変わり始めた物語2
「んー、中々長いね。もう着く頃だと思ってたんだけど……」
レヴィは予想が外れたと緊張感がない様子で言葉を漏らす。
アリスたちが芋虫がいた場所を後にして数時間、一時も休むことなく、森の中を歩き続けていた。
日が傾いていたアリスの世界も、すでに夜を迎え、辺りは闇に包まれていた。
星だけではなく、月すら存在しないアリスの世界の夜。そんな漆黒の夜を、森の至る所に生えている不思議なキノコが光を発して、月の光の代わりに、森の中を明るく照らしている。
この光景は本来、夜が存在しないアリスの世界では見ることができないものだ。故にアリスが実際に夜を目にするのは初めてのことだった。
「これが夜……レヴィは夜を見たことある?」
「僕かい? 僕は当然あるよ。ただ、こんな美しい夜は初めて見たね。他の物語の夜は、この物語と違って、火か電気で夜を照らしていたなぁ。それに比べたら、こっちの物語の夜は綺麗だよ。キノコが光るなんて、ここだけじゃないかな?」
「そうなんだ……」
レヴィに綺麗と言われ、心なしかアリスは嬉しく思う。
自分の世界を退屈だと、あまりよく思っていないアリスだが、他人から褒められると不思議と嬉しいものであった。
アリスは自分で気づいていないだろうが、嬉しさでアリスの表情は崩れていた。
それはもう、なんとも情けないものに……
「何にやけてるの? 正直、気持ち悪いよ?」
「う、うるさいわね――ッ!」
レヴィに言われて、アリスは自分の表情が酷いものになっていることに気づく。
羞恥のあまり、アリスは勢いよく、レヴィから顔をそらした。
「はは、ごめん、ごめん。君の顔があまりにさ……こう、なんていうか……うん、そういうことだよ」
「どういうことよ――ッ!?」
レヴィの曖昧な答えにアリスはイライラする。こういうときはハッキリと答えを言って欲しいとアリスは思った。
「……もういいわ。どうせ終わらないし。それよりも……」
不毛な言い合いにアリスは嘆息する。そして、真面目な表情になって、森の先を見つめる。
(物語が変わったことはわかってる。そうだとしても、舞台自体は変わらないと思ってた。でも、目的地には一向に着かない)
物語が変わっている――それはレヴィから聞いており、自分も実際にこの身を持って体験している。
しかし、ここまで、出来事が変わっただけで風景や地形が変わったわけではなかった。
レヴィの〈法則破りの切符〉が使えたことも、地形が変わっていなかったと決定付けるものであった。
そこで、アリスが導き出した答えは……
「……レヴィ。もしかすると、この物語の地形が変わり始めているかもしれない」
単純――しかし、これしか他に思いつかない。
アリスの答えに対して、レヴィの反応は……
「僕もそう思うよ。一つの場面を移動するのに、これだけ時間がかかるのは、おかしいからね。そもそも物語は読み手に読んでもらうために存在している。それなのに、長い時間、移動だけなんてあり得ない。もし、長い時間、移動する場合は『長時間、移動した』の一文で済ませるからね。実際に、登場人物たちは物語の中では少しの時間で済ませることができる」
「ふーん、そうなんだ。つまり、本当はこの無駄な時間は存在しないということでいいの?」
「ま、そういうことになるね」
「じゃあ、これはもう物語じゃないんじゃないの?」
不意に漏らしたアリスの何気ない言葉――その言葉にレヴィは顔を強ばらせる。まるで何か痛いところを突かれたかのように。
「……さあね。とりあえず、僕たちができることは物語を進めることだけ――帽子屋のところに向かうだけだ――」
帽子屋という言葉を聞いて、アリスは気を引き締める。
帽子屋――アリスの物語で登場する重要な場面。そこで出会う一人の人物だ。
彼は意味不明な行動を多く取り、アリスを悩ませる、よくわからない人物……よくわからないと言えば、レヴィも当てはまるとアリスは思っているが、それは内緒だ。
「でも、レヴィ。私たちは帽子屋のところに向かっているはずなのに、全く着く気配がないんだけど?」
「それは僕も知らない。僕も帽子屋のところに向かってたんだけど……結果はご覧の有様だ。全く着く気配がないね! ははははははぁぁぁぁ――――ッ! …………どうする?」
「急に真面目にならないでよ」
一瞬、変なテンションを見せたレヴィだが、アリスは冷静に対処する。
よくわからないと言っておきながらも、冷静になれる辺り、少しずつレヴィのことがわかってきたのかもしれない。
「あっ」
不意にアリスの頭にある考えがよぎる。
「レヴィがもう一度、〈法則破りの切符〉を使ったら、いいだけじゃないの?」
レヴィが目的地に迷わず向かうことができているのは、目的の場所を知っているからだ。
なら、〈法則破りの切符〉を使えば、すべてが解決――アリスはそう考える。
アリスも我ながらよく思いついたと自信満々な表情を作る。
「え? いや、流石に僕としても〈法則破りの切符〉をこれ以上、使うのは……」
あたふたと珍しくレヴィが戸惑った様子を見せる。
「別にいいじゃん。一回使ってるんだから、今さら何回使っても変わらないわよ」
「で、でも……」
レヴィはウジウジと一向に納得する気配を見せない。その姿を見るほど、アリスは怒りの感情しか湧いてこない。
「もう――ッ! 今さら変わらないでしょ――ッ!」
ついにアリスがキレる。今まで我慢していたアリスだが、流石に限界だ。
突然、発せられたアリスの怒鳴り声に反応して、レヴィはビクッ、と体を震わせる。
「さっさと使ったら問題解決なのよ!」
「いや、だからね……」
「……じゃあ、〈法則破りの切符〉を出して?」
「……? まあ、出すくらいなら……」
渋々とアリスの意図がわからないまま、レヴィは服のポケットから〈法則破りの切符〉を取り出した――その瞬間――
「よし! 取ったり――ッ!」
「あ――」
アリスは一瞬にして、レヴィの手から〈法則破りの切符〉を奪い取る。
その速度はレヴィが目で追えないほどで、アリスが動きを止めたことでようやく姿を確認することができた。
「レヴィが使わないのなら、私が使えばいい……だったら、何の問題もない。これならレヴィの意志にも反しないし、私の望みも達成できる。私ったら天才ね」
ヒラヒラとアリスは目の前で〈法則破りの切符〉を見せつける。満足そうな表情とともに。
「……はぁ、もう好きにしたらいいよ……」
いつもは先に折れるアリスだが、今回はレヴィが先に折れたようだ。
レヴィはため息をつきながら、アリスを遠い目で見つめる。その目には諦めの色が見える。
「早速使いたいんだけど……使い方がわからない。レヴィ、教えて?」
「……僕が手助けをしたら、僕が使っても変わらないんじゃ……」
「じゃあ、レヴィが使う?」
「ご遠慮させて頂きます」
即答だった。
乗り気ではないが、レヴィが教えない限り、アリスの物語が進まないのは事実だ。
レヴィとしても物語が進まないことは、レヴィの今後の目的に支障が出る。だから、レヴィはアリスに〈法則破りの切符〉の使い方を教えるしかなかった。
「まずは、〈法則破りの切符〉について教えるね。〈法則破りの切符〉は魔力を通して使用する――魔力については物語によって表記が違う。例えば、アリスの世界では、ある怪物を倒すときに剣を使うよね? その時に使う剣を、アリスは魔力を消費して使用している。これだったらわかる?」
「あれを使うときの感覚か……あれを使うときは特に意識して使ってないわね……つまりは意識しなくても大丈夫ということね」
「……それでいいんじゃない? で、その感覚がわかれば、後は簡単。魔力を消費しながら自分の行きたい場所を強く願うことで、その場所に飛ぶことが出来る。今回は帽子屋のいるところを強く思い浮かべたらいいわけだ」
アリスが勘で〈法則破りの切符〉を使おうとしていることに呆れるレヴィだが、人の感覚にとやかく言うつもりはなく、黙って見過ごした。
それと同時に、アリスは頭で考えるよりも、思いついたことをすぐに行動に移す単細胞ということが判明した。
(まぁ、〈法則破りの切符〉がすぐに使えることはない。だって、あれは選ばれた者しか使うことができないからね。いくらアリスが例外だとしても〈法則破りの切符〉を使うことはできない……)
レヴィが素直に〈法則破りの切符〉をアリスに手渡したのは、アリスが〈法則破りの切符〉を使えないことを見越してのことだった。
例外のアリス――彼女であっても、〈法則破りの切符〉を使いこなすことは……
「んー? こうかな? あっ、使えた」
「うそぉ――ッ!?」
最初は使い方をわかなかったアリス。だが、レヴィの使っていた姿を思い出し、レヴィと全く同じ動きで再現してみた――結果、見事に〈法則破りの切符〉を発動させることに成功した。
アリスが握りしめる〈法則破りの切符〉は、レヴィが使ったときと同じようにまばゆい光を放っている――いつでも発動できる状態だ。
(え――? どうして? どうしてアリスが使えるの? 仮に使えたとしても、僕よりも早く使えるなんて――ッ!)
レヴィはただ驚愕するしかなかった。
アリスの例外性はレヴィ自身がよくわかっている。だからこそ、アリスに声をかけたのだから。
しかし、今回ばかりは例外で言葉を済ませることができなかった。
〈法則破りの切符〉は選ばれた者しか使用できない。
――アリスは選ばれた者ではない、ただの登場人物なのだから――