一、自作自演を暴け
一、自作自演を暴け
H町署の取り調べ室に、頭頂部が、河童のように禿げ上がった白髪で短髪の厳つい顔をした鼻孔の右側にイボの在る銀縁の眼鏡を掛けた白衣の壮年の男が、入口を背にして、パイプ椅子に、足を投げ出しながら、腰を掛けていた。名は、破解石和菓子店店主、破解石忠夫。洋菓子店、丑露唖慢堂のクリーニング代を騙し取った容疑で、この場に呼び出されていた。
そこへ、上の門歯が、ちょろりと突出したやや面長の顔立ちで、縦線の入ったワイシャツに、黒ズボンという身形の男が、入室した。そして、正面の席へ回り込んで、どっかと腰を下ろした。
「お前が、わしの担当かっ!」と、破解石が、睨みを利かせながら、凄んだ。
「そうですよ。僕が、担当の鼠谷健一郎です」と、鼠谷は、臆する事無く、すまし顔で返答した。小心者ほど、自分を強く見せようと、虚勢を張るものだからだ。そして、「破解石さん、落ち着いて下さいよ」と、宥めた。
「落ち着けだと! わしは、やってもいない罪で、こんな所へ来てやっているんだぞ! 落ち着いて居られるかっ!」と、破解石が、怒鳴った。
「う~ん」と、鼠谷は、眉間に皺を寄せながら、右手で、後頭部を掻いた。興奮されては、些か、お話にならないからだ。そして、「ご立腹も、ごもっともですけど、丑露さんも、御納得して居られませんので、ここで、お話しを聞かせて頂くのですよぉ」と、低姿勢で、理由を述べた。
「わしは、やっていない! 話は、以上だっ!」と、破解石が、吐き捨てるように言い放った。
「う~ん。でも、丑露さんの店の防犯カメラの映像では、あなたが死角になっている右手の方が、動いている所が記録されていて、その後、注文されていたパフェをひっくり返して、席を立っていますよねぇ? あれが、事の発端ですか」と、穏やかな口調で尋ねた。取り敢えず、破解石に、認識させておく必要があるからだ。
「そうだ」と、破解石が、憮然とした表情で、応じた。そして、「商売敵店に来て、要らん金を出す事に、イラッとなったから、クリーニング代を請求したんだよ!」と、言葉を続けた。
「でも、注文んでいたパフェをひっくり返すのは、やり過ぎだと思うんですけど…」と、鼠谷は、意見した。食べ物を粗末にしているようにしか見えないからだ。
「わしが、金を払うんだから、お前に、どうこう言われる筋合いは無い!」と、破解石が、悪びれる風も無く、言い返した。
「そりゃあ、そうですけど…」と、鼠谷は、冴えない表情で、口ごもった。金さえ払えば、何をやっても良いと思っている拝金主義者だと察したからだ。
「まあ、パフェを溢して、元の汚れが判らなくなったんで、クリーニング代も、良心的に安くしているんだがな」と、破解石が、得意満面に語った。
「そういう事ですか!」と、鼠谷は、はっとなった。パフェをひっくり返した行為に、合点が行ったからだ。
「何ですか? わし、おかしな事でも言いましたか?」と、破解石が、何食わぬ顔で、問い返した。
その瞬間、「ええ」と、鼠谷は、口元を綻ばせながら、力強く頷いた。本人は気付いていないが、自白したようなものだからだ。
「ほう。では、お聞かせ下さい。わしの、何がおかしいかを?」と、破解石が、挑戦的に、促した。
「分かりました。お話ししましょう」と、鼠谷も、受けて立つと言うように応じた。そして、「先程、僕は、パフェをひっくり返すのは、やり過ぎだと申しましたよね?」と、問い返した。ここが重要だと確信したからだ。
「ああ」と、破解石が、すんなりと頷いた。そして、「それが、どうしたって言うんだ?」と、眉をひそめた。
「つまり、自分で付けた汚れを隠したかったんじゃないんですか?」と、鼠谷は、指摘した。店側の不手際で付いた汚れならば、パフェをひっくり返さなくても、そのまま席を立って、申し出れば良いだけだからだ。
「な、何を言うかっ!」と、破解石が、激昂した。そして、「その時は、頭に来たからひっくり返したんじゃあ!」と、言い放った。
「まあまあ。そんなに、剥きにならないで下さいよ。まだ、故意にやったって、決め付けている訳じゃないんですからね」と、鼠谷は、宥めた。物的証拠でも見せ付けないと、認めない人物だと察したからだ。
「ふん!」と、破解石が、鼻孔を大きく広げながら、鼻息を荒くした。
そこへ、「鼠谷、破解石さんの座っていた席から、パフェに含まれていない食材が、検出されたそうです」と、肥満体型の男性刑事が、入って来た。
「そうかっ!」と、鼠谷は、席を立った。良い頃合いだからだ。そして、「豚崎、その書類は?」と、問うた。早く、目を通したいからだ。
次の瞬間、豚崎が、両目を開くなり、「あっ!」と、声を発した。そして、「忘れた…」と、舌先を出しながら、苦笑いを浮かべた。
その直後、類人猿面で、分厚い唇が印象的な若い刑事が、駆け込んで来るなり、「豚崎先輩、書類を忘れてましたよ~」と、告げた。
豚崎が、振り返るなり、「おお、すまん、すまん」と、右手を立てながら、詫びた。
「どっちでも良いから、持って来てくれ」と、鼠谷は、急かした。早いところ、結果を知りたいからだ。
「は、はい!」と、分厚い唇の若い刑事が、即答した。そして、「歩み寄って来た。少しして、数歩手前からA4大の写真を数枚貼った紙を差し出した。
間も無く、鼠谷は、受け取るなり、真っ先に、テーブルの裏側の写真が、視界に入った。その瞬間、「なるほどね」と、口元を綻ばせた。確かに、パフェには含まれていない物が写っているからだ。そして、書類を机の上へ置くなり、右手の人差し指で、テーブルの裏側の写真を指した。その直後、「破解石さん、ちょっと、見て頂けますか?」と、促した。
「ん? わしは、老眼じゃから、よく見えん」と、破解石が、眼鏡の奥で、目を細めた。
「そうですか。じゃあ、隣の拡大写真をご覧下さい」と、右隣の白い粉末が、大きく写し出された写真を指し示した。
「それが、どうしたと言うのかな?」と、破解石が、何食わぬ顔で、問うた。
「この粉は、唖慢堂のパフェには含まれていないんですよね」と、鼠谷は、勿体振った。そして、「破解石さん、別の食べ物を持ち込まれたのでしよ?」と、指摘した。これこそ、揺るがない証拠だからだ。
「わ、わしには、ただの埃にしか見えんがな」と、破解石が、些か、狼狽えた。
「あくまでも、バックレるつもりですか…」と、鼠谷は、溜め息を吐いた。そして、「唖慢堂では、そもそも、その粉を使用したお菓子は、一つも無いのですよ」と、言葉を続けた。
「そ、そりゃあ、どういう意味だ?」と、破解石が、眉をひそめた。
「あそこは、基本的には洋菓子店ですので、その粉を使う必要が無いんですよね。つまり、破解石さんが、和風パフェと同じ食材に近い物を持ち込んだという事になるのですよ」と、理由を述べた。そして、「そろそろ、本当の事を話して頂けませんかねぇ」と、促した。破解石の口から、真相を聞かせて貰いたいからだ。
「…」と、破解石が、黙した。
「ち! 黙りかよっ!」と、豚崎が、ぼやいた。
「後一歩なのに…」と、分厚い唇の若い刑事も、焦れた。
しばらくして、「破解石さん、あなたが、店内へ持ち込まれた物を当ててみましょうか?」と、鼠谷は、口を開いた。このまま黙って待って居ても、埒が明かないからだ。
その直後、「ほう、言い当ててみろ!」と、破解石が、不敵な笑みを浮かべながら、食い付いた。
「おい、鼠谷。大丈夫なのか?」と、豚崎が、怪訝な表情で、心配した。
「そうですよ。粉以外には、判らないんですよ」と、分厚い唇の若い刑事も、口添えした。
「若造、外したら、黙秘権を行使して、二度と喋らないぞ」と、破解石が、圧力を掛けて来た。
「これは、弱りましたねぇ~」と、鼠谷は、右手で、後頭部を掻きながら、苦笑した。破解石が持ち込んだ食材は、二種類だけ、思い浮かんでいるからだ。
「止めるのなら、今のうちだぞ」と、破解石が、上から目線で言った。
「豚崎。お前、よく、唖慢堂に出入りしているよな?」と、鼠谷は、尋ねた。豚崎が、常連客なのを思い出したからだ。
「おう、そうだが」と、豚崎が、即答した。そして、「何が知りたいんだ?」と、問い返した。
「お前のお勧めのスイーツは?」と、鼠谷は、質問した。
「う~ん。モンブランパフェかな」と、豚崎が、生唾を飲み込んだ。
「そうか。じゃあ、後でご馳走ってやるよ」と、鼠谷は、告知した。豚崎のやる気を引き出す狙いが有るからだ。そして、「和パフェって、何種類在るんだ?」と、尋ねた。プライベートで、唖慢堂に入店した事が無かったので、メニューをろくに知らないからだ。
「そうだな。白玉と苺と抹茶くらいかな。俺は、あんまり、和パフェは食べないけどな」と、豚崎が、回答した。
「で、安上がりで、クリーニング屋を利用しなければならないくらい汚れの落ちにくいパフェは?」と、鼠谷は、問い掛けた。映像が不鮮明なので、限定出来ないからだ。
「だとすると、苺パフェだろうな」と、豚崎が、したり顔で、返答した。
「なるほどな。普通の洗濯だったら、完全に落とせないもんな。白い割烹着なら、特に目立つしな」と、鼠谷も、同調した。相手へ、汚れを認識させるには、色の印象の強い苺が、最適だと考えられるからだ。
「ふん。言い掛かりも、甚だしい! それは、あくまでも、お前達の想像だろう!」と、破解石が、語気を荒らげた。
「そうですね。丑露さんも、あの時のあなたの剣幕で、何を提供したのか、覚えていないそうなんですよ」と、鼠谷も、やんわりと聞き入れた。クリーニング代を請求された事以外の記憶が、あやふやだと語っていたからだ。
「わしは、間違った事は言っておらん。確かに、カッとなって、捲し立てた事に関しては、やり過ぎたと思っておる」と、破解石が、反省の弁を述べた。
分厚い唇の若い刑事が、顔を近付けて来るなり、「先輩、中々、口を割る事は出来ませんね」と、囁いた。
「そうだな。持ち込んだ食材さえ断定出来れば良いをだがな」と、鼠谷は、腕をL字に組ながら、右手の親指と人差し指で、顎先を摘まんだ。大福系までは絞ったのだが、普通のこし餡の大福なのか、つぶ餡の苺大福なのか、決めかねていたからだ。
「どうした? わしに大口を叩いた割には、弱腰だな」と、破解石が、人を食った顔で、挑発した。
「くっ! 馬鹿にされているぜ!」と、豚崎が、憤慨した。
「豚崎先輩の言う通りですよ! 先輩、早く結論を出して下さいよっ!」と、分厚い唇の若い刑事も、急かした。
少しして、「破解石さん、ノーヒントでは、流石に、僕も判りませんので、一つで良いですから、お願い出来ませんかねぇ~」と、鼠谷は、L字を解いて、揉み手をした。口を滑らせてくれれば、儲けもんだからだ。
「先輩、自尊心は無いのですかっ!」と、分厚い唇の若い刑事が、怒鳴った。
「ピテ、ここは黙って、鼠谷を見守るんだ」と、豚崎が、制止した。
「はい…」と、ピテが、気持ちを押し殺しながら、承知した。
「若造よ。あれだけ、大見得を切っておいて、その様とはな。まあ、その態度に免じて、ヒントを出してやっても良いだろう」と、破解石が、上から目線で、応じた。
「で、賞味期限の長い方は、どちらの方ですか?」と、鼠谷は、御用聞きのように尋ねた。日保ちのする方が、今回、持ち込まれた食材だと考えられるからだ。
「そうじゃな。苺の方は、水分が多いから、その日の内に食さんと、翌日には、びちゃびちゃになってしまう。日保ちがするのなら、普通の方が、倍の日数は保つかのう」と、破解石が、したり顔で、語った。
「ありがとうございました」と、鼠谷は、口元を綻ばせながら、礼を述べた。これで、食材が断定出来たからだ。
「鼠谷、どうやら、考えが、まとまったみたいだな」と、豚崎が、察した。
「如何にも」と、鼠谷は、力強く頷いた。まさに、その通りだからだ。
「ほう。では、お前の戯れ言を聞かせて貰おうか?」と、破解石が、挑戦的に、促した。
「先輩、言ってやって下さいよ!」と、ピテが、けしかけた。
「そうだな」と、鼠谷は、相槌を打った。そして、「破解石さん、あなたが持ち込んだ食材は、廃棄寸前のこし餡の大福ですね!」と、告げた。
「何を根拠に!」と、破解石が、語気を荒らげた。
「そうですね。あなたの話の通りですと、苺大福ですと、粉が水分を吸収して、塊になると思うんですよ。けれど、写真に写っているのは、粉のままの状態ですので、残るは、こし餡の大福だけという事になるのですよ」と、鼠谷は、理由を述べた。そして、「違うのでしたら、訂正して下さい」と、委ねた。破解石の言い分も、聞きたいからだ。
「な、なるほど。なかなかの推理力だな…」と、破解石が、動揺しながら、強がった。そして、「しかし、こし餡の大福を割烹着に付けたとしても、こし餡なんぞ、すぐに落とせるから、わしが、そんな事をやっても、意味が無いだろう」と、しれっと語った。
その瞬間、「なるほどね」と、鼠谷は、にやりとなった。そして、「破解石さん。そもそも、あなたは、クリーニング代目当てに、自分で、割烹着を汚されたんでしょ?」と、指摘した。クリーニング代を丸々せしめるには、汚れの落とし易いこし餡の方が、好都合だからだ。
「し、失礼なっ! わしは、そんなセコい真似はせん!」と、破解石が、否定した。
「破解石さん、何処のクリーニング屋さんに洗濯物を出したのか、調べても良いんですよ」と、鼠谷は、破解石を見据えながら、言った。破解石が、自身で洗濯したと確信したからだ。
「そうだぜ。あんたの言う店へ、ピテを確認に向かわせてやるからよ」と、豚崎が、口添えした。
「え~。僕がですかぁ~」と、ピテが、露骨に、嫌な顔をしながら、口を尖らせた。
「お前は、一番年下なんだし、新人なんだから、パシりなのは、当然だろ?」と、豚崎が、理由を述べた。
「それは、パワハラですよぉ~。ここは、公平に、ジャンケンでしょう~」と、ピテが、異を唱えた。
「安心しろ。そんな事をしなくても、済むだろうからな」と、鼠谷は、示唆した。丑露から頂戴したクリーニング代は、全て、破解石の懐に入っていると確信したからだ。
「先輩、本当ですか?」と、ピテが、訝しがった。
「ああ」と、鼠谷は、力強く頷いた。そして、「破解石さん、あなたが、犯行に使ったのは、賞味期限切れのこし餡の大福だっ!」と、断言した。破解石にとって、あまりにも、利益が大きいと考えられるからだ。
「り、理由を聞かせろ! 適当な事を言っているんじゃないぞ!」と、破解石が、凄んだ。
「キレるのは、鼠谷の話を聞いた後でも良いだろ? まあ、落ち着けよ」と、豚崎が、宥めた。
「鼠谷先輩、言ってやって下さいよ!」と、ピテも、便乗するように、けしかけた。
「ふん! 暇潰しに、聞いてやる!」と、破解石が、そっぽを向いた。
「じゃあ、そうさせて頂きます」と、鼠谷は、淡々と返答した。そして、「そもそも、破解石さん。丑露さんのお店へ入られたのは、初めてだそうですね?」と、質問した。
「そうだが。それが、どうした?」と、破解石が、見向きもせずに、横柄な態度で、答えた。
「ご近所で、あなただけが、あの日まで来られなかったという事は、逆に、何かしらの目的を持たれて、入店されたって事になりますよね?」と、鼠谷は、尋ねた。
「偶々、甘い物が食べたくなったので、あの店へ、足を向けただけだよ」と、破解石が、回答した。そして、「まあ、結果的に、ああなってしまったけどな」と、言葉を続けた。
「なるほど。偶々ですかぁ~」と、鼠谷は、相槌を打った。そして、「じゃあ、賞味期限切れのこし餡の大福も、偶々、持ち合わせていたって事ですかねぇ」と、指摘した。その方が、破解石にとっては、都合が良いからだ。
「そうだ。食べ物を粗末にする訳にはいかんからな」と、破解石が、もっともらしく答えた。
「そうですね」と、鼠谷は、同調した。そして、「でも、偶然が重なり過ぎるのって、凄い不自然なんですよねぇ~」と、口にした。都合の良い偶然など、有り得ないからた。
「確かに、偶然が重なるって事は、奇蹟だな」と、豚崎も、口添えした。
「そうそう」と、ピテも、相槌を打った。
「確かに、クリーニング代まで貰えるのは、わしにとっては、奇蹟だな」と、破解石も、頷いた。
「鼠谷先輩。これじゃあ、進展しませんよぉ~」と、ピテが、溜め息を吐いた。
「でしたら、破解石さん。パフェをひっくり返すのも、偶然なんですかねぇ~。僕から見たら、食べ物を粗末にしているようにしか見えないんですけどねぇ~」と、鼠谷は、見解を述べた。全てを偶然として、言い逃れさせる訳にはいかないからだ。
「確かに、言っている事とやっている事が、矛盾しているな」と、豚崎も、同調した。
「そうですね。偶然でしたら、大福の汚れを隠さなくても良いのにね」と、ピテも、補足した。
「くっ…!」と、破解石が、歯噛みした。そして、「わしは、黙秘する!」と、宣言した。
「そうですか。自供は難しいですけど、あなたのお宅には、証拠品も転がってそうですので、そこから立件しましょうかねぇ」と、鼠谷は、ガサ入れを仄めかした。物的証拠からでも、攻められると思ったからだ。
「大人しく、白状した方が良いと思うぜ。ガサ入れの後って、片付けが大変だし、プライバシーなんて、お構い無しだから、恥ずかしい物も、見られちまうんだぜ」と、豚崎が、半笑いで、助言した。
「豚崎、話をややこしくすんなよ」と、鼠谷は、苦言を呈した。余計に、口を閉ざすだけだからだ。
「へへ。ちょっと、口が滑っちまったな…」と、豚崎が、苦笑した。
「破解石さん。これだけの証拠も揃って、食材も、ほぼ当たっている筈なんですけど。どうなんですかねぇ」と、鼠谷は、やんわりと語り掛けた。後は、破解石自身の口から、真相を聞き出すだけだからだ。
「そうだぜ。あんたの気持ち一つで、俺らも、ガサ入れなんて、面倒臭い事をしなくても、済むんだしよ」と、豚崎も、穏やかな口調で、口添えした。
しばらくして、「分かった…」と、破解石が、向き直った。そして、「わしも、約束は、守るとしよう」と、応じた。
「ピテ、記入だ」と、鼠谷は、指示した。
「は、はい!」と、ピテが、入口の右側に在る机へ移動した。間も無く、席へ着くなり、「鼠谷先輩、準備OKです」と、告げた。
その間に、鼠谷も、腰を下ろした。そして、「破解石さん。取り敢えず、動機から話して下さい」と、促した。その方が、話し易いと思ったからだ。
「ああ」と、破解石が、神妙な態度で、頷いた。そして、「わしは、本当は、気乗りしなかったんじゃが、ある日、店に、モリターティと名乗る男から電話が掛かって来たんじよ」と、告げた。
「モリターティ?」と、鼠谷は、眉をひそめた。そして、「あからさまに、胡散臭い名前ですね」と、口にした。本名を名乗らないところから、気味が悪いからだ。
「確かに、刑事さんの仰られる通り、如何にも怪しい名前だと思ったよ」と、破解石も、同調した。
「じゃあ、どうして?」と、豚崎が、口を挟んだ。
「わしも、悪戯電話だと思って、切ろうとしたんじゃよ。しかし…」と、破解石が、言葉を詰まらせた。
「破解石さん、どうぞ」と、鼠谷は、やんわりと促した。続きが、気になるからだ。
「丑露さんの店へ損害を与えれば、大手の量販店へ、口を利いてやると言われたので、つい、欲に負けてしまったのです…」と、破解石が、視線を落としながら、語った。
「つまり、今回思い付いたのが、自作自演だったのですね?」と、鼠谷は、穏やかな口調で、問い質した。本人に、確認を取っておかなければならないからだ。
「そうだ…」と、破解石が、素直に認めた。
豚崎が、息の掛かる距離まで顔を近付けるなり、「で、騙し取ったクリーニング代は、使っちまったのか?」と、詰問した。
「いや、黄平洋銀行の口座へ入金したよ」と、破解石が、回答した。
「自分の口座へ、か?」と、豚崎が、強い口調で、尋ねた。
「いや。モリターティーという奴の指定した口座だ…。口利き料としてな…」と、破解石が、呆けた表情で、語った。
「口座を調べれば、モリターティーという奴に辿り着けますね!」と、ピテが、満面の笑顔で、口にした。
「さあな」と、鼠谷は、冴えない顔をした。本名を名乗らない者が、わざわざ、自分の口座を使わせるとは、考えにくいからだ。そして、「破解石さん、その口座の名義人の名前を覚えていますか?」と、問うた。駄目元でも、聞いてみる価値は有るからだ。
「確か、駄間葉厚子って、名前だったかな?」と、破解石が、眉間に皺を寄せながら、自信無さげに、告げた。
その瞬間、鼠谷は、息を呑んだ。
「おい、どうかしたのか?」と、破解石が、怪訝な顔をした。
「先日、取り調べをした方と同じ名前なもので…」と、鼠谷は、冴えない表情で、返答した。このような形で、駄間葉の名前が出て来るとは、思ってもみなかったからだ。
「鼠谷。ひょっとして、特殊詐欺の類かも知れないぞ」と、豚崎が、口にした。
「そうだな。でも、あのような事件を起こして、精神が不安定だし、時間を置いてから、話を聞いた方が良いかもな」と、鼠谷は、意見を述べた。殺人を犯して、まだ、日が浅いので、情緒不安定で、聞き取りは、難しいだろうからだ。
「確かにな。今は、まともな調書は取れないだろうしな」と、豚崎も、理解を示した。
「おい、特殊詐欺って、どう言う意味だ?」と、破解石が、鋭い眼差しで、問うた。
「簡単に言えば、破解石さんは、モリターティと名乗る者に、架空の話を持ち掛けられていたって事ですよ」と、鼠谷は、回答した。他人名義の口座を利用する詐欺の手口だからだ。
「じゃあ、モリターティの話は、嘘だと言うのか…」と、破解石が、落胆して、項垂れた。
「そういう事になりますねぇ」と、鼠谷は、相槌を打った。落ち込む気持ちも、それなりに、理解出来るからだ。そして、「しかし、被害者は、あなたではなく、丑露さんが、本当の被害者なのですよ」と、指摘した。騙されたにせよ、丑露から騙し取った金を振り込んだ事に変わりないからだ。
「ピテ、破解石さんを留置場へ、案内しろ」と、豚崎が、指示した。
「は~い」と、ピテが、生返事をして、席を立った。
少し後れて、破解石も、腰を上げた。
間も無く、二人が、退室した。
「鼠谷、こんな田舎町にまで、特殊詐欺が来やがったぜ」と、豚崎が、口元を綻ばせた。
「そうだな」と、鼠谷は、苦笑した。あまり歓迎しない事だからだ。そして、「お前は、何だか嬉しそうだな」と、切り返した。
「今までの案件の中で、一番大きな事件なんだぜ。巨大な悪の組織が、絡んでいるんじゃないのか?」と、豚崎が、上気した。
「お前、誇大妄想小説の読み過ぎだぞ」と、鼠谷は、溜め息を吐いた。言っている事が、突飛過ぎるからだ。
「うるせぇ! そう思った方が、俺としては、やる気を維持出来るんだよ!」と、豚崎が、意気揚々に、告げた。
「そうか。まあ、やる気を出してくれるのは、ありがたいが、あんまり、足を引っ張らないでくれよな」と、鼠谷は、冷ややかに言った。豚崎が、やる気を出す時は、必ず、皺寄せが、降り掛かって来るからだ。
「鼠谷、冷てぇなぁ。まあ、今までの俺は、そうだったかも知れんが、これからの俺は、一味違うぜ」と、豚崎が、自信満々に、宣言した。
「はいはい」と、鼠谷は、素っ気無く返事をした。これ以上、相手をしていると、しんどくなって来るからだ。
「ああ! お前、信じていないだろっ!」と、豚崎が、食って掛かるように、指摘した。
「お前の言い分は、一段落付いてから聞いてやるから、取り敢えず、調書を持って行ってくれ」と、鼠谷は、淡々と指示した。豚崎の話は、長いからだ。そして、机の上の証拠書類を手にして、席を立った。
少し後れて、「鼠谷、続きは、唖慢堂で、どうだ?」と、豚崎が、調書を左脇に抱えながら、にこやかに、提言した。
「分かったよ。丑露さんにも、報告しないといけないからな」と、鼠谷も、承知するのだった。