変わり始めた物語3
(――ふぅ、発動させることはできたわね……)
アリスは右手に握る〈法則破りの切符〉が発動していることを確認して微笑む。
アリス自身も発動できるかは定かであった。しかし、確証がなかったにもかかわらず、理由は不明だが、〈法則破りの切符〉を使えると確信していた。
「レヴィ、発動できたわよ……って、どうして変な顔をしてるの?」
レヴィの方を振り返ると、何やらレヴィは鳩が豆鉄砲を食ったように、目の前で起こった事実を受け入れることができないような表情をしていた。
「……え? あ、何でもないよ。それよりもアリス、ちゃんと発動させることができたんだ」
レヴィは慌てて取り繕うとしているが、動揺しているのが隠しきれていない。いかにも不自然だ。
(何かを隠している……? いや、レヴィが何かを隠しているのは、今に始まったことじゃないか……)
一瞬、そんなことを考えたが、レヴィがアリスに伝えていないことは数多く存在する。
それよりも、今は余計なことを考えている場合ではない。アリスにはすべきことがある。
「……後は目的地をイメージするだけね。レヴィ、すぐに行けると思うから手を繋いで」
アリスはレヴィに手を差し出す。
「……わかったよ。しっかり頼むよ、アリス」
若干、不安が残る中、レヴィはアリスの手を取る。
「よし。では、行きますか!」
アリスは〈法則破りの切符〉を強く握りしめ、目を閉じる。そして、思い浮かべるは帽子屋の元だ。
(お願い! たどり着いて――ッ!)
森を出たすぐそばに、ひっそりとたたずむ屋敷があった。その屋敷は木造のもので、かなりの年季が入っているのがわかる。
自由に伸びる蔦は屋敷を飲み込むかのように巻き付いていた。手入れがされていない様から誰も住んでいないと思わせる。
突如、古びた屋敷の前に眩しいほどに輝く光が現れる。
「――よっと――ッ! ……無事に着いたわね……」
光が弱くなり、中からはアリスとレヴィの姿が見えるようになる。どうやら、アリスは無事に〈法則破りの切符〉を使うことができたようだ。
無事に目的地まで来られたアリスは胸をなで下ろす。
「さて、帽子屋のところに行きましょ」
安心したのは一瞬。アリスはすぐに視線を屋敷に移して、歩き出そうとする。
「見た目はそれほど……変わってない。僕が知っているのと同じだね。となれば、問題は中か……」
レヴィは真剣な眼差しを屋敷に向ける。いつもとは違うレヴィの真剣な表情……これから起こることを予期しているような……そんな表情であった。
(レヴィがこれだけ緊張しているということは……いや、余計なことは考えるな。私がやることは変わらない)
横目でレヴィの様子をうかがったアリス。しかし、すぐさま首を振って、雑念を消し去ろうと屋敷に向かって歩き出す。
余計なことを考えても結果は変わらないと、そう思い込ませて。
「それにしても、相変わらず、ここは歩きにくいわね。帽子屋もいるんだったら、手入れぐらいしなさいよ」
アリスの足下には地面が見えないほどの草が生い茂っていた。
自由なままに伸びきった草たちはアリスの膝あたりまで成長しており、進むたびにアリスの足に絡まってくる。
アリスは足に絡まる草を無理矢理引きちぎりながら、屋敷の入り口へと向かう。
「やっと着いたわ……」
距離にして約十メートル。距離としては、それほど長くはない。
しかし、アリスを邪魔する草たちによって、実際の距離よりも長く感じられた。
草も長いだけならよかったのだが、そんなはずもなく、その長さに似合った太さまで成長していた。
一本だけならともかく、何本もの草を強引に引きちぎったのだ。当然、アリスの体には相当の負担がかかる。
さらにアリスは成人していない。もっといえば、力のない少女だ。アリスが苦労したことは考えるまでもない。
アリスは呼吸を整えながらレヴィの様子を見る。すると、あることに気づく。
「……随分と綺麗ね。レヴィ?」
アリスが気になったのはレヴィの服装だ。
アリスは草を強引に引きちぎったがために、膝より上まで伸ばしたストッキングにはもちろん、靴、スカートにまで、引きちぎった草の残骸がへばり付いていた。
対するレヴィには草など一切付いていない。それどころか、汚れの一つも見当たらない。
「どういうことか、説明してくれる?」
ニッコリとアリスは微笑む。しかし、笑っているにもかかわらず、その笑みからは恐怖が感じられた。
アリス自身はなんとなく理由がわかっていた。相手は不思議少年レヴィだ。
〈法則破りの切符〉を使うときに説明された魔力という言葉の存在を明確に記憶していた。
アリスの予想が正しければ、魔力とは魔法を使うために必要なエネルギーみたいなものである。〈法則破りの切符〉が使えたということは、アリスも魔力を持っているということになる。
それは即ち、アリスも魔法を使えるというわけであって……
(だったら私も楽ができる……ッ!)
意地汚い考えである。しかし、〈法則破りの切符〉の便利さを体験した今、魔法を使いたいと思うことは当然ともいえる。
アリスの意図がわからずにキョトンとしているレヴィ。そして、アリスの意図を考えるのは諦めたのか、呆れるようにため息をつく。
「あれを見たらわかるよ」
説明をするのも面倒くさそうにレヴィは指さす。
レヴィが指さしたのはアリスたちが歩いてきた手入れされていない庭だ。
(庭? それがどうしたのよ?)
草で生い茂っている庭。そんなものを見たところで、レヴィの服装のことを証明できるとは思えない。
疑問に思いながらも、庭に視線を移すと――
(……あっ)
気づいてしまった。レヴィが汚れていない理由に。そして――
(ああああぁぁぁぁ――――ッ! 私のバカ!)
自分の馬鹿さに。
レヴィが指さす先――それは確かに庭であった。紛れもなくアリスたちが通ってきた場所だ。
アリスが悶絶する理由――それは簡単。その庭の光景を見たからだ。
アリスが想像していたのは、草で覆い尽くされた庭の光景であった。しかし、現実は違う。実際は草に覆われた庭の真ん中に道ができていた。
ここまで説明すればわかるだろう。アリスが苦労しながら草を引きちぎって作った道だ。レヴィはその後ろをただ歩いてきただけ。魔法など一切使っていない。
アリスはあまりの恥かしさに、レヴィに背を向け、地面にしゃがみ込む。
(何が魔法よ! 魔法もクソもないじゃない! レヴィは私についてきただけ! それなのに、私は堂々と……うわああああぁぁぁぁ――――ッ!)
魔法を教えてもらえる……自分の欲深さによって引き起こした出来事。どうして、このようなことを言ったのだろうか。過去の自分に問いたい。
頭を抱えながら、何かをブツブツと呟いているアリスをレヴィは先程と変わらない呆れた様子で見下ろす。
「……何がしたかったのかわからないけど、早く行くよ。僕だって、いつまでも君の茶番を見ていたいわけじゃないからね」
うずくまっているアリスを他所に、レヴィは屋敷の入り口まで移動して、扉に手をかける。
「ん? 開かないな。僕じゃ駄目なのか? ……仕方ない。アリスを連れてくるか……」
レヴィは扉を引くが、ビクともしない。反対に押してみても結果は変わらない。
残る可能性はアリスしか、この扉を開けることができない。レヴィはそう考える。
面倒ながらも、レヴィはアリスの元まで戻ってくる。肝心のアリスは今も悶絶したままだ。
「アリス。君がいないと扉は開かないみたいなんだ。だから、早く来てくれないかな?」
レヴィはアリスを見下ろす――その目は呆れしか感じさせないものであった。
しかし、アリスは自分のことで精一杯でレヴィの声など聞こえるはずもない。そこで、レヴィが取った行動は……
「……あっ……痛い痛い――ッ! レヴィ! 痛いから引っ張らないで! ちょ――ッ! 歩かないで! 千切れるから――ッ!」
強制的にアリスを連れて行くことだった。レヴィはアリスの右耳を掴み、強引にアリスを引っ張っていく。
当然、耳を引っ張られると痛みを感じる。なので、アリスはレヴィについていくしかない。
アリスの物語では痛みを感じない――それはすでに過去のことであった。理不尽な痛みにアリスは耐えるしかない。
アリスの絶叫を無視して、レヴィは扉の前までアリスを移動させた。
「さあ、アリス。扉を開けてみて」
「全く、レヴィは人使いが荒いんだから……」
アリスは微かに赤く染まった右耳を撫でながら、扉に触れる。すると――
「うわぁ、本当に開いた……」
アリスが触れた扉はアリスが力を入れるまでもなく独りでに古い扉が開くような重い音を鳴らしながら、ゆっくりと開いていく。
レヴィが力一杯に押してもビクともしなかった扉は、アリスによって苦労することなく開いた。
(やはり。まだ、この物語の主役はアリスのままということか……)
『不思議の国のアリス』――物語が変わり始めた今でもアリスを中心に進んでいた。
「……アリス。早く行こう。この先に帽子屋がいるはずだから」
レヴィは警戒しながらも、屋敷の中に足を踏み入れる。
「あっ、ちょっと待ってよ!」
アリスも慌ててレヴィの後を追って屋敷の中に入っていった。