お手伝い
思いがけずディーンの屋敷に居られる事になったレインは、今日も早朝、ナイフで野菜の皮を剥きながら、ティアラが来るのを待っていた。
やたら図体がデカイくせにそわそわしながら様子を見に来るルトガー、マシンガンのごとくバンバン喋り倒す下働きのおばちゃん、自分に気があるのか、噂好きで他人の悪口で自分を良く見せたがる若いメイド……邪魔者を全て遠ざけ、2人きりになる事にようやく成功した。
娘を人質にでもすれば、さすがのディーンも真実を言わざるを得ないだろう。今がチャンスだ。
「おはよう!」
ーー来た!!
「おはよ。」
いつもの薄っぺらい笑顔を貼り付け、平静を装う。ちょうど片付けも終わって、洗い終わった皿を、目の前に置いた。
あと少し……もっと近くに…………
もう少し近づいて来たら……!!
「……?」
ティアラがこちらを見つめ、小首を傾げる。
ーーマズイ。勘付かれたか?
焦ったレインが、素早くティアラを捕らえようと距離を詰め、手を伸ばした。
ひょいっ
「なっ……!!」
交わしただと?! 何なんだ一体?!
レインは厳しい剣の稽古を何年もやってきた為、動きには自信があった。その為、失敗した時の言い訳を考えていなかったのだ。
ーーしまった!! こうなったら力ずくで行くしか……!
思わず彼女の手を素早く掴んだ。
逃がさない!!
「きゃ……!!」
「……?」
……何故だ??
思ったより簡単に捕まえる事が出来た。さっきの動きとはまるで別人のようだ。不思議に思い、ティアラの顔を見ると、彼女の大きな緑の瞳が更に大きくなり、頬がどんどん赤くなっていく。プラムのような、少し甘酸っぱい香りがふわっと香る。
思っていたより2人の距離が近い事に、レインはたった今気づいた。吐息のかかるような距離、指通りの良い艶やかな淡い金髪が頬をくすぐる。
つられて自分も頬が赤くなっていくのを感じた。
「あっ、あの、お皿を……洗おうと、思って!」
…………皿?
いや、そのお皿、さっき目の前で俺が洗ってたやつ!!
良からぬ企に気付かれたのかと警戒していたが、そうではなかった。緊張が緩んだ事もあって、さっきまで作り笑いをしていたのに、今度は必死で笑いを堪えている。
「君がそんな事する必要無いでしょ? しかもそれ、さっき俺が洗ったやつだから!」
上手く表情を作ったつもりが、どうしても口角が緩んでしまう。
「えっ! あっ!! 本当だ! ……ご、ごめんなさい。私も何か出来ないかな〜って思って、色々考えてたんだけど、目の前にお皿があったから、とりあえず洗ってみようかと思って。」
恥ずかしさが増したのか、ティアラはもう顔や頸、手まで真っ赤だ。
何だよもう! 今までそんな事頼んだ事無いだろ? 何でよりにもよって、今日なんだよ!
レインは、つい先程までずっと緊張していた自分が、なんだか馬鹿馬鹿しく思えてきた。
なんかもう、毒気抜かれちゃったなぁ。でも。
……本当にバレてないんだよな?
ふと、ティアラを見ると、皿を戻そうとしているのか何なのか、まださっきの皿を持ってうろうろしている。しかも、その持ち方がかなり際どい。頼むから、一旦何処かに皿を置いてほしい。
「コレは……汚れた雑巾よね?……コレは……なんか違う。うーーん、コレは……」
布か?皿を拭く布を探してるのか??ああ、今度は調理台に皿がぶつかりそうだ!!
あーー! もう見てられない!! 絶対怪我するって! そんな事になれば、絶対にこの屋敷には居られなくなる。それどころか命の危機だ! 何とかやめさせないと!!!
「こっ、紅茶でも淹れるから、座ってよ!」
さりげなく皿を回収し、ティアラを椅子に座らせる事に成功した。これでしばらく安心だ。しかし。
「ありがとう! 朝暖かい紅茶が飲めるなんて幸せ〜。あっ、でも、何だか悪いから、今度は何かお手伝いさせてね!」
満面の笑みである。皿の件で相当恥ずかしかったのか、頬がまだ少し赤く、長い睫毛が影を落として何とも愛らしい。
……あーあ、断ったら落ち込むんだろうなぁ。
ふと、ルトガーが、朝何度も心配そうにしていたのを思い出した。
アイツも苦労してるんだな……
「……ティアラにそんな事させられないよ。バレたらディーン様に何て言われるか。」
娘ラブのディーン。絶対何か言われるだけでは済まないだろう。
「そう?」
人質にする計画をすっかり忘れ、急いで紅茶を淹れるレインだった。