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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

トランペットと少女の休日

作者: 庭 こま子



 -0-


 青年は牢獄を後にした。地下牢は闇に支配されている。嘆き、恨み、悲しみは、全て漆黒の彼方へと消えた。


 ――まぶしい


 手で光線を遮断する。兵士に挟まれて、青年はゆっくり歩き出した。

(あの人の目……。覚悟を決めていた)

 囚人となった透き通った空色の双眸の若い男を思い出し、青年は眉間にシワを寄せた。


 

 囚人は青年の部下だった。国に反逆する王族の館に諜報員として忍ばせていたが、些細なミスが落とし穴となった。内部の敵は、我々を出し抜き、罪を囚人になすりつけたのだ。

 我々の仕事は極秘。決して、表に出てはいけない。ゆえに権力に守られることはない。組織は、絶対的忠誠心と使命感による犠牲によって支えられていた。


 青年は牢屋の中の事を思い出していた。

 囚人は言った。「貴方のために死ねるのなら本望です。思い残すことはありません」

 はにかんだ笑みは、まるで普通に冗談を言っているようだった。それがまた、切なく愛おしかった。この男に、俺は、屈辱を背負わせてしまったのだ。

「諦めるな。必ず、必ず、助け出してやる」

 と言ってから、青年は囚人の手を両手で強く握っていることに気がついた。

 叶うはずのない希望の言葉に、青年はギリギリと激しい歯ぎしりをする。


 囚人は目蓋を閉じて、優しく握りかえした。

「ここまで来て下さっただけで十分です。牢屋に入る理由を作るのに骨が折れたでしょう」

 あくまで気遣う態度を崩さない相手に、胸が苦しくなった。

「俺はお前を失いたくない」

「……それだけで十分です」

 青年は囚人を引き寄せて、肩の骨の砕けそうなほど激しく抱きしめた。耳元で囚人が囁く。


「さようなら。私の愛しいアレク」


 それは死を覚悟した言葉だった。




 -1-





 目を深く瞑って、息を吸い込む。

 高々と吹け。優雅に、堂々と、地に足をつけて、荘厳に。ここは楽園だ。色鮮やかな花々が永遠の咲き誇り、人も動物も争うことなく平和に過ごしている。微笑みが溢れる、儚い夢の深淵……。


「スターーップッ」

 と指揮者は苛立った様子で旋律を止めた。ダンッと靴音を鳴らして、トランペットの集団を指揮棒で指した。

「ララ・ブロウズ軍楽二等兵!」

「はっ」

 名前を呼ばれた少女はは反射で素早く立ち上がり、敬礼した。暁色の髪をした少女、ララ・ブロウズは16才になったばかりの新人だった。彼女は指揮者である第五師団近衛軍楽中尉の鋭い眼光に、サーと青ざめていく。

 指揮者は深々とため息を漏らし、唇の両端を下に曲げて蔑むように笑った。

「君の演奏は、美しい旋律の中で生意気な少年が暴れ回っているようだ」

 怜悧な言葉に冷たい震えを感じた。ララは顔を強ばらせて、額に汗をかく。



「また始まったよ」

 不満そうな兵士の一人が肩をすくめ、小声で呟いた。

「あの人、新人いびり大好きですからね。まぁ、中尉の言うことも分からないでもないですけど」

 とホルン担当の兵士が同意しつつ、二人は中尉に目を向けた。



 中尉は言葉を続ける。

「女性である君が母性の愛すら表現できないとは何事だ」


 ララは天が地上に落ちた気がした。


「早く結婚して子供を作った方がよろしい。練習するよりよほど豊かな音楽になる」

 中尉が指揮棒で腰を下ろすよう指示を出した。

 がんばっている事を全否定されて、ララはガクリと両肩を落とした。同じトランペットの先輩が無言で優しくを肩を叩く。顔を上げて先輩を見ると、彼は口をパクパク動かしていた。「気にしなさんな」と明るい笑みを浮かべている。

 ララは苦笑いを浮かべて、トランペットを構える。しかし、内心は悔しかった。慰められたことさえ、惨めに感じ、鬱々した気持ちのまま練習は終わった。


 * * *


(あんのくそじじぃ)

 夜道をスクーターで走りながら、ヘルメットの中でララははき出せるだけの悪態をついた。

 深緑色の制服から、私服のジーンズにジャケットを着たララは自宅へと急ぐ。いますぐトランペットが吹きたい。邪魔されず、思いっきり。

 明日は休日だ。徹夜で死ぬほど練習して、あの嫌みな指揮者をあっと言わせてやる。と、ララは胸に熱い炎を燃やしていた。


 ララは仕事場に実家から通っている。たまに兵舎に泊まることもあるが、軍楽隊は他の隊と違って、規則正しい生活が多かった。また、ブロウズ家は代々軍人の家系なためか、王都軍事基地から比較的近い場所にあることも幸いしている。

 ブロウズ家は母以外の親兄弟は皆、軍に所属し、各地に点在している。父も今は長期の出張に出て、母も父についていったため、実家に住んでいるのはララ一人だけだった。つまり、一軒家で気楽な一人暮らしというわけだ。


(絶対見返してやるかんな。見てろよ)

 スクーターを止めて、ヘルメットを横に抱える。荷物を持って、乱暴に玄関に上ると、二階の防音室へと走った。防音室はララが幼少期に、父が奮発して作ってくれたものだった。

 ケースからトランペットを取り出し、背筋をピンッと伸ばした。甲高い音を室内に響かせる。

 しかし、ララは数分で、練習を止めた。

(違う。求めてるのはこんなんじゃない)

 元気が良すぎて、曲の雰囲気にそぐわない。ララは苛立ちって髪をグシャグシャにかき乱す。気分を変えるため、一階のリビングに下りた。

 インスタントのコーヒーに、たっぷりのミルクと砂糖を混ぜる。一息ついて、ソファに体を沈めた。

 さっきまでのやる気はどこにいったのだろう。トランペットを吹き始めたとたん、自分が目指す音楽が分からなくなった。

 吹けば吹くほど遠ざかり、出口が見えなくなる。


 ララは手のひらを広げて、指の間から天井を見上げた。

「鎮魂かー…」

 中尉に絞られた曲は、死者を鎮めるために作られたものだ。天国や母の愛や神への祈りが込められている。

 ララは想像した。身近な人の死を。だが、体験していないものを理解するのは難しい。

「あああ! もう! これじゃあダメなのに~~っ」


 その時、インターホンが耳に入った。突然の訪問者にララは動きを止めて、眉を寄せる。こんな夜更けに誰が? 困惑しつつも受話器を取った。

「どちら様でしょうか」

 事務的な声で答えると、陽気な男の声がした。

「久しぶり。お兄ちゃんだよ。ララ」

 聞き覚えのある声にララは驚き、懐かしさに胸が騒ぎ出した。軍人である兄とは五年ぶりの再会である。

 玄関を開けると、紺色の軍服姿の兄が千鳥足で近づいてきた。

「ただいま」

 14才も年上の兄は、幼い赤み帯びた笑みを浮かべ、ララに正面からのし掛かってくる。

「ちょっと、酒くさっ。重いし。自分で歩きなさーい!」

 酩酊した兄を何とか引っ張り居間のソファに寝転がせると、台所からコップ1杯の水を持ってきた。

「ほら、お水」

 とララは差し出す。

「気が利くな。ララ・ブロウズ軍楽二等兵」

 兄は声だけは真剣で、顔は笑っていた。ララもニヤリと口端を上げた。

「酒もほどほどになさらないと体をこわしますよ。アレク・ブロウズ少佐」

「無礼な口のききようだな」

 兄は大袈裟に溜息をつき、肩にある階級章を指さす。

「アレク・ブロウズ”大佐”だ。二等兵」

 ララは目玉が落ちてしまったかのような驚きの声を上げた。

「いつのまに昇進したの。凄いじゃん」

「はっはっは」

 優秀な兄は、ララと違ってエリートコースまっしぐらだ。忙しいため、滅多に実家には顔出さない。それでも、たまに電話やメールのやりとりはしていて、久しぶりに会ったという感じはしなかった。

「どうしてこっちに?」

 ララは疑問を口にした。

「近くで飲んでてな。帰るのも面倒だったから。……迷惑だったか」

 ララは兄の言葉にコクリと頷き、肯定した。すると、彼は壺に入ったらしく、いつまでも笑っていた。その後、くだらない冗談を自分で言って、自分でうけていた。元気過ぎて、怖いくらいだった。




 穏やかな寝息をたてる兄に、そっと毛布を掛ける。

 夜明けまでには、まだたっぷりと時間が残されていた。ララは兄の寝顔を眺めながら、練習を再開しようか、と考えていた。

 落ち込んでいた気持ちは消えて、良い意味で空っぽな感じ。

 ララは、パンッと頬を叩いて気合いを入れた。


「       」

 という兄の寝言に、ララは慌てて振り向いた。


(良かった。大丈夫そう)

 そっと立ち去って廊下に出ると、ふと、玄関の方に何か落ちているのが見えた。側に寄って拾う。それは楕円形の十字架の彫り物がしてあるシンプルなペンダントだった。


 兄のものだろう。途中で落として気がつかなかったらしい。ララはペンダントの厚さが気になった。これっていわゆるロケットペンダントってやつでは。

 つい、野次馬根性を剥き出しで、触っていると、カチッとペンダントは開いてしまった。中は思った通り、写真が入っていた。

(綺麗な人……)

 中性的な容姿の美しい人にララは見惚れる。この人が兄の思い人なのだろうか。

 父がいつもでも結婚しない兄を嘆いていたが、どうやら心配はいらないらしい。ララは慎重にペンダントを元の形に戻すと、ニヤニヤしながら、ポケットにしまった。



 防音室でララはトランペットを構えた。

 楽譜通りに鎮魂曲を何度も繰り返す。納得がいく演奏が出来るまで続けるつもりだ。今できることをしないと、負けた気がして嫌だったから。

「上手いじゃないか」

 突然、眠っていたはず兄の声がしてビクリと肩を震わせた。

「さすが軍楽隊。見直したぜ」

 壁に立てかけてあったパイプ椅子を広げて、兄は座った。楽しそうに、ララを見つめて、「アンコール」と口笛を鳴らした。

「ビックリした。いつからいたの」

「15分前くらいから。相変わらずの集中力だな。けど、それじゃあ敵に寝首をかかれるぞ」

 ララは溜息をついて、適当に相づちを打った。

「でも、随分元気な鎮魂曲だな。それじゃあ、死者は沈むどころか、踊り出しそう」

 兄の素直な言葉は、ララの胸を刺した。素人に見抜かれるということは、余程悪いらしい。ララはショックなあまり、立ち眩みがした。


「……あのねぇ、練習の邪魔するなら出て行ってくれる?」


 口をへの字にして、睨み付けると、兄はやれやれと肩をすくめた。

「図星を突かれて、平静でいられないようじゃ、軍情報機関員になれないぜ」

「そんなもんなる予定もないわっ」

「いやいや、人ってのは思いも寄らない運命が待っていたりするもんでなぁ」


 全てを悟ったような口調は鼻につく。腹を立てたララは、ポケットの中のペンダントのことを思い出した。

「そういえば、落とし物だよ」

 ララはニヤリと口端を上げて、兄に渡した。

「綺麗な人ね。恋人?」

 というと、兄は表情を無くし、じっとそれを眺める。顔色も変えず、ペンダントを仕舞う姿は、普通なのに、何故か痛々しかった。

「ありがとう。どこにあった」

「えっと……玄関」

 冷静な返答に調子が狂う。もっと慌てるかと思ったが、余裕な様子に、ララは肩すかしを食らわされていた。


「そういや、お前は物心つく前におじいちゃんもおばあちゃんもいなかったもんなぁ。死を身近で見たことないんだよな」

 と兄は言った。「まっ、俺は元気な曲の方が好きだけど」

「お兄ちゃんはあるの?」

 死者と接したことがあるのか、と視線で伝える。彼は軽い様子で頷いた。

「軍にいると、必然的に多くなる。お前もそのうち経験するかもな」

「そう、なんだ」

 サラリと言うが、言葉が重い。

「殉職したら、三階級昇進は決まってる。悪いことばかりじゃないぜ」

 戸惑っているララを察してか、兄はおどけてみせた。

 昇進しても死んでたら意味がないと思ったが、それを口に出すのはやめた。平和な王都にいると忘れてしまうが、平和は多くの人の犠牲で成り立っている。鎮魂曲はそんな人に死後の安らぎを与えるためにある。

 ララは自分のことしか考えていないことを恥じた。

「だから、俺が言うのもアレだけど、軍人の恋人を持つのはオススメしない。………結構ツライからよ」

 兄は月明かりが照らす窓に視線を滑らせた。



 愁いに満ちた兄の表情にララは息をのんだ。そして、無性にトランペットが吹きたくて溜まらなくなった。

「ララ?」

 兄が首を傾げたが、ララの意識は遠い彼方へと旅立っていた。緊張した面持ちでトランペットを構える。


 ザッと静かな風が流れた気がした。金色のメロディーが空間を埋め尽くす。だんだん胸が弾んで、軽やかに指を動かし、ミューズの歌に酔いしれた。

(もっといい音で。そうっ)

 心地よい音にララは全身に鳥肌が立った。


 底知れぬ哀愁が襲い掛かる。けれど、一筋の光が道を照らしていた。

 ララは目蓋を閉じると、別人になったかのような感覚がした。想像の鏡には、先ほど見た兄のペンダントのあの人が写っている。ララはその人の一部となって、神聖な空へと続く階段を昇っていった。私の心は満たされている。



 ――後悔はない。太陽のようなアナタに捧げた人生、それが私の幸せ。



 別れと歓喜の歌が紡がれていく。

 ララはトランペットを降ろすと恍惚した表情になった。一息ついて、爽やかな笑みを浮かべる。

「気持ちよかった~。なんか、取り憑かれたみたい」

 この感覚を忘れないうちにもう一度、とララは、また構えた。

 しかし、右肩を強く掴まれ、横に引っ張られた。

「       !」

 兄は誰かの名前を呼んだ。怖い顔で、ララを凝視する。

「お兄ちゃん?」

「…………。んなことあるわけねーか」

 と、兄は落胆し、ララから離れていく。

「疲れてるみたいだし、寝るわ。お休み」

 扉が閉まって、静粛な夜が戻った。

 兄の様子は明らかにおかしかった。しかし、ララは深くは考えず、兄の言葉通りの解釈をして、すぐに忘れてしまった。



 * * *

 

 一週間後。


 ララは友人との待ち合わせに五十分おくれて、町のカフェに飛び込み、『国際諜報員処刑の事実判明』という見出し文句の新聞を広げた青年の相席に座った。


「おまたせ。待った?」

 ララは息を整えながら言った。

「国は何を考えてるんだ。関係のない下っ端に責任を押しつけただけにしか見えない。けしからん。お前もそう思うよな」

 政治の話を普段しない友人が珍しく熱弁する姿にララの表情は固まった。

「あ…。怒ってるんだね」

「いいや。コーヒー三杯分の時間で教養が身について感謝したいくらいだ」

「怒ってるじゃん!」

「怒ってない。断じて」

 友人は拳を震わせて怒鳴った。

 ララはビクリと肩を揺らして、猫撫で声をだした。

「ごめん。待たせた分のコーヒーは奢るから許して」

 とたん、友人は眉間にシワを寄せてまじまじと彼女を見つめた。


「……どうした」

「え?」

「お前が払うだと? ありえない」

「えへへ。実は中尉に『先週は聞く気にもなれなかったが、聞くに堪えないくらいにはなった。素晴らしきマイペースだ』って褒められちゃって」

「それ褒め言葉か?」

 そしてララは滅多に飲まない高い値段のコーヒーを注文したのだった。



END


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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