199、左と左
そう。
カカザンの右手が、カムイの左前脚を、握り潰したのだ。
「キキキィィィキキキキキィィィィアアアアァァァァーー!」
そのまま一瞬にして立ち上がり、腕ごと飛んでいけとばかりにカムイを放り投げた。その目には先ほどまでと違い、光が見える。
「ガウッアアッ」
いかなカムイでも空中ではなす術がない……カカザンはそう考えたのだろう。恐るべき速さで落下地点に先回りし、その頭を握り潰さんと腕を構えた。
「ガウアッ」
しかし、虚空で鋭く向きを変えたカムイ。カカザンの腕をかい潜り、その喉元に喰らいついた。
「キキキィ!」
それでもカカザンは意に介さず、その腕を振り下ろす。カムイの背骨を狙って。
力強い打撃で地面へと叩き落とされたカムイ。だが、カカザンとて無事ではない。喉元に喰らいついたカムイを無理やり引き剥がしたのだ。その喉元からは大量の血が流れ、白い毛並みを赤く染めていく。
「キキキィ……」
両腕を広げ天を仰ぐ。両脚で大地を踏み締める。喉元の血は、もう止まっていた。かなりの深手のはずだったのだが。
「ガウガァ……」
カムイの口元が歪み、凶悪な牙が剥き出しになる。その凶相とは裏腹に、やけに嬉しそうだ。
くすみ、薄汚れていたはずのカカザンの毛並みはいつの間にか、輝く純白に変わっていた。まるでカムイの毛皮のように。
『キキィギィガァァァァ!』
気合いを入れるためか、はたまた全身に充満する何かを解き放つためか。カカザンは天に向かって吼えた。
そのためだろうか、動きが止まっていたエンコウ猿達は我に返ったかのように一斉に動き出す。平地との境目、元の外縁部へと戻り、整列した。カカザンを見守るように。
「ガウガァ!」
一瞬にしてカカザンの膝横をすり抜ける。しかも、カムイの口からは魔力刃が伸びていた。
しかし、カカザンの脚からは数本の毛がぱらりと舞う程度。
「キキキィ!」
逆にカムイを蹴り飛ばそうとするが、こちらはかすりもしない。しかし、カカザンの顔も嬉しそうに見える。カムイのように牙を剥き出しにして、凶々しい笑みを浮かべている。また、その目からは確かな意志を感じる。カムイ、お前を叩き殺してやる、と。
「ガウアァ!」
まっすぐな体当たり。得意の頭突きだろうか。すり抜け様に脚を斬るわけではなく、喉元を狙っているのか?
「ギギァ!」
今度は逃さないと手を振り下ろす。その頭を叩き潰さんとばかりに。
だが、当たらない。カムイはカカザンのリーチの外で停止している。
「ギギィ!」
「ガウゴォ!」
その口から魔力刃をまっすぐカカザンに突き立てたために。
「ギィィィィィ」
先ほど噛まれたばかりの喉元。そこに突き立てられた魔力刃をカカザンが掴み……そのまま持ち上げる。カースが見ていれば「応援団の団旗かよ」と言ったことだろう。ただ、団旗と違うのは、突き立てられたそれは旗棒ではなく魔力刃であるということ。
つまり、いつでも消せるのだ。
右腕で、天まで飛んでいけとばかりに持ち上げようとしたカカザン。が、不意に重さが消えたために腕だけが上方へと空振る。つまり、右脇腹に大きな隙ができたことに他ならない。
「ガウァァ!」
そんな隙を見逃すカムイではない。魔力刃を横に伸ばしカカザンの右を斬り抜ける。ザワリと落ちるひと束の白毛。
カカザンが振り向いた時、カムイはすでに五メイルは離れていた。
「キギヤァ!」
五メイルなど一瞬で追いつくとばかりに間合いを詰めるカカザン。首からの出血などお構いなしだ。両手を左右に大きく広げ、まるでカムイを抱きしめようとしているかのようだ。
一歩退くカムイ。一瞬遅れてカカザンの掌が叩きつけられた。地面を滑るように左右へ避けるカムイ。まるでゴキブリを追うかのように両手で叩き続けるカカザン。熾烈な攻防、土煙で視界が塞がる。
それでもカカザンはお構いなしだ。その様子は必死と言うより、もはや狂乱だろうか。
『グオオオオオォォォォ!』
『ギギィイイイィィィィ!』
偶然なのか必然なのか同時に魔声を放つ。弾けるように土煙が晴れ互いの姿が見えた。
「ガウァァ!」
「キギヤァ!」
突進するカムイ。迎え討つカカザン、首狙いを察して防御を固める。左腕を噛ませて動きを止めようとしているようだ、が……その寸前。カムイが突如縦に回転する。恐るべき速さで。
カカザンの左腕が音もなく落ちた。




