なろうにおいては「シチュエーション至上主義」は大事
基本的になろうでは作者が特定のシーンやシチュエーションを作り、それに読者が乗っていたいから、登場人物がそれに従って動いていればいいのです。
具体的には普通に考えればモテそうにない人物が、何らかの理由でやたらとちやほやされるようになるシチュエーションがあればいいんじゃないかなと。
リアルに考えれば女性はコミュニケーション能力がなければイケメンでもあっという間に”つまらないやつ”とすぐに冷めますが、ろくに会話もできないコミュ障イケメン主人公がヒロインに顔を見られただけで、主人公とろくな会話もしていないのに、ずっとヒロインがベタぼれなままままとかですね。
まあ、作者や読者が求めるシチュエーションやシーンに対して根拠や理由が”特にない””現実的に考えておかしくね?”なんてことをいちいち考えていては、話が進みません。
基本的にはあくまでもシチュエーションがあるだけで、登場人物たちの人となりがわかるようなちゃんとしたエピソードがなくて、内面や人間関係の描写がものすごく浅くて、感情移入することができなくても、主人公が周りからチヤホヤされてていれば、一定数の読者はそれがいいと納得します。
簡単に言えば「主人公はとにかくモテる」ということに関心はあっても、「なぜ主人公がモテるようになったかの成り立ち」はどうでもいいとも言えます。
このあたりは美少女ゲームやハーレクイン・ロマンスの影響が大きいっぽいですけどね。
主人公が男性であれば美少女に、主人公が女性であれば権力も金もあリ、性格も良いイケメン王子様に、一途にちやほやされつづければそれでいいのです。
それが武力で無双の結果なのか、ルックスなどの魅力なのかは問題ではありません。
まあ、それだからこそ登場人物に感情移入して、細かいディテールなどから、矛盾や非現実的なところがない物語をちゃんと読みたい人には、受け入れられなかったり、するのですが。
シチュエーションが人気があっても、キャラクターそのものの魅力は乏しいことになりがちなので、長い話につなげにくいのが、欠点だったりするんですよね。
主人公がらしくない行動を取ると読者に一斉に叩かれたりしますし。