第2話 拳法使いは異世界に召喚される
目を開けると、私は見知らぬ場所に倒れていた。
白一色の草原だ。
草も大地も白く、空は闇に覆われている。
星々は見えず、三日月だけが浮かんでいた。
(ここは……?)
私は立ち上がる。
拉致された記憶は無い。
ここへ連れて来られたにしても、放置されているのは不自然だ。
一体何が起こったのか。
怪訝に思いながら辺りを見回していると、唐突に声が聞こえてきた。
「目覚めましたか」
振り向くとそこには、銀髪の若い女が立っていた。
どこかの民族衣装のような白い服を着ている。
調和された独特の雰囲気を纏う麗人だ。
その女は、少し先に佇んでいた。
先ほどまではいなかったはずである。
接近してきたのなら、まず察知できたろう。
どうやら彼女は、唐突に出現したらしい。
その事実に気付きながらも、私は臆せず問いかける。
「君は誰かね」
「わたしは神です」
「ふむ、神か」
私は素直に頷く。
自然と受け入れられる答えだった。
一方、神を名乗る女は不思議そうな顔をする。
「意外ですね。驚かれないのですか」
「ここは超常的な空間だ。あまりにも現実から乖離している。神の住まいと考えれば納得もできる」
ついでに言うなら、女自身の佇まいも判断基準となった。
まるで人間味が感じられない。
この場の異常性を象徴しているかのようだった。
そもそも、私を攫うことは至難の業である。
何かあれば事前に察知できる。
今回のように知らない場所で目覚めるなど、普通ならば絶対にありえない。
神隠しに遭ったのだと考える方が、よほど合点がいくのだ。
連れて来られた理由については分からなかった。
人を殺しすぎたせいだろうか。
その罪を今から課せられるのであれば、反論の余地はなかった。
甘んじて受け入れるしかあるまい。
あれこれと考えていると、神は淡々と私に告げる。
「突然ですが、あなたは死にました。死因は老衰です」
「そうか……」
私は告げられた事実を反芻する。
自らの生死については、薄々ながらも勘付いていた。
身体が妙に軽いのである。
霊体といった感じではなく、しっかりと生身だ。
しかし、なんとなく違和感があった。
老衰というのも納得できる。
病気を患っていたわけではない。
直前の仕事でも、致命傷を負った覚えがなかった。
死の原因は、おそらく心が弱ったせいだろう。
あれが隙となってしまったのだ。
私は、本来の寿命を大幅に超過していた。
それを執念で捻じ伏せていたのだ。
心の隙により、老衰してしまったらしい。
無念だ。
志半ばで、死を迎えてしまった。
後悔を感じるも、心は思ったより冷静だった。
己の死に安堵している自分がいた。
もう苦悩しなくていいのだという考えが過ぎる。
その甘さに自己嫌悪を覚える間に、神は話を進めていく。
「本来は魂を洗浄して輪廻させるところですが、今回は話があってここに来ていただきました。あなたに依頼があります」
「私に依頼? 殺しか」
尋ねながらも、半ば以上は確信していた。
他ならぬ私に頼むのだから、察しくらいは付く。
それしか考えられなかった。
案の定、神は首肯する。
「ええ。わたしの管轄する世界の一つに行ってもらい、そこで魔王を殺していただきたいのです」
「魔王? それは何者だ」
聞き慣れない単語に、私は眉間に皺を寄せた。
こちらの質問を受けた神は、懇切丁寧に説明をする。
魔王とは、地球とは異なる世界にいる怪物らしい。
世界の欠陥によって誕生し、創造に反逆する存在だという。
不定期に起こる現象の一つとのことで、機械の不具合に近いものだそうだ。
魔王は強大な力を有し、魔族と呼ばれる配下を使役している。
私が向かう世界では、そのような存在が世界各地に降臨するらしい。
複数の個体が現在進行形で暗躍していたり、密かに復活を遂げようとしているとのことだ。
邪悪な魔王達は、いずれ世界を滅ぼす。
彼らを殺して世界の滅びを食い止めるのが、神から依頼された役目であった。
神の推算によると、このままだと五年後に世界が滅亡するらしい。
なかなかに深刻な事態だった。
「管理者であるわたしは、世界への過干渉ができません。原則的に傍観のみと決まっており、その行く末を見守る役目を担っています。したがって魔王の直接的な排除は不可能です」
「そうか」
私にはよく分からない。
ただ、神が言うのだからそうなのだろう。
詳しい事情を聞いたところで、理解できないのは目に見えていた。
神には神の決まりがあるということだ。
「例外的な干渉方法の一つが、他世界の人間を送り込むことです。これについては過干渉に分類されません」
「つまり今回の私のような事例か」
「はい、その通りです」
女神は首肯する。
私はその例外的な措置に利用されることになったらしい。
それに対する抵抗感や怒りはなかった。
利用されることには慣れている。
今更、何も思うまい。
「現在、その世界で勇者召喚の魔術が行使されています。あなたをこの術に乗じて送り出す予定です」
「つまり私は、勇者とやらになるのか」
「そういうことですね」
神は当然の如く頷いた。
そこまでの話を理解した私は自嘲する。
(暗殺者だった私が、まさか勇者を名乗ろうとは……)
なんとも皮肉な出来事であった。
日陰の道を歩んできた人生を思えば、目が眩むほど華々しい。
嫌悪感はないものの、なんとなく据わりの悪さを覚えてしまう。
こちらの内心を知ってか知らずか、神は私に問いかける。
「ご不満ですか」
「そんなことはない。ただ、私が選ばれた理由は聞いておきたい。勇者に相応しい者など、他にいくらでもいるだろう」
古今東西、様々な英雄が怪物殺しの偉業を成し遂げている。
死者を蘇らせて異世界に送り込むのなら、そういった者達を選んだ方がいい。
わざわざ薄汚い暗殺者の老人を選ぶ道理が理解できなかった。
神がその気になって調べれば、もっと適任者がいるはずだろう。
私の疑問を受けた神は、なぜか嘆息を洩らした。
少し残念そうな眼差しを向けてくる。
彼女は諭すように語る。
「リ・ウェイロン。あなたは現代における最強の拳法使いです。生憎と時代には恵まれませんでしたが、その強さは紛れもなく人類最高峰です。そんなあなただからこそ、例外的な措置で勇者になっていただきたいと考えました」
「…………」
私は沈黙する。
神に認められるとは光栄なことだ。
またとない機会である。
武の極致を追求した甲斐があったというものだった。
「言い忘れていましたが、異世界にはあなたの求める闘争があります」
「――何?」
私は神の言葉に反応する。
聞き捨てならない話であった。
穏やかだった心に、衝動の種が燻る。
「地球ほど文明が発展しておらず、銃もない世界です。剣や弓といった武器が主流と言えば、概ね伝わりますでしょうか」
「なるほどな……」
私は神の話を瞬時に理解した。
地球とは異なる世界は、戦い方も現代的ではないらしい。
正直、細かなことはどうでもよかった。
これから向かう世界には、武を極めし者達がいる。
私を凌駕する達人がいる可能性もあった。
神はそう言っているのだ。
胸中の諦念が瓦解し、その奥から闘志が溢れてくる。
長らく感じていなかったものだ。
大いなる期待が膨れ上がってくる。
それを止める術を私は持たない。
「わたしは管轄世界の問題が解決できて、あなたは生涯の悲願が叶う。互いにとって良い条件だと思いますが、どうでしょう。引き受けていただけますか」
「ああ、やらせてもらう。私に任せてほしい」
私は縋るように即答した。
これだけの話を聞いた以上、断るはずがない。
向こうから誘われていなかったとしても、私は異世界へ行けるように懇願していただろう。
それほどまでに魅力的な案件であった。
神は私の答えを受けて微笑む。
「ありがとうございます。ではさっそくですが、あなたには勇者としての能力を授けましょう」
「能力?」
「はい。魔王は規格外の存在です。常人では太刀打ちできません。対抗するには、それに見合った能力が必要となります」
そう言って神は、能力の例を提示していった。
万物を斬る剣の生成。
様々な術の適性。
超怪力。
無限の魔力。
そういった異能を餞別として与えてくれるらしい。
ただし、貰える能力は一つだという。
過剰に能力を渡すと、それが原因で新たに世界が乱れる恐れがあるらしい。
神が胃痛を堪えるように説明する様を見て、私はなんとなく想像が付いた。
与えた能力が原因で、問題が発生したことがあったのだろう。
同じ過ちを犯さないようにしているようだ。
何はともあれ、私は選択しなければいけないらしい。
魔王を倒すための武器を、自分で考える必要があった。
「あなたの望む能力を授けます。遠慮なくおっしゃってください」
「……ふむ」
私は腕組みをして思案する。
果たして己が求める異能とは何なのか。
殺害対象である魔王に対抗し得る力となると、生半可なものでは歯が立たない。
具体的にどういった存在かは知らないが、神が規格外と評するほどだ。
相応の実力者なのだと思われる。
(小難しいことを考えるのは苦手だ)
私は頭を悩ませながら唸る。
老いてからは、余計に考えるのが苦手になった気がする。
困ったものである。
思考を停止させた方が、精神的に楽だからだろう。
しかし、苦手でも悩まなくてはいけない。
今後に大きく関わることだ。
他ならぬ神の提案である以上、真面目に答えるべきである。
(尖った能力は強いが、使える状況が限られる。やはり汎用性を重視しなくては……)
私は何度も思考を巡らせる。
魔王との戦いを想定して、様々な候補を挙げては却下する。
ただひたすらにその繰り返しだった。
どれだけの時間を思考に費やしたのだろうか。
それが分からなくなってきた頃、私はようやく一つの結論に辿り着く。
悩み果てた末、結局はその能力しかありえなかった。
脳内で結論を下した私は、神に向けて要望を伝える。
「若さだ」
「……はい、何でしょう?」
神は笑顔のまま応じる。
若干ながら困惑している様子だった。
上手く意味が伝わらなかったらしい。
だから私は、繰り返し述べる。
「――若さをくれ。それだけでいい」
「本当に、よろしいのですか」
「問題ない。十分だ」
私の最たる敵とは、すなわち老いだ。
どれだけ肉体を鍛え上げても、全盛期から衰えていく。
戦うたびにそれを痛感してきた。
長年の苦痛の原因でもあった。
それを解消できるのだとしたら、これほど嬉しいことはあるまい。
万金以上の価値がある。
無論、私欲から若さを望んだわけではない。
私には鍛え上げた武術がある。
虚無の人生で習得した唯一の武器だ。
老いた身では錆び付く一方だが、若さがあれば話は異なる。
この拳は、災厄である魔王にすら通用するだろう。
私はある種の確信を抱いていた。
「分かりました。では授けましょう」
神は私の願いを承諾すると、静かに両手を掲げた。
そこに光が生じる。
光は流れるようにしてこぼれると、頭上から私へ降り注いできた。
温かい力が浸透してくる。
同時に全身の変容を知覚した。
絶えず軋みながら、肉体の形が歪んでいく。
痛みに近い感覚もあったが、目を閉じてそれらを受け入れる。
やがて光は消えた。
間を置かず、神の声が聞こえてくる。
「あなたの肉体は全盛期まで遡りました。決して老いることはありません」
「…………」
私はそっと目を開けると、己の身体を見下ろす。
そこには、筋肉で盛り上がった体躯があった。
張りのある肌で、健康的な血色をしている。
視界も明瞭だった。
目線も高くなっており、背筋がよく伸ばせる。
力が底無しに漲ってくるようだった。
次に私は頭に手を伸ばす。
引き抜いた髪の毛は、艶やかな黒色だった。
顔を撫でるも、皺など一つもない。
鏡を確かめずとも分かる。
どうやら私は、本当に若返ったようだ。
「……素晴らしい。神よ、礼を言う」
「喜んでいただけて良かったです」
神に感謝を述べていると、足元が発光し始めた。
円形の奇妙な紋様が浮かび上がる。
「召喚術があなたを呼び寄せ始めたようですね。そろそろ時間のようです」
神は私の前まで来ると、胸に手を当ててきた。
ほんの一瞬、視界にずれが走る。
「何をした」
「肉体の再構成です。異世界でも言葉が通じるように調整しました」
神は朗々と答える。
今から向かうのは異世界だ。
既知の言語が通じないため、神が気を利かせてくれたらしい。
彼女は温かな笑みを以て私に語りかける。
「魔王殺害を依頼しましたが、それ以外に関しては自由になさってください。わたしから文句を言うことはありません」
「すまないな。感謝する」
私は頭を下げる。
これほどの恩を受けたのだ。
必ず報いなければ。
すなわち彼女からの依頼――魔王殺しを完遂するのである。
決意する間にも、足元の光がだんだんと強まっていく。
吸い込まれるような感覚も生じていた。
顔を上げた私は、神と目が合う。
彼女は、もう一度だけ微笑んだ。
「それでは、第二の人生をお楽しみください」
別れの言葉を告げることなく、私の視界は暗転した。
◆
「せ、成功しましたっ! 勇者です!」
歓喜を滲ませる声がした。
それに伴うざわめきも聞こえてくる。
私はゆっくりと目を開く。
そこは赤い絨毯の敷かれた室内だった。
その中央に私は立っている。
足元で円形の紋様が発光しているが、すぐに色を失って消える。
神と対峙した部屋で見たものと同じだ。
今の紋様が召喚術とやらであり、私をここへ転送したのだろう。
考察する一方、無数の視線が私に集まっていた。
部屋の両脇には西洋鎧を着た兵士が並んでいる。
遠巻きに眺める者を挙げると、気取った貴族服の男や紫色のローブに身を包んだ者などがいた。
いずれも中世を彷彿とさせる風貌の者達である。
最奥の玉座には、頭に王冠を載せた老人が座っていた。
紅のマントを羽織っており、威厳の感じられる雰囲気だ。
その居住まいからして分かる。
老人は国王――或いはそれに類する地位なのだろう。
隣には、豪華なドレスを着た后らしき女もいた。
こちらを興味深そうに見ているのは王子だろうか。
親子らしき三人の王族は、私を見下ろす位置にある。
(ふむ。ここが異世界か)
観察を済ませた私は、状況を把握する。
どうやら無事にやって来れたらしい。
特に肉体の不調等もなかった。
国王は座ったまま私に声をかける。
「異界の勇者よ。そなたの名を聞かせてほしい」
「リ・ウェイロン」
私は向き直って名乗る。
別に隠すようなことでもあるまい。
国王は顎を撫でてつつ思案していた。
冷徹な眼差しは、私をつぶさに観察している。
「随分と落ち着いているな。ウェイロン、そなたは状況を理解しているようだ」
「魔王を殺すために呼ばれたと解釈しているが、違うかね」
私は国王に問う。
すると、居並ぶ兵士の一人が激昂した。
「貴様! 陛下に対して何たる言葉遣いだッ!」
「良い。儂が許す」
国王はその兵士を制する。
私の言動が無礼にあたったようだ。
一国の長である人間に対し、敬意を払っていないのだから当然だろう。
私は特に悪びれることもなく弁明する。
「何分、学のない田舎者でな。寛容に見てもらえるとありがたい」
「気にするな。そなたを勝手に召喚したのは我々だ」
国王は私の言葉を受け入れる。
気を悪くしたかと思いきや、意外と度量がある。
ただし、待機する兵士や貴族は、私に敵意を含む視線を向けていた。
見下されているのは明白だ。
そのような空気の中、国王は話を進めていく。
「確認だが、そなたは勇者として魔王討伐を為してくれるのか」
「無論だ。そのために来た」
他ならぬ神からの頼まれ事である。
彼女は私に若さを与えた。
その恩に報いるのだ。
義理は果たさねばならない。
私の答えを聞いた国王は微笑する。
満足そうな雰囲気であった。
彼は少し前のめりになって私に頼む。
「協力感謝する。さっそくだが、勇者の能力を見せてくれぬか」
「そのような力は持っていない」
「何……?」
国王が怪訝な様子になる。
私の返しが予想外だったらしい。
他の者達も困惑していた。
空気の変容を感じつつも、私は気にせず話し続ける。
「嘘ではない。若さこそが我が祝福である」
一度目の死を迎えるまで、私は摩耗する一方の老人だった。
そこから能力によって若返った。
間違いなく全盛期の肉体だ。
この上ない幸運であり、まさしく神の祝福と言えよう。
「魔力が一切感じられません。正真正銘、ただの一般人です……」
私を注視していたローブ姿の男が呟く。
会話の間に何かを調べていたらしい。
それを聞いた国王の目に浮かぶのは、多大なる失望であった。
他の者達も同様だ。
彼らの様子を鑑みて、私は状況を察する。
どうやら召喚した勇者に特殊な能力を期待していたようだ。
それを持たない私は、期待外れだったのである。
(歓迎されていないな)
これだけ露骨に落胆されれば嫌でも分かる。
長居したところで、互いに良いことはないだろう。
そう考えた私は踵を返すと、出入り口の扉へと向かった。
ところが、兵士の一人が進路に立ちはだかる。
「待て。どこへ行く」
「魔王を殺す。すぐにでも屠るべきだろう」
神によれば、魔王は幾体も存在する。
各地に潜伏しているらしく、どのような災厄をもたらすか分からない。
時間がかかることを考えると、さっそく動くべきだろう。
無言で兵士と睨み合っていると、国王が冷たい声音で私に命じる。
「勇者よ。そなたには王国軍の指揮下で動いてもらう。勝手な真似は許さん」
「断る。そちらの流儀に合わせる気はない」
私は即答する。
軍属には嫌な思い出があるので、単身で行動したい。
我ながら組織に向かない性格なのだ。
そもそも魔王を倒すのに集団行動など必要ない。
国に縛られて動くのは、明らかに非効率的だろう。
私の答えを聞いて、国王の瞳の冷たさが増した。
彼は念押しするように問いかけてくる。
「……従うつもりはないのだな?」
「忠誠は誓えないが、勇者の責務は果たす。魔王は私が殺すつもりだ」
神からの依頼は無視できない。
魔王討伐は若返りの礼であった。
しかし、この国に対する興味はない。
あくまで最初に降り立った場所といった程度の認識だ。
彼らに従う義理など存在しなかった。
国王は頬杖をつくと、小さく嘆息する。
「そうか。穏便に事を運びたかったが、仕方ない」
国王が手を振って合図を送る。
それを受けて、指揮官らしき兵士が反応して叫んだ。
微動だにしなかった兵士達が一斉に動き出すと、あっという間に私を包囲する。
彼らは槍の穂先を向けてきた。
「ふむ……」
私はその様を傍観する。
不用意に動けば、すぐに刺してきそうだった。
事実、兵士達は命令次第で実行するだろう。
彼らの動きには、それなりの練度が窺えた。
剣呑な雰囲気が漂う中、国王が立ち上がって宣言する。
「リ・ウェイロン。今からそなたを隷属魔術で縛る。能力を持たぬ勇者など重宝に値しない」
「私を捨て駒にする気か」
「これも国のためなのだ。王国に属する勇者が、魔王を倒すことに意味がある」
私はその答えを聞いて、彼の魂胆を理解する。
国王は、政治的な側面を視野に入れているのだ。
手持ちの戦力で魔王討伐を果たすことで、自国の強さを広めたがっている。
そうして他国との外交や力関係に作用させるのだろう。
目立つ功績は、それだけで国内の支持力にも繋がる。
国王は、世界を救うために魔王を倒したいのではなかった。
(下らない。異世界でも政治的な事情か)
私はため息を洩らす。
それが必要であるのは分かるが、巻き込まれたくない。
召喚前の世界でも、私と専属契約を結ぼうとする者達がいた。
しかも断れば命を狙ってくるのだ。
そういった勢力を、私は何百と壊滅させてきた。
たとえ世界が変わろうと、こういった部分は同じらしい。
私は深呼吸をする。
四方八方を囲う槍には構わず、国王に忠告をした。
「あまり刺激しないでほしい。抑え切れなくなる」
「――何?」
「疼くのだ。この身体の滾りを発散したくて堪らない」
私は己の内に意識を集束させる。
そこには一つの衝動が渦巻いていた。
飽和しつつある力を、思う存分に発散したいという衝動だ。
肉体が若返った反動だろうか。
ここ数十年はなかったような感覚である。
いつになく攻撃的になりそうで、理性で留めるのも辛いほどだった。
一方で指揮官の兵士は、鼻を鳴らして私を嘲笑する。
「ハッ、この人数を相手に戦おうというのか! 能力どころか、武器すら持っていない若造がっ!」
「武器など必要ない。我が身だけで十分だ」
私は淡々と断言する。
決して強がりではない。
経験と自信に基づいた事実であった。
鍛え上げた武術の前では、数の不利など関係ない。
素手だろうと最良の力を発揮できる。
私は周りの兵士を見回すと、彼らに忠告をする。
「死にたくなければ今すぐ逃げろ」
ところが兵士は誰も従わない。
互いに目配せをするばかりで、槍を下ろそうとしなかった。
兵士として命令を全うするつもりらしい。
何より数の優位からなる勝利を信じ切っているのだろう。
やがて指揮官らしき男は号令を発する。
「戯れ言に構うな。捕縛しろ」
その言葉に反応した兵士達は、こちらに向けて踏み出そうとする。
止まる気配はない。
残念ながら戦闘は避けられなさそうだった。
それを悟った私は、方針を切り替える。
すなわち、暴力に頼る突破である。
「仕方ない――」
まずは殺気を僅かに放出する。
次に両拳を軽く閉じて、腰を落として身構えた。
たったそれだけで、兵士達は硬直する。
「な、ぁっ!?」
「動け、ないだと……っ!」
「畜生! ど、どうなってやがる!?」
兵士達はひどく混乱している。
槍を取り落とす者も多発していた。
誰一人として、私に近付くことができない。
彼らは私の殺気を浴びて、本能的に恐怖してしまったのだ。
だから筋肉が強張って動けなくなっている。
抵抗できた者はいないようだった。
私は震える兵士の間を歩いて抜ける。
真っ直ぐに指揮官を目指した。
「どうした!? 何をしているッ! 早くあの男を殺せェ!」
指揮官は焦りながら怒声を繰り返す。
動けない兵士達に命令を繰り返すも、当然ながらそれに従える者はいなかった。
彼らは異常事態を前に慌てふためくばかりである。
唯一、指揮官には殺気を浴びせていない。
そのように調整していた。
だから彼は動けるはずだが、一向に近付いてこなかった。
ただひたすらに罵倒混じりの命令を叫んでいる。
私は指揮官の前で足を止めた。
微かな苛立ちを自覚しながらも、冷淡に告げる。
「口ばかりではなく、自らの手で戦う気概を見せろ」
「異界の野蛮人が……ッ!」
激昂した指揮官が剣を掲げた。
その動きは、あまりにも隙だらけだった。
繰り出された斬撃も遅い。
私は片脚を半歩分だけ前に進める。
爪先を中心にして、床に小さな亀裂が走った。
重心を移すほどに沈み込んでいく。
前に出した足を起点に、私は左拳による突きを打ち放った。
拳は軌道上の剣を粉砕し、そのままの勢いで指揮官の胴体を捉える。
――次の瞬間、指揮官の上半身が木端微塵に爆散した。