変わり始めた物語
「――ッ! ここは……」
アリスは光に反応して瞑ってしまった瞳をゆっくりと開ける。
目に映る光景は本来、小さな扉を通ってたどり着く場所だ。
日が落ちきったわけではないが、森の中――すなわち地面から生える木々によって光が遮られている。
そして所々、木々の間から光が漏れていて、幻想的な風景を創り出していた。
「ふう、とりあえずは成功かな?」
いつもと変わらない口調でレヴィが告げる。しかし、額からは少し汗が流れている。
平然を装っているが、かなりの力を消費したのであろう。注意深く見てみると、レヴィは軽く肩を上下させていた。
「で、以前と違うかな?」
「うん、そうね……」
辺りを見渡すが、特に変わった部分はない。以前と同じだ。レヴィが移動できた時点で薄々感じていたことだが。
「特には変わってないと思う。後は……」
「ウサギを探すだけだね」
「いや、ウサギを探す必要はないわ。以前と変わっていないなら、最終的にウサギが行く場所も変わってないはず。だからこのまま、そこに行くわ」
「うわぁ、ズルだズル。卑怯だよ。そんなこと、物語でしていいと思ってるの?」
「レヴィだって不正したでしょ?」
「う――ッ! 確かにそうだけど……」
レヴィはばつが悪そうな表情をする。レヴィも〈法則破りの切符〉を使ってしまった。
非常事態とはいえ、本来はレヴィの中で禁止していることなのだろう。
「まさかアリスに言われるとは……」
「私をなんだと思ってるのよ!?」
レヴィの失礼な言い方にアリスは叫ぶ。普段、自分はレヴィにどう思われているのか……そんな考えがよぎる。
「……もう、早く行くわよ。確か、このまま森を抜けたら……」
言いかけてアリスは気づいた。この先、アリスたちを待ち受けるのは……
(あ、面倒くさい芋虫がいたな……)
アリスは厄介な存在を思い出して嫌な顔をする。
もうしばらくすると出会うであろう芋虫。彼は色々とアリスに対して愚痴を漏らし、そんな芋虫をアリスはあまりいい感情を抱くことができなかった。
(まぁ、大丈夫でしょ。物語も変わり始めてる。きっと、あのうざったらしい芋虫だって……)
変わっている。最低でも前よりかはマシになっている。そう信じて……
(行くしかないか……)
アリスは歩を進めるのであった。
アリスたちが森の中を進んで数分、アリスの記憶通り、例の芋虫を見つけた。アリスは緊張しながらも、芋虫の隣を通り過ぎようとする。
話しかけられる。そう思いながら歩いていたアリスだが、杞憂に終わった。何故なら……
「あー、めんどくせぇー。なにもしたくねー」
アリスが嫌っていた芋虫――彼は何故か病んでしまっていた。
例えるなら、生きることに絶望したといったところか。以前のうざったらしい面影はどこにも残っていなかった。
芋虫は誰かに言っているというわけではなく、誰もいない空間に対して、ひたすら愚痴を漏らしていた。
(これが物語が変わってしまった影響か……)
アリスはすっかり変わってしまった芋虫を見つめながら思う。物語が変わると、登場人物も変わってしまうのかと。
それと同時にアリスは思うことがあった。それは……
(前はうざかったけど、これはこれでうざい)
うざいものはうざい。例え、内面が変わろうとも、うざいものはうざい。
アリスは心に深く刻んだ。
「……なんか、僕の知ってる芋虫と違うんだけど……?」
レヴィは戸惑いながら、アリスと芋虫を交互に見る。レヴィは物語が好きなので、登場人物の劇的な変化を受け入れることができないのであろう。
それは仕方ない。アリスも全部は受け入れていないのだから。
「あー、だりぃー。することがねー。あっ、だったら歌を歌うか。めんどいけど」
((だったら歌うなよ!))
アリスとレヴィの考えていることが一致する。面倒くさいなら歌うなよ! 誰もがそう思う。
そして、芋虫が口を開く――
「Butterfly今日は~今ま~で~のどんな~時よ~り素晴~らしい~」
((お前芋虫だろ! ってか、何気に上手いな! それにお前、素晴らしいとか思ってないだろ!))
芋虫の選曲にアリスたちは普段の口調を崩すほどの衝撃を与えられていた。
芋虫は生きることを諦めたかのような表情をしている。しかし、芋虫から発せられる歌声は素晴らしいものであった。
物音一つ聞こえない森の中に響く透き通るような歌声。そして、暗い森の中、ポツンと立っている芋虫を、木々の間から漏れる光が、スポットライトのように芋虫を照らしている。
まるで芋虫が主役であると言わんばかりに。
幻想的――今の光景を一言で表すなら、これ以上適切な言葉は見つからない。それほどに歌っている芋虫は美しい姿であった。
「……これって私の物語よね?」
「物語も変わってきてるし、主役も変わってるんじゃないかな? 『不思議な声音の芋虫』……これは中々いけるかもしれない……」
「いけないわ!」
冗談じゃない。自分が芋虫と同列だなんて。まして、モブキャラに主役の座が奪われるなんて。
アリスは物語に対して深い思い入れがあるわけではなかったが、芋虫に負けるのは許せなかった。
無意識のうちに『不思議の国のアリス』の主役と自負していたのだ。
「ははは、冗談だよ。流石に僕も芋虫が主役の物語を見たいとは思わないからね。やっぱり『不思議の国のアリス』の主役は君じゃないと」
相変わらずレヴィはヘラヘラと笑っている。どこまでが冗談か、見ているだけではわからない。
レヴィと一緒にいればわかるようになるのだろうか。そんな疑問が思い浮かぶ。
「……早く行きましょ。こんな場所にいたら、気分が悪くなるわ」
アリスは忌々しそうに芋虫を見る。芋虫は未だに歌っている。
その姿はなんとも癪に障るものであった。
「そうだね。僕も芋虫を見るより、君の物語の終わりを見たいからね。早いとこ、ここから出よう」
レヴィも特に芋虫を見たかったわけではなかったので、森から出ることに反対することはなかった。
どちらかと言えば、レヴィは早くアリスの物語を終わらして、自分の望みをアリスに叶えてもらいたい。正しくは手伝って欲しい。
芋虫が目的でない以上、レヴィが森で長居する理由はなかった。
レヴィはスタスタ、と森の外に向かって歩いている。その姿を見て、アリスは疑問に思う。
「あれ? レヴィは次の目的地を知ってるの?」
アリスは明確に次の目的地を言ったわけではない。だが、レヴィは迷うことなく、次の目的地へと向かっている。
「何を言ってるの、アリス? 僕はこの物語を知っている。君が知るよりも僕の方が、この物語に詳しいんだよ?」
「あぁ、確かそうだったね」
そう言えばと、アリスは納得する。
レヴィはこの物語の登場人物ではない。そして何より、物語について詳しい。むしろ、不自然なほどに詳しかった。
アリスはレヴィが物語に詳しいのは、レヴィの望みが関係していると思っている。でなければ、これ程に物語に詳しいはずがない。
そして、ある考えが思い浮かぶ。
(レヴィの望みはなんなの……?)
チラッ、とアリスは横目でレヴィの表情をうかがう。
相変わらずレヴィの表情は何を考えているかわからない。今もニコニコと笑い、何が楽しいのだろうと思う。
(それより、自分の物語も改めてみると長いわね。まだ半分もいってないんじゃないかしら?)
レヴィと出会う前は、淡々と同じ作業を繰り返すだけであった。しかし、今は違う。
無限ともいえる、終わりなき物語の中にいるような感覚だ。
(まぁ、終わり自体がわからないわけだけど)
だが、終わりは近づいてきている。確実に。この世界が物語である以上、終わりが来ることは必然である。
(この森を抜けたら、次に待ち受けるのは……)
恐らく物語を左右する出来事。それが待っているに違いない。
確証はないが、本能が告げている。この先は今までと違う。危険だと――
(でも、立ち止まるわけには行かない――)
そう、本当の自分を見つけるために――
アリスは進む――