ですてにー・ばれんたいん
下校時刻で賑わう校門前。
顔の半分を、いつものようにマフラーで隠して。
わたしは、ここで、彼が来るのを待つ。
「先輩、今日って何の日か知ってます~?」
「……」
「あの、せんぱ~い? なんで目を逸らすんデスか?」
露骨なシカトをものともせず、わたしの視線を追尾してくるウザったい笑み。
後輩A。名前も知らない、ただの後輩。
数えきれないほど、たくさん居る後輩。その中の、ただの一人。
たまたま一番最初に知り合っただけの、後輩。
だから、後輩〝A〟。
たくさんの後輩が去っていったというのに、この子だけは、いつまでもわたしの傍を離れようとしない。
わたしのことを、からかってばかりの、嫌な子。
かわいらしい二つ結び。キラキラ輝く大きな瞳。華奢な肩幅。
わたしが欲しいものを、全て持ってる子。
名前なんて聞いてあげないし、知りたくもない。
「今日はね、バレンタインデーなんデスよ~」
「……」
知ってる。
だから私は、ここにいる。
「そんなわけで、先輩にチョコを用意し…………たかったんデスけどね~!」
たはー! と叫びながら、後輩Aはあざとく自分の頭を叩いてみせた。
「まあ、やっぱり無理でした! やる気はあったのになぁ。んー、悔しいなぁ!」
そんな風には、ぜんぜん見えない。
「その代わりってわけじゃないんデスけどね。今日こそ……というか、今年こそはずっと、先輩と一緒にいてあげよっかな~って」
「いらない」
もし、彼にそんなところを見られたら。余計な勘違いをされたら。
もし、彼に嫌われてしまったら。
わたしは、絶対にこの子を許さない。
「……彼が来る前に、消えて」
「え~? どうせ来ないじゃないっすかぁ」
軽い調子でふざけたことを口にした豚へ、ありったけの殺意をぶつける。
呪い殺してやれるなら、殺してやりたい。
本気でそう思った。
そんなわたしの殺意が、辺り一帯に伝播したのかもしれない。
わたしと後輩に目もくれずに歩いていた生徒たちが、一斉に身を震わせ、その場を飛び退いた。
ざわつく周囲を無視して、後輩は笑う。
「あはー☆ やっとこっち見てくれた☆」
怯えるどころか嬉しそうに、くすくすと笑い続ける。
「先輩、かわいーなぁ! 好きだなぁ! 一途だし~。かわいーし。マジメ過ぎて、バカみたいにおっきなチョコ作ってくるし。彼が絶対来ないこと、わかってるし。なのに、毎年毎年、絶対ここに居るし」
捲し立てるように、わたしを馬鹿にした後、
「そんなんだから、構いたくなっちゃうんデスよ。もう」
不意に切なげな薄笑みを浮かべ、そう言った。
「ボクね、一つ夢があるんデスよ~」
いまだにざわついていている生徒たち。その背後にある、駅までの一本道。
後輩Aは、その果てを指さした。
「いつか、ここを先輩と一緒に歩きたいな~って。――それがボクの夢」
再びわたしに向き直った後輩Aの表情は、いつもの屈託ない笑みに戻っていた。
「…………なんで?」
「え?」
「なんで、わたしに付き纏うの」
「好きだからデスね」
「ふざけないで、真面目に答えて」
「真面目デスよ~。ボクって、自分に似たものを嫌わずに好きになっちゃうタイプなんで」
くるりと踵を返して、後輩Aは茜色の空を見上げた。
「とっても似てます。ボクと、先輩。だから大好きだし、構わずにはいられないんデス」
後輩Aは歩き出す。先ほど自身が指さしていた道とは真逆の、暗く細い路地へ向かって。
「来年こそは、一緒にいきましょうね!」
「……いかない」
わたしは、ここに居続ける。
彼が来てくれるまで。
鞄の中に仕舞いっぱなしになっているチョコを、彼に渡すまで。
ここを離れるわけには、いかないのだ。
――たとえ、彼が来なくとも。
この身が、いつかわたしという形を失ってしまっても。
のぞむべくもない、恋だとしても。
恋は、一方通行だから。
はじめから、覚悟していたから。
実らないかも、と。
らせんのように、ぐるぐると続く葛藤も、不安も。
なかったことには、出来ない。したくない。
いつまでも、わたしは待ち続ける。
――ここで待つことをやめたら。
ここを離れてしまえば。
きっと、わたしはわたしでなくなってしまうから。
彼のために、わたしはわたしになった。
そのことを受け入れてもらえるかは、わからないけれど……見て欲しい。
彼のための、わたしを。
その結果を得られるまで、きっとわたしはわたしのままだし、ここを離れることが出来ないだろう。
「それじゃ、先輩! また来年デス!」
こちらを振り向いて、大きく手を振る後輩A。
それを見計らっていたかのように、夕暮れ時の影が、すっとその濃度を増した。
後輩Aの姿が、暗闇に溶ける。
そうして、わたしはまたひとりぼっち。
それでも、待ち続ける。
彼が現れるまで。
この恋が、一つの形を得る……その日まで。
あるいは――きっと、そんな日は来ないけれど。
後輩Aの手が、わたしの手を強引に引いてくれる、その日まで。