第54話 拳法使いは決戦を往く
魔王の素顔が見えた。
それを認識しつつも、私は手刀を繰り出す。
死合いに関係のないことであった。
魔王は黒い弓で食い止める。
手加減なしの手刀だったが、勢いが完全に殺された。
凄まじい膂力によるものだ。
魔力は大して込めれていないので、素の筋力が尋常でないのだろう。
(しかし、技量は分かった)
私は間を置かずに蹴り上げを行う。
身体強化で加速させた三連撃に、魔王は飛び退きながら辛うじて防御した。
一瞬の攻防を経て、魔王の右前腕が折れている。
爪先が掠めたのだ。
肉体の強度に関しては、通常の魔族と大差ないようだった。
距離を稼いだ魔王が弓を構えようとする。
相変わらず素早い動きだが、この間合いならば脅威とはなり得ない。
接近した私は掌底で弓を破壊する。
側面に亀裂が走り、生成された魔術の矢が砕けた。
魔王は射撃を止めて蹴りを放る。
私は上体を反らして躱すと、反転して回し蹴りを見舞った。
直撃した魔王は吹き飛んで地面を転がる。
土で汚れた魔王はなんとか立ち上がった。
無表情に血を吐いて、口元を拭う。
携えた弓はもう構えようとしない。
破損したことで、矢を飛ばす機能を失ったのだろう。
腰を落とした魔王は、弓を棍のように構える。
構えを見るに、それなりに心得はあるようだった。
ただし卓越した腕前ではない。
彼女の技量は弓に特化していた。
それでも芯の通った瞳は、未だに勝利を掴もうとしている。
(いい目つきだ)
私は予備動作を飛ばして迫り、半身になりながら殴打を放った。
魔王は弓を使って紙一重で防ぐ。
鈍い衝突音と共に、亀裂がさらに広がった。
あと一撃で完全に粉砕できそうだ。
(こちらの動きを追い切れていないな)
やり取りの中で判断した私は、弓を掴んで引き寄せる。
魔王が前のめりになったところで、そこに反対の手で手刀を打ち込んだ。
首を切り落とす角度に対し、魔王は片腕で遮る。
大質量の魔力を集中させて防御に徹していた。
私は無視して手刀を叩き下ろす。
捻りを加えた一撃は、魔力の防壁を突破して片腕をへし折った。
ドレスの袖から割れた骨が飛び出す。
腕を潰された魔王が顔を顰める。
「……ッ」
彼女はすぼめた口から火炎を吐いてきた。
至近距離からの不意打ちだったが、私はその場にいない。
魔王の死角に回り込むように移動すると、火を噴く背中に肘撃を加えた。
受け身も取れず、魔王は炎を散らしながら地面を転がる。
土を掻きながら立ち上がろうとして、またもや血を吐いた。
そこには肉片も混ざっている。
直前の肘撃は、彼女の身体を徹底的に破壊した。
まず背骨と肩甲骨を砕き、衝撃が伝播して内臓を引き裂いたはずだ。
体内の魔力も乱しておいた。
物理面でも魔術面でも致命傷となったろう。
しかし、魔王はなんとか立ち上がってみせた。
いつ死んでもおかしくないような状態だというのに、彼女は確かに立っていた。
私を殺すために復帰してきたのである。
魔王は弓を構えて突進してくる。
振り下ろされた弓を難なく受け流し、反撃で魔王の鎖骨を打つ。
砕き割る感触が、手を介して伝わってきた。
弓を持つ魔王の腕が脱力する。
そこに蹴りを浴びせると、彼女は折れた腕を犠牲に防御をした。
地面を滑りながら後退し、ついには弓を取り落とす。
「終わりだ」
「勝手に決めるな」
即座に応じた魔王は、最大出力で魔王を放出させる。
赤黒い光が、彼女の全身を炎のように包んだ。
折れた両腕が無理やり持ち上げられた。
筋肉と骨が軋む音がした。
血を滴らせながらも、魔王は両腕をぎこちなく動かす。
そして、弓を引くような構えを作った。
放出された魔力が集束し、腕の構えに合わせて弓矢となった。
魔王は強靭な意志を宿した眼差しで、矢を引き絞って私を狙う。
正真正銘、すべてを懸けた一射であった。
(これが、執念か)
歓喜の情を必死に抑え込む。
殺戮衝動に震える全身を叱咤し、張り詰める意識を魔王だけに向けた。
このひと時を、五感で味わい尽くす。
間もなく矢が放たれた。
同時に私も動き出す。
極光の矢に片手を伸ばして、正面から掴む。
すぐに気の飛びそうな熱量に襲われた。
矢を掴む五指の皮膚が焼けて、血が蒸発する。
筋肉が千切れると、骨が割れて粉々になる。
その様を目にしながらも、私は決して指を離さない。
魔王が命を捧げて放った矢だ。
軽んじることは許されない。
渾身の力を込めて掴み続ける。
両脚の下で大地が陥没し、体勢が崩れそうになる。
私は砕けんばかりに歯を食い縛り、極光の矢を握り込んだ。
そこに体内に残る魔力を注ぎ込む。
魔術師ヴィーナの爆発エネルギーも含まれていた。
互いの全力で削り合う。
猛烈な痛みが魂に刻み込まれていく。
光越しに、魔王の顔が覗いた。
使命に駆られた者の、強さと葛藤を湛えた表情だった。
拮抗はそれほど長く続かなかった。
先に破砕したのは、魔術の矢であった。
矢は光の粒子となって霧散する。
衝突の反動により、私の片手は見るも無残な状態となっていた。
手首から先などは千切れかけている。
爪も皮膚も肉も消し飛んで、僅かな骨と靭帯だけが残っていた。
私は構わず前に走る。
呆然と立ち尽くす魔王に、無事な手で正拳突きを打つ。
空間の破裂する音がした。
魔王の身体が、音を優に超える速度で城に叩き付けられる。
城は幻のように薄れて消失した。
もしかすると、魔王の力が存在の礎となっていたのかもしれない。
渾身の一撃を受けた魔王は、膝から崩れ落ちた。
そしてゆっくりと倒れる。
今度はもう、起き上がろうとしない。
「…………」
私は魔王に近付いていく。
ある程度の距離で止まると、そこから声をかけた。
「どうして後退しなかった。不利になるのは分かっていたはずだ」
「配下を殺され、て……退ける王が、いるもの、か」
魔王は顔を上げずに答える。
掠れた声だが、辛うじて聞き取れた。
倒れたままの魔王は私を呼ぶ。
「魔王殺しの、勇者……」
「何だ」
「なぜ魔族を、殺す。異界の人間ならば、恨みはなかろう」
問答を受け付けなかった魔王も、胸中では疑問を抱いていたらしい。
こちらの素性や来歴も把握しているようだ。
片手の再生する様を一瞥して、私は答えを述べる。
「それが仕事だからだ」
強者と戦いたいという願いはある。
しかし大前提として、神からの依頼が挙げられる。
それがなければ、一目散に荒野へ来ることはなかったろう。
神から対価を得た私は、その時点で勇者だ。
与えられた使命を全うする他ない。
「……事務的、だな。もう少し、聞こえの良い言葉、は……無かったのか」
「すまない」
暗殺者としての人生が長すぎたのかもしれない。
世界を救うという内容さえ、仕事の一つと認識していた。
少なくとも、魔王の望む答えではなかったと思う。
自嘲する私は、そこで気付く。
魔王が呼吸をしていない。
彼女は既に死んでいた。
垂れ流された血液が、ひび割れた大地に染み込んでいる。
「……感謝する」
それだけ呟いた私は踵を返すと、来た道を戻り始めた。
遥か遠くに豆粒のような大きさの街が見える。
おそらくは荒野の外にある小国領土だろう。
時間はかかるが、歩けない距離ではない。
まずはリアとアンリに合流したい。
彼女達ならば、きっと生き残れているはずだ。
戦いの顛末も伝えなければならない。
様々なことを考えながら、私は血染めの大地を進む。
――その日、私は荒野の魔王を殺した。