最悪の出会い
屋敷に入ると、一本の奥行きのある廊下が続いていた。廊下は蝋燭だけで照らされており、不気味な雰囲気を出している。
廊下の所々に扉が設置されており、薄暗い屋敷の中でアリスが確認しただけでも六つの扉が見え、もっと奥に進めば、より多くの扉が存在すると容易に想像できた。
「この奥に帽子屋がいるのかしら……?」
アリスは不安げに告げる。
アリスが不安になるのには理由がある。帽子屋の屋敷――それは外見だけであった。
実際に中に入ってみると、アリスが見たことがない光景が広がる。それは、物語が変わった影響だと考えられる。
物語が変わる前の屋敷は手入れもされており、外見も今みたいに酷いものではなかった。
当然、屋敷の中もそうだ。明かりが灯っていない気味が悪いものではなく、多くの明かりが灯っており、少なくとも不気味だと感じることはなかった。
「多分、いるんじゃないかな? 流石に物語が変わったからって、持ち場を離れるとは思わないけど……」
「でも、進むしかないよね。いるとしたら、この奥しかないか……こっちの扉は開かない。他の扉も一緒だろうし」
アリスは自分から一番近い扉に手をかける。しかし、先程みたいに勝手に開いてくれない。
試しに引いたり押したりしてもビクともしない。入り口でのレヴィと同じなら、力の劣るアリスに開ける通りはない。何をしても無意味だ。
「そうだね。アリスに反応しないとなると、その扉は物語に関係ないのかもしれない。片っ端からっていうのもあるけど、それは面倒くさい。重要な場所は最深部にあることが多い。だったら、奥から調べた方がよさそうかな?」
レヴィはアリスの意見に賛成する。レヴィもアリスの方法が一番、合理的だと考えた。
アリスは無言で頷くと、廊下の奥に向かって歩き出す。
(それにしても、本当に不気味ね……前もこんな感じだったかしら?)
アリスはレヴィと出会う前の物語を思い出す。
アリスの記憶では、そもそも屋敷に廊下など存在しなかったはずだ。扉を開けると、すぐに帽子屋がいる部屋へとたどり着き、帽子屋を含めて数人で茶会を開いた。
物語が変わって今でも、アリスは鮮明に覚えていた。
「うーん、相変わらず長いね。森もそうだったけど、やたら移動時間がかかるよね? 非常に退屈だ」
アリスの隣でレヴィは右手で口元を隠しながら、あくびをするような仕草をする。
レヴィの気持ちはわからないでもない。アリスもちょうど、退屈だと思い始めていた頃合いだからだ。
「まぁ、進んでいるには進んでいるんじゃない? 扉の造りも変わってるようだし……」
アリスは廊下の脇に見える扉に視線を移す。
入り口付近の扉はシンプルかつ清潔感があるものであった。
しかし、奥に進むほど、造り自体は豪華になっていくが、壊れた――誰かに荒らされたかのような、扉の一部が破損したり、酷いものだと扉本体がないといった光景が広がっていた。
扉が酷くなるにつれ、アリスたちが歩く廊下も扉の雰囲気と同化するように、地面に穴が空いたり、汚れが目立つようになってくる。
「にしても長いよ。普通だったら、そろそろ……どうやら、目的地に着いたようだね」
「――ッ!?」
アリスは体温が急激に下がったかのような感覚を受ける。しかし、実際に体温が下がったわけではない。
悪寒――この先にいる存在がアリスに強大なプレッシャーを放っている。
(何よ……これ……?)
今までに感じたことのない不思議な感覚にアリスは困惑する。
アリスは物語の中で一度だけ、命がけで戦うシーンがある。その時に、相手からも当然、殺気などを受ける。アリスも殺す気で向かっているからだ。
しかし、この先から感じる気配からは殺気などは感じない。代わりにアリスが味わったことのない、心臓を握られるような得体の知れない感覚に襲われる。
「この気配は……すでに帽子屋も手遅れか。でも、これでも保った方か……しかし、この気配はよくないな。確実に僕らを消しにきている……」
「じゃあ、この先に帽子屋がいるのね?」
アリスは目の前にある扉を凝視する。
レヴィはアリスの質問に対して無言で頷く。肯定の意味だ。
アリスは他とは違った邪悪な気配を放っている扉に手をかけようとする。
「アリス。恐らく帽子屋は以前の帽子屋じゃない。君が考えているよりも邪悪で……残虐だ。こっちが殺す気でいかないと、逆に僕たちが殺される可能性がある」
レヴィは扉を開けようとするアリスの肩に手を置く。
いつになく真剣な表情のレヴィ。その表情からは、どれだけ、この先が危険かを知らせてくる。
「……大丈夫よ、レヴィ。もう、とっくに覚悟はできてる。これは私を見つけるための物語……私の物語だから。私が終わらせないといけない。そのためには、帽子屋との決着もつけるのは避けられないから」
アリスの決意は固い。レヴィに言われても変わることはなかった。
「……心配する必要はなさそうだね。安心したよ。僕もできるだけサポートをするから、最善を尽くすんだよ。できれば、戦わずに済んだらいいんだけど……」
「それは善処するわ。私も戦いは好きじゃないから」
「本当に~? アリスは喧嘩っ早いと思うけど?」
「誰のせいだと思ってるのよ? 私もレヴィがちょっかいをかけてこなかったら怒らないわよ」
「ま、そういうことにしておくよ」
「……本当にわかってるのかしら?」
レヴィは軽い冗談を言ってきたが、アリスはレヴィなりの気遣いだとわかっていた。だから、怒ることなく、レヴィの話を快く受け入れた。
アリスは再び扉を開けようとする。この扉を開けると後戻りはできない。
アリスは扉に手をかけて力一杯に引く。扉は扉自身の重さを象徴するかのように、ギギギと扉と縁が擦れる音を鳴らす。
「――ッ!? 何この臭い――ッ!?」
扉の隙間から部屋に充満していた空気が一斉に外に出る。溜まっていた空気は部屋を出た瞬間にアリスの体へと侵入してくる。
部屋の空気が体内に入った瞬間、アリスはあまりの異臭に顔をしかめた。
「これは……腐敗した臭いだね。何かの動物の死体のものか。だいぶ日にちが経っている……それに数も相当だ」
レヴィは右手の裾を口元に当てながら扉に近づいていく。
「これは話し合いがどうこうの話じゃないね。好き勝手に殺戮をしている奴がまともなわけがない」
「でも入るしかないか……はぁ、嫌だなぁ。代わりにレヴィが入ってきてくれない?」
「僕だけが入っても意味がないと思うよ? 物語もまだアリスを主役と思ってるらしいから、僕だけじゃ話は進まないよ?」
不快しか感じさせない部屋に入るのは気が引けるが、アリスが入らないと物語は進まない。アリスが入る以外に選択肢はなかった。
アリスは引き続き、扉を開ける。扉を開けるにつれ、中の様子も確認できるようになる。
「うわぁ……最悪だわ……」
アリスが中の様子を見た感想がこれだ。
部屋の中は明かりが灯っておらずに暗闇……というわけでもなく、暗いが視覚を奪われるというほどではない。しかし、微妙な明かりがかえってよくない。
完全に視界が奪われることがないので部屋の中の惨事を目の当たりにする。
部屋の構造は単純。大きな部屋の中心に奥行きがある長テーブルが置かれているだけ。後は数個の椅子、壁に絵画やアクセサリーが飾り付けられている。
異臭を放っている原因――それらが、部屋の至る所に散らばっている。
動物の死体は床にはもちろん、椅子や机に上にも散らかされている。しかし、死体は寿命で死んで放置された様子ではなく、腹が切られて内臓が飛び出す、首を切られるなどして、他者の手によって葬られたことがわかる。
「いやぁ、悪趣味だね。死体ってどこかに捨てるものなんじゃないの? なんで、わざわざ部屋の中に放置するんだろ?」
「――それは私の趣味だからだ」
部屋の奥から声が響いた。神経を極限まで集中させていたアリスたちは咄嗟に声のした方に視線を向ける。そこには椅子に座っている男がいた。
男は成人しているとみられる体型。服装は黒のスーツを着ており、頭にも黒のシルクハットをかぶっている。
男は机に肘をつき、俯き加減になっていて表情が読み取れない。
「折角ここまで来たんだ。立ち話もなんだ。君たちも座りたまえ」
男は指を鳴らす。すると、部屋に明かりが灯り、目の前に二つの椅子――アリスとレヴィのための椅子が空を舞って移動してきた。
(こんな状況で座れるわけがないわ……)
周りには死体の山。そんな場所で悠々とできるほどアリスの肝は据わっていない。
「では、お言葉に甘えて……」
躊躇することなく、レヴィは目の前にある椅子を引き、腰を下ろす。
「アリスも座りなよ」
「レヴィ! 何を言って――」
言いかけたところでアリスは気づく。レヴィの目が何かを伝えようとしていることに――
「……わかったわ」
気が進まないが、座るほかに選択肢はないようだ。アリスもレヴィの隣に出された椅子に座る。
「ふふ、座ってくれたか。では、私から自己紹介をしよう。私の名は帽子屋。この屋敷の持ち主だ。どうして君たちがここに来たのかはわからないが歓迎しよう」
帽子屋は椅子から立ち上がり、軽く会釈をしながら答える。
(ここは、なんて答えようか……以前の物語のままでいくか、それとも素直にあなたを倒しに来たと答えるか……考えるまでもないわね)
帽子屋が座ったことを確認して、アリスは席を立つ。
「ご機嫌よう、ミスター。私の名前はアリス。私は時計ウサギを追ってここまで来ましたわ」
礼儀正しく、淑女のような立ち振る舞いをする。
無邪気に答える場面――しかし、何度も同じ物語を繰り返したことによってアリスの精神年齢は見た目よりも大人びていた。
「僕はレヴィ。アリスの付き添いさ」
レヴィは普段通り。特に変わったこともせず、椅子に座ったまま答える。
帽子屋は興味深そうにアリスたちを見定め……
「そうか、アリスとレヴィか。早速だが――茶会を始めようか」