第一話
「俺はいつかお前が壊れるんじゃないかって心配。」
対面に座るシュウは、ビールの入ったジョッキを手に取りながら言う。
「壊れる?」
「ああ。リョウスケって自分のことなんか気にしないで、世のため、他人のためって動くだろ?それって絶対得しない生き方だと思うんだよ。」
得しない生き方。そんなことは今まで考えたこともなかった。俺はただ他人に頼られること、他人の為になることをするのが生きがいなのだ。
自分にとって良い、とか、お得だ、なんて思うこともなかった。自分の中の辞書や脳内にそんな考え方は一切含まれていないのだろう。
次何飲む、と言いながらシュウはテーブルの端っこにある店員呼び出しベルを鳴らした。厨房の方からピンポーンと無機質な音が聞こえる。
ハツラツとして元気な大学生くらいの女性店員がこちらのテーブルに向かって駆けて来る。人生を楽しんでいる、という印象が一目で伝わるほどのキラキラとした明るさ。そんな眩しさに目がくらむ。
俺は人生を楽しんでいるのだろうか。
明るく生きられているのだろうか。
俺にもあの明るさがあれば、それだけで人を笑顔にし、幸せを分けられるのではないか。
居酒屋の女性店員が注文を聞くまでの少しの時間で、リョウスケはあれこれと考えを巡らせた。
生二つ、と店員に対してシュウはぶっきらぼうに言う。
「かしこまりました!」と店員は笑顔で言い、颯爽と厨房の方に帰っていく。
そしてシュウはニヤニヤしながら俺の方に向き直る。
「なあ、なんだあの店員。キラキラしすぎだろ。まだ社会の厳しさを知らなくて汚れがないって感じ。かわいいけど、俺らみたいな心がダークな存在はお近づきになることも出来ないな。」
たしかに、と言って俺はジョッキに入った残りのビールを飲み干す。
お待たせしました、とジョッキがテーブルに置かれる。横目で店員を見遣る。
バンダナからのぞかせる明るめのアッシュカラーの髪。彼女の顔のパーツの素材が生かされたナチュラルメイク。そして、楽しそうで幸せそうな表情。
嫌悪感を抱いた。あの店員がどんな過去を送っていたのかなんて知らない。
だけど、、。
きっとこれから待ち受ける困難も彼女ならいとも簡単に乗り越えられるのだろう。そんな時に助けてくれる人間もたくさんいるのだろう。愛し愛され幸せな人生を歩むのだろう。
リョウスケ、とシュウに声をかけられる。
「そんな苦しそうな表情浮かべてどうしたの?」
「いや大したことじゃないんだけど、俺はあんな人間とは永遠に仲良くなれそうもないなって思ってさ。」
「あー分かる。かわいいとは思うけど、実際無理だよな。住む世界が違うんだよ。俺らと。」
シュウは中学と高校が同じの同い年。その頃からずっと仲が良かった。俺もシュウも学年のカースト下層に位置し、リア充と呼ばれるような人間とは基本関わらないようにしていたタイプだった。
共通しているのはそれだけで、別に趣味とかが合うワケでもない。性格もほとんど似てない。
なぜ二人は仲が良いのか、と問われると返答に困ってしまう。
今回は半年ぶりくらいのサシでの飲みだ。
二人で飲むときはまず居酒屋で食事をして90分の飲み放題で飲み、その後はガールズバーやスナックなんかを巡る、と言うのがお決まりの流れだ。
それから居酒屋ではダラダラとそれぞれの仕事の近況などを話していた。半年も会わなければネタ切れの心配もなかった。
しばらくして、ラストオーダーを聞きに来たのは別の男性の店員だった。
「ジントニック一つと、リョウスケは?」
同じの、と一言言うと男性店員は返事もせずに無表情のままテーブルを離れていった。
「あれとも仲良くできそうにないけどな。」
シュウはそう言って笑った。
リョウスケは27歳でIT系の中小企業に勤める普通のサラリーマン。恋愛経験はほぼ皆無。
高校生の時に好きだった女の子と手をつないで帰ったことがあるくらいで、付き合ったことはない。
彼女いない歴=年齢という周囲から見たら残念な男だ。
リョウスケに対してシュウは、二年前に高校の同級生、サキと付き合い始め今もなんだかんだ仲良くやっている。
元々三年前ほどからサキを含めて三人で遊んでいて、そのうちにサキがシュウに惹かれていき付き合う流れとなったのだ。
リョウスケは恋愛経験が少ないために、誰でもいいから彼女が欲しいと思っていて、シュウの現在の彼女、サキも以前はその対象だった。
「じゃあ俺はこれからサキと電話しなきゃいけないから帰るわ。」シュウはそう言ってタクシーを探し始めた。
リョウスケはもう一軒くらいは飲みに行きたい気分だったが、シュウをさらに付き合わせるワケにもいかずにそこで二人は別れた。
リョウスケは一人で夜の歓楽街を歩き、ガールズバーの呼び込みで立っている女の子に近づいて行った。
その日はさらに二軒ガールズバーをハシゴしてから帰宅した。
ゴールデンウィーク中だからか一日がひたすら長く感じる。
普段は朝7時半に満員電車に揺られて出勤し、家に着くのはだいたい20時頃。
その忙しさから何事もなく一日が過ぎ去っていく、退屈な感じ。
自分は生きている必要があるのだろうか、なんて考えが頭をよぎるときもあった。
録画して消化できずに溜まっていたドラマを見ている間にウトウトしていたら、シュウからの着信が来た。
「なしたの?」と言うと、シュウは少しの沈黙の後に話し出した。
「いやあ、たまたま思いついたことあってさ、忘れないうちにお前に話しとこうと思って。」
電話越しにサキの声が少し聞こえる。二人とも幸せそうだな、なんて喜びの感情だけがある。
特に親友のシュウにとって良いことがあれば、リョウスケも嬉しかった。妬むことは一切なかった。
恋愛対象の女性が友人や職場などにいなかったリョウスケは、大手出会い系サイトに登録した。
シュウに電話で言われたのは、リョウスケには愛が足りない、愛されることがあればきっともっと楽しく幸せに生きられると思う、と。
そこで俺は本気で恋人を探すことに決めた。
自分のことを好きになってくれる女性がいる、そんな可能性に希望を膨らませていた。
片っ端から自宅の近場に住む女性を見つけてはチャットでメッセージを送る。プロフィール画像として貼り付けた自撮り写真が不評なのか、メッセージの返信が来るのは5人に1人程度だった。
その中で一人の同い年の女性と仲良くなった。と言うのも、最初はその子の経済的な悩みをただ聞いてるだけだったのだが、好きなドラマの話になったりそれぞれの過去の経験の話をしたりと盛り上がっていった。
ただ話が合うだけにもかかわらず、リョウスケはその子にすぐに惹かれていった。
好きかもしれない、と思った。
相手の名前はユキ。コールセンターに勤めていて、今までで彼氏がいない期間がほとんどないほど恋愛経験が豊富だそうだ。そしてたくさんの人に自分のことを好きになってもらいたい、とも話していた。