第3話 拳法使いは国王を脅迫する
夥しい量の血肉がぶちまけられた。
それらは床や壁に撒かれる。
近くに立っていた貴族が、鮮血を浴びて悲鳴を上げていた。
指揮官の下半身が、ふらついた末に倒れる。
断面からは、臓腑がはみ出していた。
見るも無残な姿である。
(これは……)
私は眼前の結果を生み出した拳を一瞥する。
想像以上に凄惨なことになってしまった。
老人だった時の力加減や感覚で殴ったのが悪かったらしい。
若返ったことで、勝手が変わったようだ。
実を言うと、軽く小突いたつもりであった。
本来なら、肋骨をへし折って心停止を促すだけのはずだった。
芯を捉え切れなかったせいで、破壊力が無駄に拡散されたのである。
見た目は派手だが、突きとしての評価は及第点にも満たない。
若返りの影響は思ったより大きい。
このままだと戦いに支障を来たしてしまう。
動かしながら調整して、感覚を掴んでいくしかないだろう。
反省を終えた私は拳を下ろす。
室内はやけに静かだった。
人々は指揮官の死体を凝視している。
青い顔で卒倒する者もいた。
殺気から解放された兵士達は、槍を構えている。
しかし腰が引けており、踏み出してくる気配はなかった。
立ち向かうだけの気概はなさそうだ。
指揮官の死は、見せしめとして十分な効果があったらしい。
しかし、ここで止まるつもりはない。
「ふむ」
私は指揮官を殺した拳を振る。
付着した血が飛んだのを見て、兵士達は後ずさった。
膨らみ続ける恐怖がありありと感じられる。
速まる鼓動を抑えながら、私は兵士達に歩み寄っていく。
「忠告はしたぞ」
その言葉を皮切りに、床を蹴って素早く前進する。
近くにいた兵士に狙いを付けると、反応される前に蹴りを繰り出した。
音速を超えた踵が兵士の顔面を抉る。
折れた歯が弾けたように飛散した。
白目を剥いた兵士は、跳ね上がりながら後ろへ倒れていく。
私は体勢を戻しつつ、片手を床についた。
そこから掻き進むように跳んで、別の兵士との間合いを詰める。
「ひいっ!?」
兵士は目を見開いて震える。
真正面から肉迫した私は、兵士の胴に両拳を打ち込んだ。
くぐもった破裂音が響き渡る。
余分な衝撃が足から伝播し、床を陥没させた。
刹那、打撃を受けた兵士が高速で吹き飛び、窓を突き破る。
そのまま落下して姿が見えなくなった。
(今度は芯を捉えられたな)
攻撃の具合に満足していると、左右から兵士が襲いかかってきた。
彼らは槍で私を突こうとしている。
隙を狙おうとする姿勢は悪くないものの、洩れ出る殺気のせいで奇襲になっていなかった。
私は迫る穂先を両手で受け流す。
軌道を変換された刺突は、左右の兵士にそれぞれ命中した。
悶絶する二人の首を手刀で刈り取り、一方の生首を蹴り飛ばす。
高速回転する生首は、前方の兵士にぶつかった。
「うわっ!?」
怯ませた兵士の咽頭に肘撃を打つ。
骨と肉をまとめて叩き潰す感触。
激しく痙攣する兵士は、赤い泡を噴いて沈んだ。
追撃で後頭部を踏み砕いたところで、私は動きを止める。
だんだんと力の加減ができるようになってきた。
身体は驚くほどに軽く、体力も無尽蔵のように感じられる。
この調子なら三日三晩でも戦い続けられるだろう。
やはり若さとは偉大だった。
神の祝福に感謝していると、少し離れた地点から殺気を感じた。
ローブを着た者の一人が、杖から火球を放ってきた。
真っ赤な火球は、私へと飛来してくる。
(奇妙な術だ)
この世界特有の力だろうか。
異世界召喚の他にも、様々なことができるようだ。
私は短く息を吐き出すと、震脚で間合いを定める。
そこから掌底を火球に当てた。
衝撃を受けた火球はあっけなく霧散する。
手のひらを見ると、ほんの僅かに火傷していた。
しかし、それは薄れて消えてしまう。
「……ほう」
若い頃は傷の治りも速かったが、これはさすがに異常である。
原因を考えるも、思い当たるのは一つしかない。
神は私の肉体を全盛期にしたと言った。
おそらくその定義とは、年齢だけに限ったことではない。
全盛期とはすなわち、健康な状態を指すのだろう。
病気や傷を負った場合、即座に治癒が始まるようだ。
(これはいい)
さすがに不死身ではないだろうが、傷が治りやすいのは便利である。
細かな傷を気にしなくていいのは楽だ。
状況次第では活かしていこうと思う。
「くたばれッ!」
ローブの術者が再び杖を向けてきた。
空気の揺らぎと共に、見えない何かが接近してくる。
私は精神を集中させて、迫るそれに手刀を合わせた。
上手く軌道をずらして受け流すことに成功する。
「ぎゃぁっ!?」
背後で断末魔が上がった。
腰を抜かした兵士の顔面が割れている。
まるで鋭利な刃物で切られたような傷だった。
どうやら術者は、風の刃を飛ばしてきたらしい。
(面白い。色々な現象を発生させられるのか)
剣や槍で戦う場で、炎や風を操れるのは大きい。
有用性を考えれば破格の能力と言えよう。
他のローブを着た者達も、同じように術を使えるだろうか。
だとすれば、是非ともこの目で確かめたい。
興味を覚えた私は、彼らを挑発する。
「もっと見せてみろ」
ローブの術者達が、一斉に火球や風の刃を飛ばしてきた。
その中には、弾丸のように飛んでくる水や稲妻も混ざっている。
やはり他にも攻撃用の術があるようだ。
私は床を這うように疾走し、それらの術を躱しながら距離を詰める。
回避が難しい場合は、手刀を以て受け流した。
いずれの術も強力だが、対処は簡単だ。
たとえ直撃しても、若くなった肉体ならば軽傷に留まるだろう。
術者の一人に狙いを付けた私は、四肢で床を叩いて跳躍する。
驚愕するその顔面に膝蹴りを食らわせた。
術者の顔面は、腐敗した果実のように破砕する。
跳ねた血が私の頬を濡らした。
(術の使用に意識を取られている。近接戦が不得手なのか)
分析する私は、両手足で着地する。
間を置かず、肉食獣のように別の術者へ跳びかかった。
下から打ち上げるように蹴りを当てると、浮かび上がった術者の足首を掴む。
術者を鈍器のように振り回して、他の者達を一掃した。
倒れた彼らの首を踏み砕き、或いは掌打で破壊する。
至近距離から術を撃とうとする者もいたが、発動前に察知して仕留めた。
視線と予備動作に気を付けていれば、反撃されることもない。
起き上がる前に命を奪ってゆき、ついにはローブ姿の術者を全滅させる。
術であちこちが破損した室内には、静寂が沈殿していた。
血の臭いが充満し、むせ返るような空気を醸し出している。
飛び散った血肉や臓腑が各所を穢していた。
拳から血の滴り落ちる音がする。
ぽつぽつと一定の間隔で落ちていた。
私は部屋の端に固まる人々にふと視線を向ける。
刹那、彼らは半狂乱に陥った。
怒声や悲鳴を上げながら、私を迂回するように出入り口へ殺到し始める。
我先にと逃げ出す者の中には、兵士の姿もあった。
いくら国に忠誠を誓ったと言っても、眼前の恐怖には耐えられなかったらしい。
騒然とした人々はあっという間に避難していく。
死体が散乱する室内に残るのは、王とその家族と一部の勇敢な兵士のみであった。
残る兵士も、率先して私に挑もうとはしない。
それだけの勇気はないようだ。
(この程度か……)
密かに失望していると、出入り口から轟音が聞こえてきた。
振り返ると扉と壁が破壊されており、一人の兵士が屈むようにして登場するところだった。
まるで熊のような巨躯を鎧で包んだ風貌だ。
携えるのは鉄板のような大剣である。
兜から覗く目は、ぎらぎらとした戦気を放っていた。
「ほう……」
自然と微笑みながら、私は拳を構える。
おそらく部屋の外で警備をしていた兵士だろう。
異変を察知して、私を殺しに来たらしい。
この者は、他の兵士とは一味違う。
私を前にしても、怯えることがない。
それどころか、殺気を研ぎ澄ましていた。
私と大剣使いの兵士は、無言で対峙する。
互いの殺気が、きりきりと空気を締め上げていく。
息の詰まるような緊張感だ。
その感覚に私は歓喜する。
先に動いたのは大剣使いだった。
見た目からは想像もできない速度で前進すると、壁や床を擦りながら大剣を掲げる。
それを大上段から振り下ろしてきた。
頭上から落ちてくる刃を、私は片手の五指で挟んで止める。
伴う衝撃は、足元から床へと逃がした。
床に新たな亀裂が何重にも走る。
そろそろ崩落しそうだった。
「……ッ!」
大剣使いが驚愕する気配を見せる。
彼は柄を握る手に力を込めて、必死に動かそうとしていた。
しかし、私が掴んでいるせいでびくともしない。
大剣使いの戦法は、単純明快だった。
優れた身体能力を駆使して、圧倒的な一撃で相手を叩き斬る。
彼ほどの膂力ならば、常人の防御など関係ない。
間合いも広く、反撃を恐れずに仕掛けることができる。
まさに一撃必殺を体現した戦法だった。
親近感を覚えた私は大剣使いに呟く。
「――奇遇だな。同じことを考えていた」
私は腕を引きながら前に躍り出る。
最適な間合いを取ったところで、瞬時に重心を移動させた。
呼吸を合わせて、拳を捻りながら放つ。
突きは大剣使いの鳩尾を捉え、金属鎧にめり込んだ。
力を一点に束ねながら、僅かな抵抗感を貫くように穿つ。
大剣使いの体内で、何かが爆発した。
衝撃の余波が壁や床を揺らす。
室内のすべての窓が、癇癪を起こしたように砕け散った。
私は大剣使いから離れる。
彼は動きを止めると、ゆっくりと自分の身体を見下ろす。
金属鎧の一カ所が、拳の形に凹んでいた。
突如、大剣使いが武器を手放し、多量の血を吐きながら倒れた。
床に伏せたまま、赤い染みを広げていく。
倒れたことで見えるようになった鎧の背部は、引き千切られたかのように穴が開いていた。
「そんな、ラムド様が……」
「たった一撃など、ありえない!」
「何者なのだ、あの男は!?」
他の兵士達が唖然する。
彼らは武器を落として立ち尽くしていた。
戦意を喪失しているのは明らかだった。
大剣使いは、彼らの中でも強者の位置づけだったらしい。
彼が為す術もなく倒された様を見て、私には絶対に勝てないと確信したのである。
興醒めだが仕方のない反応だろう。
鼓舞したところで奮起は困難に違いない。
玉座を見ると、国王は歯噛みしていた。
目を血走らせて、全身から悔しさを滲ませている。
ただし、何も言ってこない。
私という暴力に関わりたくないのだ。
彼の后や息子も同様であった。
怯える彼らは、化け物を見るような目を私に向けている。
それで傷付くことはない。
慣れたものだ。
怪物や化け物といった呼称は、常に私の代名詞である。
今更そのように見られたところで、馴染み深さしか感じなかった。
血染めの床に立つ私は、国王に話しかける。
「此度は不幸な衝突だった。こちらにも落ち度があり、故にお前の命までは取らない」
互いの要望が噛み合わなかった結果、我々は争うことになった。
非人道的な扱いを受けそうになった私だが、実際には何の損も被っていない。
対して向こうは多数の死者が出ている。
制裁としては十分だろう。
「私への報復を企んでいるだろうが、それは別に構わない。ただし、義に反する所業を繰り返すのならば、覚悟するといい」
そこで私は言葉を切って、拳を突き出す。
直後、国王の背後にある壁が爆散した。
瓦礫となった壁が屋外へと崩れ落ちていく。
私は青ざめる国王を見据えて告げる。
「――その命、貰い受けるぞ」
私は返答を待たずに踵を返すと、壊れた扉を跨いで退室した。
近くに下り階段を見つけたのでそこを下りていく。
止めに来るものは、誰一人としていなかった。
(随分と物騒な始まりとなってしまったな)
私は一連の出来事を振り返る。
もう少し上手くやれた気もするが、破壊衝動に負けてしまった。
若返った肉体で戦いたいと思い、その欲求に抗えなかったのである。
軽率だったと非難されれば、反論はできない。
これについては反省すべきだろう。
私は異世界で殺人鬼になりたいわけではない。
魔王を倒すという使命を宿しているのだ。
強者との戦いも楽しみだが、託された依頼が優先であった。
これからは、己の言動に注意を払わねばならない。