第45話 拳法使いは英雄と対峙する
大きな影は、一人の人間だった。
容姿の詳細を確かめるより先に、掲げられた武器に目を引かれる。
身の丈を超えるそれは、丸太状の鈍器であった。
あれで関所の兵士を皆殺しにしたのだろう。
瞬時に理解した私は、接近する者の前に躍り出る。
「――二人とも下がれ」
間も無く鈍器が真上から振り下ろされた。
魔力は感じないので、特殊な効果はなさそうだ。
すなわち正攻法で凌げるということである。
私は鈍器に手のひらを当てる。
触れた瞬間、手首の返しで軌道を曲げた。
風圧が頭髪を乱す。
ところが鈍器は、強引に軌道を修正してきた。
受け流しを無視して、私の肩口を狙っている。
常人ならば空振るところだというのに、大した膂力と反応速度だった。
(仕方ない)
私は足首から爪先へと力を伝達させる。
前動作無しでの跳躍から、身を捻って鈍器を躱した。
衣服の端を切り裂かれながらも、鈍器の持ち主へ反撃の拳を打つ。
「うおぉっ!」
野太い声が上がった。
その人物は素早く身を引いて回避すると、後方へと跳んで距離を取る。
存外に身軽で、速度も申し分なかった。
あのタイミングから避けられるとは驚きである。
私は相手の容姿を観察する。
強烈な笑みを湛えるのは、筋骨隆々の大男だった。
年齢は三十代後半ほどだろうか。
髪は生えておらず、黒革のベストを素肌の上に羽織っている。
ズボンには返り血が染み込んでいた。
全身に細かな傷が付いているが、致命傷は一つもない。
両手で携えるのは、丸太状の破城槌であった。
本来は数人がかりで運用する代物だ。
その名の通り、城門や城壁の破壊に用いられる兵器である。
それを大男は、白兵戦の個人武器に使っているようだ。
周囲の死体や直前の打撃を考えると、常軌を逸した膂力であった。
大男は顎を撫でつつ、嬉しそうに話しかけてくる。
「おお、あんたが勇者か。ただの優男に見えるが……只者じゃねぇな」
「誰だ」
「オレはシンラ・ハン。しがない僧侶さ」
大男はあっさりと名乗った。
穏やかにすら感じられる反応だが、目は異常な光を爛々と輝かせている。
それは狂気に等しいだろう。
名乗りを聞いたリアが驚愕する。
「シンラ・ハンだと……ッ!?」
視線を前に向けたまま、私は背後のリアに尋ねる。
「知っているのか」
「王国所属の、騎士です。通称は、堕落僧……王国最強の男、と呼ばれて、います」
答えたのはアンリだった。
知らない男だが、王国の騎士ということはリアの元同僚だろうか。
ただし、互いに親しい間柄ではなさそうだ。
(それにしても、王国最強とは……)
改めて私は、堕落僧シンラを見やる。
こうして対峙すると、王国最強も間違った評判でないと分かる。
空間を軋ませるほどの覇気を放っていた。
シンラは禿げ頭に手を置くと、どこか皮肉の混ざった笑みで言う。
「所属と言っても、忠誠心が無いがな。籍を置いておくだけで、国内では罪に問われないって言われたのさ。だから形ばかりの騎士様って奴だ」
「堕落僧……貴様は王国を放浪していたはずだ。なぜ帝国領土にいる?」
リアは嫌悪感を滲ませて尋ねる。
それを隠そうともしていなかった。
何があったのかは定かではないが、よほど印象が悪いらしい。
対するシンラは軽薄な口調で応じる。
「王から勇者の始末を依頼されたんだ。国の威信に関わるからどうにか殺してくれ、ってな。情けない爺さんだぜ、まったく」
破城槌を持ったこの男は、王国からの刺客のようだ。
私達を追って他国までやってきたらしい。
一連の話が本当ならば、かなり問題のある人物だった。
ただ、戦闘能力は紛れもなく一級品である。
王国は手段を選べなくなり、最終手段として解き放ったのだ。
「あんたの動向は、密偵の奴らが全力で探ってくれた。おかげで先回りができたぜ。暇潰しに関所を潰しちまったが」
「王国の騎士が無許可で帝国領に踏み込むなど、国際問題に発展するぞ。冷戦の均衡を崩すつもりか!」
リアが鋭く批難する。
自分のことは棚に上げているが、彼女は既に騎士の身分を捨てている。
厳密には王国所属ではなくなったので、大丈夫なのかもしれない。
リアの批難を受けても、シンラは平然と語る。
「今回の作戦は、表向きはオレ個人の暴走ってことになるそうだ。だから国同士の問題にはならねぇよ」
「貴様はそれでいいのか」
「ああ、興味ねぇさ。罪人として糾弾されることには慣れている」
シンラは鼻で笑う。
この男は罪悪感を覚えない性質のようだった。
リアと問答を交わしていたシンラの視線がずれて、真正面に立つ私に移る。
彼は獣を彷彿とさせる笑みを見せた。
刹那、歓喜に歪む口で言う。
「――それに、極上の獲物と殺り合えるんだ。細けぇことなんざ、放っておけばいいだろう」