第10話 拳法使いは魔王に期待する
飛行する豚が咆哮を轟かせる。
鼓膜が破れそうな声量だ。
さらに開かれた豚の口から、紫色の粘液が飛散する。
それを見た私とリアはすぐさま後退した。
遅れて粘液が地面に付着し、地面を溶かしながら異臭を放つ。
豚が体内で分泌した毒だろう。
それを見たリアは、険しい顔で説明する。
「あれが魔王だ。自らの毒に侵されて知性を失っている……無差別に毒を振り撒く災厄だ」
「なるほどな」
やはり標的の魔王だったらしい。
結界内の生物は眼前の豚しかいないため、この領域に踏み込んだ段階で確信していた。
向こうから来てくれるとは好都合である。
魔王はこちらを獲物と認識したのか、自由落下に近い速度で突進してきた。
勢いと体重から察するに、相当な破壊力だろう。
私ならば受け流せるが、至近距離で毒を受ける恐れがある。
何よりリアに被害が出てしまう可能性があった。
私達は飛び退いて、落下地点から離れる。
間もなく魔王が地面に衝突した。
地鳴りを起こした魔王は、毒を撒き散らしながら顔を上げる。
そして再び咆哮を響かせた。
(猛獣そのものだな)
知性を失っているという情報は間違っていないらしい。
破壊力は申し分ないが、動きは単調だった。
隣では、リアが全身に魔術の鎧を装着していた。
魔王に対する防御策だろう。
さらに彼女は、構えた剣から雷撃を射出する。
雷撃は魔王に命中した。
弾けるような音が鳴るも、体表を少し焦がしただけだった。
大した損傷ではないのは明らかである。
リアは舌打ちしながら剣を下ろす。
「魔術が体表で分解された……! このままでは効かないようだ」
「ふむ、そうか」
魔王の能力を聞いて、私は方針を固める。
遠距離からの魔術が効かないのなら、他に手段は一つしかない。
すなわち武術による近距離攻撃だ。
どれだけ魔術を無効化されようと、私にとっては関係なかった。
私は地面を蹴り、起き上がろうとする魔王に接近する。
素早く反応した魔王は、毒を飛ばしてきた。
触れれば肉と骨を溶かされるだろう。
毒の軌道を見切った私は、加速しながら回避する。
そのまま魔王を拳の間合いに収めると、踏み込みを経て突きを放った。
力を集束させた拳、魔王の顔面に命中する。
ゴム質の体表に陥没し、次の瞬間にはその巨躯を爆散させた。
飛び散る毒液を躱しながら、私は後退する。
そうして魔王の状態を確かめた。
魔王の残骸は遥か後方へと吹き飛び、地面を転がった末に停止した。
腐った臓腑が散らばっている。
もはや原形を失っており、死んでいるのは明らかだった。
(魔王もこの程度か……)
拍子抜けした私だったが、ふと魔王の死骸を注視する。
肉片が蠢き、徐々に結合し始めていた。
互いに癒着して、元の形に戻ろうとしている。
「魔王は再生能力を有している。あのように致命傷だろうと回復できるのだ……」
「なるほど。これは少し骨が折れそうだ」
リアの解説に応じながらも、私は喜びを覚えていた。
一撃で死なない怪物とは、倒し甲斐がある。
このような経験は、本当に久々のことだった。
失望から一転して期待が沸き上がってくる。
魔王が相手ならば、私の力も存分に発揮できそうだ。