驚くだろうかと友樹は思っていたが、彼はあっさり頷いた。
「本当だよ」
答えを得た満足より、親に反対されているのが本当であることの絶望が大きかった。
どうしてあそこまで綺麗に跳べるくらい練習した人が認められないのだろう。
「俺と一番上の兄は反対してないけどな」
梨太は意外なことにさらりと話しだした。
「母は香梨に野球部のマネージャーになってほしいと思っているんだよ。母は人を支えられる人間になることが何より大切なことだと思っているから」
なら、どうして梨太にはマネージャーをさせない? と友樹は聞きたかったが、梨太本人に聞くのはさすがにためらった。
「高校で野球部のマネージャーになるための経験としてシニアに入ることを許したんだ。だけど香梨は高校でも続けたいと言った。それで、母と香梨は今も平行線だ」
「お父さんは?」
「父も母と同じだな。父はマネージャーにさせたいというより、香梨に野球をやらせたくない思いのほうが強いみたいだけどね」
友樹は混乱した。
「もしかして、香梨に同情してくれているの?」
同情? と友樹はまた混乱した。
「お兄ちゃん!」
そこに、草薙が走ってきて、友樹はびっくりした。
「お兄ちゃん! 余計なこと言ってないだろうね!」
「言ってないよー。それよりも後輩にもっと優しくしてやったらどうだ」
梨太の言うことが正しいと思ったのだろう、草薙は舌打ちしそうな顔だったが、すぐにいつもの表情のなさに戻った。
「ほら、戻るよ」
「はい」
2人は久々に言葉を交わした。
「同情してくれているの」と言った梨太の声は、少し低く、優しかった。俺は草薙さんを可哀想だと思っていたのだろうか、それは失礼なことだと友樹は思う。俺は本当にそう思っていたのだろうかと、友樹は再び考える。
「あの、この前は――」
「走って戻るよ」
あふれでそうな謝る言葉を全て捨てさせて、草薙は行ってしまった。
遮られたショックで友樹はすぐに動けなかった。
バックネット裏に戻ると、試合は三回裏だった。スコアボードに0が並んでいる。喜多方シニアのヒットも0で、秋田鹿角シニアのヒットは6本。
ちょうど、一年生で135キロのピッチャーが投げている。名前は鎌田というらしい。鎌田に抑えられている喜多方シニアと、残塁の多い秋田鹿角シニア。秋田鹿角シニアの野手は拙く、残塁させるのは遠園シニアにとっても簡単だろう。
互いに無失点の七回裏、鎌田自ら長打を放ち、それを元に秋田鹿角シニアがサヨナラの1点をもぎ取った。
遠園シニアとの未来予想図のようで、ぞっとする。
「明日も勝つんだ」
別れ際、皆の前で新藤が言いきる。少しは強気になったものの、遠園シニアに不安は正直あった。
リトルシニアには球数制限がある。
1日で90球以内。2日連続で投げるなら2日で130球以内だ。
昨日、秋田鹿角シニアは四回まで鎌田を投げさせ、その後は他の投手と鎌田を交互に出して球数を節約した。
遠園シニアは初戦では沢たち3人が投げた。
エース高見は二回戦の直後の三回戦でフルに投げるため、今回は出ない。
鎌田に5キロ劣る高見が出ても、鎌田の球で練習できる秋田鹿角シニアには打たれるだろうという考えもあった。エースである高見にとっては少々屈辱的だろうが、彼は三回戦に意識を集中させているようで静かだった。
屈辱を感じているのは高見本人より、彼を大切に育ててきた、バッテリーコーチでもある監督かもしれないと、監督の表情を見て友樹は思った。友樹から見ると、ピッチャーたちはややプライドが高いように見えるのだ。
「頑張れ頑張れー」
二回戦の三番手沢が一番手稲葉の脇腹を揉んでいる。
「馬鹿、お前の下手な揉みのせいで負けるぞ」
脇腹を揉むのにうまいも下手もあるのだろうか。けたけた笑い合う二人は監督に睨まれてすっと静かになった。この2人はあまりプライドがないのかもしれない。
稲葉と沢と話す優しそうで肉づきの良い三年生は三原海斗といい、右のアンダースローだ。今回二番手として登板する。
小学生のときの東チームにもアンダースローのピッチャーがいたが、彼は上から投げるとストライクに入らないという理由だった。オーバースローでもストライクに入るのに、アンダースローが得意でやっているという三原の存在は、友樹にとって軽く衝撃だった。
「監督も人が悪いぜ」
大志が楽しそうに言う。
「速い球で練習してるチームにアンダースローをぶつけるなんてな!」
くすくす笑う大志を茜一郎が小突く。
「鎌田以外は野手登板みたいだよなあ。その時がチャンスだぞ!」
茜一郎に背中をパーン! と叩かれて友樹は頷いた。ちなみに、少し痛い。友樹は一年生皆に応援されて気分が上がる。戦いとはいえ厳しい心だけでは勝てないのだ。
だが草薙が視界に入ると、友樹の高揚した心はすとんと落ちる。
彼女は有力な代走として途中出場すると決まっている。背番号14。
唯一の一年生であるため、友樹はベンチの末席である25番だ。もちろん、戦力を考慮して最後、というわけではない。
友樹の出場機会があるとしたら、絶対に外せないチャンスの時だ。責任重大なのだ。
監督とコーチ2名――浅見コーチと二軍監督を兼ねている潮コーチ――と選手25名のみが入れるベンチへ。