もう1人の転生者
「お嬢様。」
「なあに?アン。」
「厨房には近づかないように、と旦那様が言っていたのは、覚えてらっしゃいますか?」
「……え?」
ーーなんで?今日はまだお父様は王都でお城の警備をしているはず。確か予定では、明日の夜に帰宅するはずだ。
私は起床してから朝食までの少しの時間、毎日こっそり厨房へ行って、レインとお喋りするのが日課だ。
レインは、2年前に、屋敷が窮屈で辛いと愚痴をこぼしたところ、アンがこっそり街へ連れ出してくれた時に、たまたま路地裏で、酷い状態で倒れているのを見つけたのだ。
美しい青みがかった銀髪は土埃で擦れ、汚れていてあまり詳しくは分からなかったけれど、おそらく白色だったであろうシャツに、黒地に銀の刺繍のベスト、黒い長ズボン、靴は……履いてなかった。黒い破けた靴下を履いていた。ボロボロだったけど、平民にしては良い身なりをしていたように思う。
何か複雑な事情がありそうだ。
あの時は呼吸をするのも苦しそうだったけど、その美しい青紫の瞳には、まだ光が宿っていた。今屋敷に連れて帰れば助かるはず!! そう思って、アンと一緒に連れて帰ったのだ。
どこの誰かもわからない彼を屋敷に入れるなんて、絶対反対されるだろうと思っていたけど、お母様は、彼の身につけていた耳飾りを見て、少し考え込んだ後、あっさり受け入れてくれた。
知り合いだったのかな??まぁ、必要であればそのうち教えてくれるでしょ。何も言わないって事は、今は知らなくて良いって事だよね。
とにかく、レインが無事でよかった。それにしても、あんな路地裏、アンに言われなきゃ絶対に気づかなかった。やっぱりアンは、どんな時でも細かい所にも気配りできる、優秀なメイドだ。
ひとまず彼には帰る家もないそうなので、怪我が治ったら下働きとして住み込みで働いてもらうことになった。
一ヶ月ほどですっかり元気になったレインは、毎日厨房で早朝に野菜の皮むきを一人で担当している。ナイフの腕前が良すぎて、他に人が要らないくらい早く、完璧な仕上がりだそうだ。
料理人見習いか何かだったのかな?
初めは厨房で働いてるおばちゃんや若い女の子が数人で手伝いに向かってる所をよく見かけたのだけど、
「逆にプレッシャーだからやめてほしい」
と言われたらしい。すぐ誰も来なくなった。
確かに職場の先輩達にずーっと見られてると思うと緊張するよね。
でもわざわざ早朝に厨房に行かなくても、時間に充分余裕があるように見えるんだけど……? いやいや、もしかしたら前世も今世も料理下手な私には分からない、大変な仕事も任されているのかもしれないわ。
皮をむいた野菜をずっと一定の温度の冷水に浸けとかなきゃいけない、とか、早朝に必ず誰かが盗み食いに来るから、見張ってるとか、きっと何かその時間じゃないとダメな理由があるのよ。
最初は本当に身体は大丈夫なのかな、とか、厨房の人達と上手くやっていけてるのか、とか、仕事は辛くないのか、とか、本当に色々心配で、いそいそと様子を見に行っていたのだけれど、レインは、
「まさかディーン様に拾ってもらえるなんて、本当ついてる。」
なんて言っちゃうくらい、前向きで、私が心配する必要なんて、全然なかった。
あまり詳しくは聞いてないんだけど、出会った時のレインは、相続争いで義理の両親に殺されそうになって、必死で逃げていたそうだ。
路地裏であの謎の光と一緒に彼を見つけた時は、見ているだけでも辛そうだったのに、目が覚めたら
「こんな状態でも生きてたなんて、すごい強運だろ?」
って、笑顔で言った。何か言わなきゃって思って
「本当だね。」
って、笑顔で返したつもりだけど、彼が笑ってるのに、私の方が涙ぐんでしまった。だって身内に酷い目に遭わされて、身体も心も傷ついてるはずじゃない!なのに、笑うんだもの。
レインが仕事を始めて、一週間くらい経っただろうか。彼は仕事の覚えも早くて要領が良いので、厨房だけじゃなく、屋敷全体で頼りにされていた。
驚いたのが、男性には厳しいあのお父様が彼の事を気に入っていた事だ。特に執事のオリバーが、それはもう
「助かります。」
って、歓喜していた。あの地獄の手紙の審判のやりとりをレインがやる事になったのだ。これはもう私がわざわざ厨房に足を運ぶ必要は無いかな、と思って、朝に厨房へ行くのはやめて、刺繍をしたり、次に庭園に植えるお花を、庭師のウッドおじいちゃんと考えたりしていたんだけど、ある日私の部屋のドアの下に、手紙がそっと置かれていた。
『最近見かけないけど、大丈夫?元気な顔を見て安心したいです。ーーーーレイン』
……確かに、毎日会いに来てたのに急に来なくなったら、そりゃ気になるよね。
その日から毎朝レインとおしゃべりするのが私の日課になった。いつも前向きなレインは、話していると元気が出る。時々ルトガーが手伝いに来るんだけど、いつもレインに
「やだなぁ、もう一人前だから僕に全部任せるって言ってくれたじゃないですか。先輩に見られてたら緊張しちゃうんで、もう少し部屋で休んでて下さい。」
って、笑顔で追い返されている。寡黙だけど兄貴肌なルトガーは、明るいオレンジ色の緩いウェーブのかかった長髪を後ろで一つに束ねていて、褐色の肌にがっしりした体型、鋭い目つきをしているので、そんな彼が落ち込む様はなんだかギャップがあって、悲壮感が増す。
しかしルトガーもあの謎の光が出ていて、レインと二人揃うとちょっと眩しい。
悪いけどここはレインの気持ちを汲み取って、そのまましばらく部屋に帰っていてほしい。
アンもレインの事を心配していたのか、私が厨房に様子を見に行くと言った翌朝から
「今がチャンスですよ!」
って、毎朝絶妙なタイミングでお見送りしてくれていた。知ってて協力してくれてるんだと思っていたのに。そうじゃなかったの??
「今日は、旦那様が早朝に帰って来られるかも知れません。バレたらまた家庭教師が増えますよ。」
ーーへっ?お父様が帰ってくる?!何それ聞いてない。ていうか、私のためだったんだ!アン〜〜!!なんて良いメイドさんなの!!
そういえば小さい頃は怖いと思っていたお母様も、アンが
「奥様は感情表現が苦手なだけで、実は寂しがりやなんですよ。緊張すると顔がこわばってしまうので、怒っているように見えるかも知れませんが……。お嬢様が話しかければ、どんなお話でもきっとお喜びになると思います。決して嫌われている訳ではないのですよ。ていうか、お嬢様の事はむしろ好きだと思います。もちろん私も!」
と言ってくれたおかげで、話しかける勇気が出て、すぐに打ち解ける事ができた。
しょうがない、今日は諦めよう。アンが言うんだもの。間違いない。
「……分かったわ。じゃあ庭園で薔薇でも見てくるわ。」
「?! ダメです!! それだと死亡フラグがっ!!!」
ーーーーん? …… 死亡…… フラグ??
なんか前世で聞き覚えのあるワードが出てきたぞ? これってもしかして??
「……死亡、フラグ…………? アンってもしかして……前世の記憶があったり……?」
「えっ?! あっ、はいっ! ありまっ!! ……えっ、え、前世の記憶って、まさかまさか、お嬢様もですか?!」
「そう! そうなのよっ!! ええと、私、前世では日本人で、OLやってたの!2020年ごろ、28歳でこちらの世界に転生したわ。」
「えっ! ええーーーー!! 2020年〜?! じゃあ私、同い年、そして同じく日本人です! うっそ、そんな事って……あっ、私、この乙女ゲーム、〜トルマリンと七人の王子様〜が大っ好きでして!!」
「お、乙女、ゲーム? ここ、ゲームの世界なの?? そ、それでそのっ、し、し、死亡、フラグって……!」
「ウソ! 知らなかったんですかーー! どうりで悪役令嬢が天使……あっ、すみません。つい取り乱してしまい、ゲフンゲフン。あのですね、ティアラお嬢様は、私の知ってる乙女ゲー、このトルマリの世界では、ヒロインをいじめる悪役令嬢だったんです。もうフラグ折れまくってるんで分からないですけど、シナリオ通りだと、今庭園に行くと、皇太子のアルファード様が現れて、お嬢様の外見に一目惚れしてプロポーズされるんです。しかしその後の断罪イベでアルファードがヒロインのトルマリンに乗り換えて、婚約破棄された上に、処刑されちゃうんですよ!!」
「えっ、えっ、ええええーー!!」
何それこっっわ!! 一方的にプロポーズされて? 婚約したら浮気されて?? 振られて処刑ーーーーーー?! 皇太子こっっっわ!! 皇太子だからって、普通はそんな事許されないでしょ!
「大丈夫です! 私はヒロインのぶりっ子トルマリンが大嫌いだし、何があっても絶対ティアラお嬢様の味方ですからね!!! 」
「アン〜〜! ありがとう〜〜!! 」
突然の事で驚いたけど、庭園に行っただけでそんな恐ろしい事になるなんて、あ、危なかった……!!
「今日は部屋で大人しくしておくわね。」
「はい! アルファードがお嬢様に惚れてしまったら大変ですからね。彼の事はぶりっ子トルマリンにお願いしましょう。」
なるほど、アンは乙女、ゲーム?? この世界の事を知ってたからレインの事も見つけられたのね! そりゃああんなにボロボロで苦しんでるのを知ってたら放っておけないよね。
さすがアン。やっぱり優しいなぁ。二人でレインを抱きかかえてヒィヒィ言いながら連れて帰ってきたのも、懐かしい思い出だ。
私が色々考えてる間にも、アンは私の身支度を整えてくれる。今日は純白に沢山のレースをあしらった、清楚で華やかなワンピース。髪は三つ編みを結い上げ、小さな白い花を沢山散りばめてくれた。薄くお化粧までしてくれて、自分で言うのもなんだが、すっごく可愛い。さすがお母様の娘!
ーーん? いや、でも今日は部屋で過ごした後習い事するだけだから、もっと適当でも良いんだけど……?? まぁいつも可愛くしてくれてるし、いっか。
「良いですか? 今日はレインが来るまでは、ぜっっっったいに部屋から出ちゃダメですよ?? 」
「うん、ありがとう。」
……あれ?
「……どうしてレインが私の部屋に来るって分かるの? 前世のゲームの知識?? 」
「これに関しては確証は無いのですが、ヒロインのトルマリンは最近アルファードに夢中で、代わりにお嬢様が厨房の野菜の皮むきイベでフラグが立ってるから、来ると思う……ていうか、来る!! 来なかったら私が呼びます!!! だから、レインが来るまでは絶対絶対部屋から出ないでください!! 限定スチルが見たいんです! 」
スチル?? 絶対見るって、見るつもりなんかい! まぁ悪気はないのよね。アンは、純粋にこの世界が好きみたい。ジョーの事は心配だけど、ゲームで知ってるって事は、大丈夫なんだろう。
「……ふーーん? えと、レインとは、別にそんな関係じゃないから、アンの期待に応えられるかは分からないけど……とりあえず部屋で大人しくしとくわね? 無理、しないでね? 」
「はい! かしこまりました! お嬢様〜〜。」
ーーそれにしても、メイドの仕事で忙しいはずなのに、トルマリン? よそ様の御令嬢の事までなんか詳しいけど、何故だろう?? ……あっ、前世の知識? あと、野菜の皮むきイベ? ってなんだろう?
もしかして、この前厨房で野菜の皮むきをするレインの手伝いをしようとした事だろうか?? あれが、イベント? そもそもどこから見てたんだろう?
あの時の事は思い出すと、今でもドキドキする。
レインと話してたら、私も何か出来るんじゃないかなって思って、目の前にあったお皿を洗おうとしたのよね。そしたら突然手を掴まれて。
全然大した事じゃないんだけど、家庭教師も全て女性、たまーーに許される交友関係も女性のみ、男性との接触がほぼほぼない状態で、手と手が触れ合うっていうのが、なんか、慣れなくて……
っていうか、見てたのね、アン!ーー恥ずかしいっ。しかも私が洗おうとしてたのは、すでに洗った後のどう見てもピカピカなお皿だった。手伝うんなら洗うより、キレイな布巾で拭くのが正解だ。それも見られてたなんて、ダブルで恥ずかしい。
ーーコンコンコン
一人で顔を赤くしていると、扉がノックされた。レインだと、ノックはせずに先にドアの下から手紙を入れて、仕事をしながら私が行くのを待っていてくれる。
誰だろう??
とりあえず出てみるか。
「はい? 」
「やぁ」
扉を開けると、美しい波打つピンクブロンドの髪をかきあげ、色っぽいセクシーな垂れ目に、すらっとした細身の身体。茶色に近い深いオレンジの瞳がこちらを見つめている。例の謎の光を纏った騎士団のあのチャラい男、ジョーだ。うーん、見た目は良いんだけどなぁ〜。
お母様の話を聞いた後だと、喋り方もなんか、今までは砕けた感じで面白かったのに、なんだか急にチャラく感じてしまう。まぁでも彼に悪気はない。アンの好きな人だし。悪い人ではない。笑顔、笑顔。
「あらジョー。おはよう。何か御用? 」
「おはよう、お嬢様。近所に新しいcaféができててさ、朝早くから開いてるから、よければ今から行かない? まだ時間があるだろ? 」
ーーーーカフェ、だと?! この世界にもあったの?! 行きたい!! 行きたい!!!
前世の私の唯一の趣味は、雑貨屋さんとカフェ巡りだったのだ。
…………でも、アンがレインが来るまで部屋から出るなって言ってたな。ジョーと2人きりで、というのも微妙に気まずいし。
「…………ごめんなさい、今日は、ダメなの。」
「そうか、残念だな。あの店は、君の好きなティラミスが有名でね。他にもマカロンやクッキーみたいな小さな焼き菓子もあるし、スコーンやパンケーキもある。あと、ガーベラの花も沢山咲いていた。今日は天気が良いから、テラス席で眺めると美しいだろうなぁ。」
ティラミス!!ガーベラの花!!!パンケーキ!!!!わぁああぜっっっったい行きたい!
「……へぇええ。」
「女性に無理はさせられないからなぁ。じゃあ、今日が無理なら、明日はどう? 」
そうだ、明日なら!! ……でも、ジョーと2人きりなんだよねぇ。あっ! アンも誘ったら、喜ぶんじゃない?? うん、名案だわ!
「じゃあ……」
私の言葉に被せるように、ジョーの背後から声がした。
「ジョー、ディーン様が帰ってくるから、大広間に召集がかかってるぞ! 」
「ぅげっ! 団長が?! マジか〜!!! サンキュー! ティアラちゃん! 考えといてねーーーー!! 」
ジョーは嵐のように去っていった。
青紫の瞳が、嬉しそうにこちらを見る。少し息切れしてるみたい。そんなに急な召集だったのかな? そうだ、皇太子が来るんだっけ。
「あーあ、邪魔してごめんね? 」
「えっ?! 」
…………いや、全然ごめんねって顔してませんけど? キラキラした笑顔でレインがさっきまでジョーが立っていた位置に来る。ジョーがいた時は気にならなかったけど、結構距離が近い。
「ジョーと行きたかったんだろ? そんな顔してたら丸わかりだぞ。……まぁ今回は仕方ないな。皇太子がお忍び訪問とか言って急に来るって言うから、昨夜騎士団は慌てて帰省の予定を早めてご機嫌取りに大忙しだ。王家の機嫌を損ねたら面倒だからね。」
ーー正直、カフェには行きたい。でもジョーとは行きたくなかったから、複雑な心境だったんだけど。ジョーのチャラトークを聞きながらだとなんだか胃がもたれそう。
でも美味しいティラミスは食べたかった。ああ、やっぱり、ちょっと残念だったかも。
「ふーん。それでお父様が帰って来たのね。」
「もうすぐ皇太子様が来るから、その前にディーン様に挨拶しておいでよ。ディーン様はティアラが皇太子様と会うのを極力避けたいって言ってたから、その後すぐに出かけてこいって言うはずだよ。で、そしたらさ、その、もし、よかったら……俺と、さっきジョーの言ってたカフェ、行かない? 」
「行く!! 」
やっっっったぁああーーーーーー!!!! 前世ぶりのカフェに私のテンションは爆上がりした。