第5話 拳法使いは夜道で懇願される
私は街道を辿るように移動する。
行き先は分からないが、いずれどこかに着くだろう。
そこで明確な目的地を定めればいい。
食事はしばらくは必要がない。
不眠不休で行動できるだけの体力も残っている。
老いた肉体では、もっと難儀していただろう。
若さとは、どこまでも便利である。
無心で移動するうちに、夜が訪れた。
頭上には青白い月が上っている。
それは元の世界と変わらないように見えた。
己が死を迎えて、異世界に来たことを忘れてしまいそうだった。
しかし、現実として私は若返った。
今は見慣れぬ土地を放浪している。
ここは、間違いなく異世界なのだった。
夜の草原を進んでいると、遠くに殺気を感じた。
街道から逸れた位置に、無数の影を認める。
草を揺らして疾走するそれらは、獣の群れであった。
「ふむ」
私はじっと目を凝らす。
月光に照らされるのは、額から角の生えた狼だった。
牙を剥き出しにして唸りを上げている。
(この世界特有の生物か)
奇妙な術だけでなく、元の世界とは生態系にも差異があるようだ。
変則的な行動を取るかもしれないので、注意が必要だろう。
狼の群れは一直線に私へと接近してくる。
獰猛な息遣いから察するに、私を獲物と認識しているようだ。
友好的とは思えない態度である。
「ちょうどいい……」
私は移動を中断し、その場で軽く拳を握る。
何もない移動に飽きてきた頃だった。
退屈を紛らわせる相手が欲しいと思っていたのだ。
殺気を放射すれば、群れを追い払うことくらいは簡単だった。
しかし、あえてそれはしない。
ここで相手をさせてもらう。
私は向こうの出方を観察する。
狼達は私を包囲し、四方八方から一斉に跳びかかってきた。
その連携は非常に正確で、常人が捌くのは困難に思える。
(だが、関係ない)
私は地面に正拳突きを打つ。
刹那、叩き込まれた衝撃が、大地を勢いよくめくり上げた。
土や小石が、弾丸のように飛び散って狼達を怯ませる。
不運な個体は、胴体や頭部を撃ち抜かれて即死していた。
先制攻撃を妨害した私は、すぐさま追撃を開始する。
その後、特に問題なく狼達を殲滅した。
噛み付きや角による刺突を主とした連携は、なかなか悪くなかった。
戦いに不慣れな者ならば、為す術も無く餌になっていただろう。
手練れでも多少の傷は負っていたに違いない。
無論、私には通用しなかった。
向こうが連携による同時攻撃を得意とするなら、それを上回る速度で攻撃すればいい。
迫る狼達の鼻面に拳と蹴りを浴びせて、ひたすらに屠っていった。
多方向から同時に攻撃されようと関係ない。
殺気から位置を把握し、相手の牙や角を躱して反撃を叩き込むだけだ。
ものの数分で狼達を始末した私は、そこで野営を行うことにした。
このまま移動を続けてもいいが、せっかく新鮮な肉が手に入ったのだ。
腐る前に食った方がいいだろう。
今の私は無一文である。
狼の死骸を解体し、皮や牙や爪を資金源にしたかった。
どれほどの価値があるか分からないが、どこかの街へ持ち込めば小銭にはなるはずだ。
私は街道のそばに死骸をまとめて運ぶと、簡単に血抜きを行った。
枯れ木を拾って焚火を作り、枝に刺した狼肉を焼いて食らう。
「…………」
私は眉を寄せながら肉を噛み千切る。
臭みに加えて、肉汁が独特の渋みを出していた。
肉自体も硬くて繊維質だ。
歯触りはこの上なく悪い。
お世辞にも美味いとは言えない味である。
ここ数年は味覚が鈍っていたこともあり、より強烈に感じてしまう。
思わず顔を顰めるも、食事の手は休めない。
この肉は貴重な栄養源だ。
飲まず食わずでもある程度は行動できるが、やはり食事は大切だろう。
飢えないに越したことはない。
過去にはこれよりも酷い食事で生き延びた経験もあった。
文句を言うほどではない、と思う。
大量の肉を摂取した私は、食後に死骸を解体する。
あまり多すぎると荷物になる。
それなりに厳選してまとめようと思う。
売却用に整えていると、私は一つの気配を察知した。
それは知っている気配だった。
私は作業の手を止めて立ち上がり、近付いてくる気配を注視する。
夜空の下、街道を進んでくるのは一人の女だった。
意気揚々と歩くのは、女騎士リアである。
軽装の彼女は、背嚢と剣だけを所持していた。
剣は昼間に私が壊したものとは別だ。
どこかで新たに調達したのだろう。
(追っ手だろうか)
私は近付いてくるリアを訝しむ。
追っ手にしては殺気がまるで感じられなかった。
彼女は私を目にして喜色を浮かべている。
間もなく、剣も抜かずに駆けてきた。
「…………」
私は拳を握って警戒する。
友好的に見えるが、罠かもしれない。
彼女の実力は既に把握している。
こちらから先手を打つほどではないが、気は引き締めるべきだろう。
私が様々な思考を巡らせる中、リアは私の前で停止した。
彼女は見慣れぬ様式の敬礼をすると、親しげに話しかけてくる。
「ウェイロン殿! このようなところまで来られていたか」
「……何用だ」
私は少なからず困惑する。
リアの態度は、やはり演技には見えなかった。
こちらに対する憧れや敬意が感じられる。
慣れない感情を向けられて、私は思わず目を逸らした。
一方、背筋を伸ばしたリアは問いに答える。
「端的に言うと、貴殿に弟子入りしたいと考えている」
彼女の発言を聞いて、私はさらに混乱する羽目になった。
あるとすれば、再戦の要求くらいかと思っていた。
これだけ動じるのは久々のことである。
神に出会った時でさえ、私は冷静だった。
私は微かな頭痛を感じながらも、なんとかリアに問いかける。
「そう思うに至った経緯を教えてくれ」
「貴殿の類稀なる武術に感銘を受けたのだ! 是非とも師事して、自らの剣技を高めたいと考えた。どうか旅に同行させてもらえないだろうか」